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 二人が捜査本部に戻ると、桐島が渋い顔で待ち構えていた。その表情だけで、帰庁途中に不愉快な知らせがあったと推測できた。

「宮藤。いったい外崎候補にどんな説得を試みた」

「今すぐ街頭に出て演説をしたい、ついては自身の護衛をしろとの申し出がありましたので、やんわりとお断りしました」

「先方の返事はどうだった」

「なかなか納得しない様子でしたが、できないことはできないとはっきり申し上げました」

 桐島は予想が的中したというような顔をした。

「ついさっき外崎候補から猛烈な抗議電話が入った。病室を訪れた警察官の態度が無礼極まりなく、おまけに職務放棄と言論弾圧に及んだとのことだ」

「全く身に覚えがありません」

 平然と答える宮藤から視線を移し、桐島は葛城を恨めしそうに睨む。お前がいて対処できなかったのかと責める目だった。

「まあいい。外崎候補の評判は俺も耳にしている。まともに要求を聞いていたらこっちの身が保たない」

「最初から分かっていて俺たちを向かわせたんですか」

「仮にも狙撃事件の被害者だ。本人から相談があれば聞かん訳にはいかんだろう。もちろん無理な要求に応える必要もないがな」

「一種のアリバイ作りですか」

「人聞きの悪いことを言うな。こういうのは懇切丁寧かつ適切な対応と言うんだ」

 事件の被害者および関係者に纏わるクレームは最終的に専従班の長が処理する仕組みだ。桐島が受けたクレームは事件の数よりずっと多い。外崎の寄越したクレームなど日常茶飯事に近いのだろう。

 葛城も人並みに出世欲はあるが、日頃の桐島を見ていると意欲が萎えてくる。中間管理職の悲哀どころではなく、事件の雑事をこなしながら捜査員を動かし早期解決に導く。生半可なリスクマネジメントや処理能力では到底務まらない。

「ただしこちらがどんなに適切な対応をしたところで、相手が暴走したら終いだ」

「外崎候補、クレームだけでは済まなかったのですか」

「ああ、ひとしきり警察に対する悪口雑言を吐いた後、自分は主治医が反対しても辻立ちを敢行すると喚いたらしい。もし自分の身に再度危険が及べば、自分の警護要請を拒否した警察の全責任という捨て台詞を忘れなかった」

「あの先生のことですから、同じ内容を自分のブログにも上げているんでしょうね」

「見たら胸糞悪くなるだろうから確認していない。代わりにお前が見ておけ」

 罰ゲームとしては軽微な部類に入る。宮藤は渋々ながら了解と答える。

「問題は、外崎候補の懸念が的中してしまった場合だ。彼が再度標的になったら、間違いなく捜査本部は世間の非難を浴びる。途中の交渉経過が如何様であっても、世間やマスコミは都合のいいように切り取るから抗弁もあまり意味がない」

「しかし班長、だからと言って外崎候補の護衛に捜査員を割く余裕はないでしょう。もし先方の要求を呑めば悪しき前例になりかねませんよ」

「だから事件の早期解決を図る。そのためにも捜査方針を絞る必要がある」

「土屋さんと幡野さんの鍔迫り合いをどうやって収めるつもりですか」

「それについては村瀬管理官から指示があった。言わずもがなだが、捜査会議では明らかにできない指示だ」

「何ですか、それは」

「外部委託だ。現場に残された弾丸と弾痕の分析を他の機関に委ねる」

 一瞬、宮藤は呆けたような顔をする。驚いたのは葛城も同様だ。

 警察が証拠物件の分析を外部に委託すること自体は珍しい話ではない。まだ科捜研が今ほど重用されなかった時代には頻繁に行われていたと聞いている。

 だが科学捜査の重要性が説かれ、科捜研の地位が向上した現在、外部委託に頼る必要があるとは思えない。しかも今回は土屋と幡野という二人の有識者が分析に着手しているのだ。

「その案、果たして土屋さんや幡野さんがうんと言いますかねえ」

 宮藤は葛城の懸念をそのまま口にする。

「今以上に捜査本部に混乱を来しやしませんか。しかも管理官の発案なのでしょう。ダブルスタンダードどころかトリプルスタンダードじゃないですか」

「それは俺も忠言した。だが土屋さんと幡野さんをこのまま反目させておいても解決しない。それで二人と同等若しくはそれ以上の実績を持つ機関に委ねて、公平な判断を下すという提案だ」

「趣旨は分かりますが、二人のプライドを傷つけるばかりじゃなく捜査本部の沽券にも関わってきますよ」

「だから捜査会議の場で発表できる話じゃない。表向きは俺の班が独断で依頼するかたちを採る」

「とんだ貧乏くじじゃないですか。いや、これは出来レースですかね」

「外崎候補が強硬な姿勢を改めない限り、こちらも禁じ手を使うしかない。管理官も追い詰められているんだ」

 初動捜査の成果が乏しく、未だ容疑者の一人も浮上しない現状、村瀬が焦る理由も分からないではない。前例のない事件だけに村瀬が前例のない手段に打って出るのも致し方ないのだろう。

「ベテラン鑑識係と博士号をいくつも取得した徹底的な理論家。あの二人を納得させるのは相当に困難ですよ。いったいどこの機関に委託しようっていうんですか」

「〈氏家鑑定センター〉だ」

 ああ、と工藤が納得の声を上げる。

 捜査一課で〈氏家鑑定センター〉の名を知らぬ者はいないだろう。元科捜研の氏家京太郎が興した民間の鑑定センターで、あろうことか科捜研の現職やOBをヘッドハンティングして錚々たる陣容を誇る。豊富な資金力にものを言わせて最新鋭の分析機器を揃え、聞くところによれば科捜研の設備を軽く凌駕するらしい。

「確かに〈氏家鑑定センター〉なら実績は言うことなしでしょう。検察が提出した分析結果を向こうさんに引っ繰り返された前例がありますからね。しかしあそこに分析を委託するとなれば別の問題が起きやしませんか」

「氏家所長の振る舞いか」

「元科捜研という出自も然ることながら、有望な研究員を手当たり次第に引っこ抜いているんでしょう。科捜研の等々力管理官や幡野さんにしてみれば商売敵どころか恨み骨髄の相手じゃないですか。間違いなくひと波乱起こりますよ」

「ひと波乱あるのは村瀬管理官も承知の上だろう。科捜研のプライドより捜査方針を優先させたんだ」

「そういうことですか」

 科捜研が氏家に反感を持ったままであるなら、本部は爆弾を抱えたまま捜査を進める羽目になる。いつ爆発するのか、爆発の規模はどれくらいなのか。考えただけで葛城は胃の辺りが重くなってきた。

「で、委託するのはどのタイミングなんですか」

「たった今からだ。だからお前たちを待っていた」

「げっ」

 宮藤は場も弁えずに妙な声で呻いた。

「安心しろ。名代はお前じゃない」

 今度は葛城が呻きたくなった。

「僕ですか」

「複雑な事情で委託するんだ。人当たりがよくて、先方と揉めそうにない人間に行かせる。微妙な現場判断が求められるから繊細さも必要だ」

 とても褒められた気にはなれない。貧乏くじを引かされたのは自分だったのか。

「氏家さんとは揉めなくても、後から土屋さんや幡野さんに睨まれやしませんか」

「お前なら憎まれたところで一時的なものだ。後には残らん」

 理不尽な人選だと思ったが、宮藤は納得顔で反対する気配を見せない。食えない上司と先輩は既に結託している。

 葛城に拒否権はなかった。

 

 

(つづく)