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三 演習

 

 

 

「捗々しくないな」

 四度目の捜査会議の席上、村瀬は珍しく愚痴めいた言葉を吐いた。

 村瀬が明朗な場面など誰も見たことがないが、悲痛な顔もまた珍しい。だが初動捜査の段階で得られた物的証拠が狙撃に使用された弾丸のみという体たらくでは嘆きたくもなるのだろう。

「地取りを継続中ですが、未だ犯人の目撃情報は得られていません。外崎候補が狙撃された場面を見ていた通行人は何人かいるのですが、狙撃犯に注意を払った人間は今のところ皆無です」

 小岩署の捜査員は面目なさそうに続けるが、周囲は同調するように顔を曇らせている。選挙期間中の候補者が襲われるという民主主義の根幹を揺るがす事件だというのに、捜査状況が芳しくないのでは日本警察の沽券にかかわる。だが、狙撃地点に下足痕すら残さなかった犯人が相手では、捜査本部も徒手空拳に等しかった。

「ラッシュ時を過ぎていたとは言え、一日で六万人近い乗車数の駅前で、しかも衆人環視の前で狙撃された。これほど警察を舐めた犯行も珍しい。だが、手掛かりは243ウィンチェスター弾一発きりとはな」

 その弾丸にしても広く出回っている品なのでエンドユーザーを割り出せないときている。村瀬の嘆き節は捜査員全員の気持ちを代弁しているものなので、会議の参加者は皆頷くしかない。

「では、次に鑑取りの進捗」

 これには宮藤が立ち上がって答える。

「外崎伺朗候補についての背後関係ですが、ご存じの通り、同候補は都議会議員時代は女性職員を度々ホテルに誘うわ、会社員時代には買春ツアーに参加するわで世間と都議会から散々叩かれた人物であります。都議会では問題が露見した際に辞職勧告をしており、言わば仲間内からも嫌われており、彼の立候補を応援するのは、ネットで無責任な言説を繰り返す有象無象の輩しかいません。従前に外崎候補を擁していた会派も今は議員復帰を迷惑がっているとのことでした」

 淡々とした口調だが、喋っている内容は罵倒に近い。宮藤が外崎をどう見ているかが如実に分かる報告だが、皆も同意しているので咎める者はいない。

「次に外崎候補の家族関係ですが、彼は独身であり、親兄弟は出身地である群馬県沼田市に居住。件の買春ツアーの件が報じられると、父親は本人を勘当すると取材スタッフに告げています。以来、外崎候補が実家に戻ったことは一度もなく表面上縁は切れていると思われます。実家にも外崎候補にも特別な資産がなく、家族が外崎候補を恨みに思う、あるいは殺害すべき動機は見当たりません。従って外崎候補を揶揄する者、軽蔑する者、嫌悪する者は多いのですが、殺意を持つ者は見当たらないのが現状です」

「外崎候補を擁していた会派が彼の議員復帰を迷惑がっているという話だが、当選を阻止するために狙撃したという可能性はどうか」

「皆無とは言いませんが、限りなくゼロに近いでしょうね。彼を落選させるために、わざわざ狙撃するというのはコストがかかり過ぎます。狙撃前の下馬評では落選確実でしたからね」

「狂言という可能性はどうだ。外崎候補の狂言なら左肩に命中させただけで撤収した状況も納得できる。実際、狙撃された直後、外崎候補を支持する声が増えたのではないか」

「ほとんどが同情票で、しかも有権者の声とは限りません。それに風向き次第で少しでもズレていたら、心臓に命中していました。いくら狂言だったとしてもリスクが大き過ぎるように思えます」

「外崎候補のこれまでの風評を考えれば同意するしかなさそうだな」

 村瀬は独り言のように言うが、無論これは捜査員に対する表明に相違ない。

「だが、狙撃犯が外崎候補を狙った理由は必ずある。あの日外崎候補が小岩駅前で街頭演説をすることは、本人がX(旧Twitter)で呟いていただけだ。事前に知っていたのは道路占有許可を出した小岩署と選挙管理委員会、そしてXの投稿を閲覧した人間ということになる」

 投稿を見た者の中から容疑者を探すのは容易なことではない。コメントを返しているのならまだしも閲覧しただけでは人数も分からない。

「いずれにしろ狙撃犯が、外崎候補のスケジュールを把握した上で現場に待機していたのは明白だ。問題は、何故彼が狙われたのかという問題だ。鑑取りをした限り、彼を殺したいほど恨みに思っていた者は見当たらない。候補者を狙撃することで政治への不満を表明したかったのか。だが、たかが都議会議員の補欠選挙の候補者を標的にして、どれだけの訴求効果があるのかは甚だ疑問だ。外崎候補個人を暗殺して政治的な示威になるとも思えない。また、彼が当選しようが落選しようが、都議会の勢力図が一変する訳でもない」

 村瀬の物言いもずいぶんと辛辣だが、これは管理官としての心証を告げるものであり、誰も笑う者はいない。

「何より気になるのは狙撃犯の中途半端さだ。ビル風の吹き荒ぶ九十五メートル地点から狙撃できる腕を持ちながら、一発撃っただけで撤収している。標的は左肩を負傷したのみだというのに、だ」

 珍しく村瀬の言葉には熱がこもる。だが 長台詞の意図するところが伝わらなかったのか、隣に座っていた津村一課長が問い掛けてきた。

「管理官は狙撃犯の真の狙いを把握しているんですか」

「狙撃犯にとって、おそらく外崎候補は本当の標的ではない」

「では、どうしてわざわざ狙う価値のない外崎候補を狙撃したのですか」

 津村が突っ込んだ質問をした途端、村瀬は急に熱を失ったかのように元の口調に戻る。

「失礼しました。初動捜査の段階で先入観を抱かせるような発言は控えるべきでした。今のは聞かなかったことにしてください」

 下手な演技だ、と葛城は思った。捜査員に先入観を抱かせたくないと言う一方で、自身の見解を匂わせている。気づく者だけ気づけばいいというのは、つまり正式な捜査方針とはしないが、可能性を探っておけという示唆だ。

 捜査会議が終わると、案の定宮藤は渋い顔をしていた。

「回りくどい言い方をするもんだ」

「宮藤さんもそう思いましたか」

「捜査方針として提示するには、あまりに物証が不足している。だが不安材料は検討しておきたい。すると、ああいう中途半端な物言いになる」

「管理官は『外崎候補は本当の標的ではない』ことは明白と言おうとしていましたね」

「外崎候補への狙撃は言わば予行演習みたいなものだ」

 宮藤は村瀬が口にしたがらなかったことを平然と話す。もっとも葛城にも見当がついていたので驚きもしない。

「一発撃っただけで撤収したのは、遠距離射撃の感触を確かめるためだった」

「ああ、俺もそう思う。射撃場では望めない、ビル風と通行人で賑わう駅前で要人への狙撃が可能かどうかを確かめたかった。無論、外崎候補を射殺したところで、政治的に大きな意味がある訳じゃない。犯人が狙っている獲物は、もっと大物に違いない」

 それだけ言うと、宮藤は席を立った。

「ちょっと付き合え」

「どこにですか」

「SAT(Special Assault Team特殊部隊)に同期の知り合いがいる。狙撃に関しては一家言あるヤツらの集団だ。意見を聞いておいても損はないだろう」

 

 

(つづく)