笹川を乗せた選挙カーは外堀通りを抜けて東京交通会館前へと進入していく。既に三省堂書店有楽町店の前は黒山の人だかりで、哀れ書店の客は移動もままならない状態だった。
地下四階地上十五階建ての交通会館は三階が有楽町コリーヌという屋上庭園になっており、辺りを一望できる。選挙カーを狙う狙撃ポイントとしては絶好の位置にあるが、当然そこはSATの隊員たちが配置されている。
葛城は他にも狙撃ポイントがないかどうかを確認する。事前に地図では確認しているが、現場でなければ見逃すポイントがあるかもしれない。
有楽町コリーヌよりも高い位置にある狙撃ポイントも少なくないが、大抵のビルの窓は嵌め殺しになっており、そうでない場所には漏れなく警察官が立っている。前回の反省を踏まえて選挙カーを中心とした半径百メートル以内を警戒範囲として警察官を配置している。従って漏れはないと信じたい。
「葛城さん」
不意に声を掛けてきた者がいる。振り向くと、新見がこちらに駆けてくるところだった。
「新見さん直々の出動ですか」
「指揮官は常に現場に立つべし」
硬い表情で言った直後、新見は破顔一笑した。
「もっとも人手も不足しているのですが」
「お疲れ様です。この場所は警備しやすいですか」
「周囲に高いビルが立ち並んでいるものの大抵の窓からは狙撃できない。唯一開放的なポイントは高架上にある駅のホームです」
葛城は駅方向を見上げてみる。ここからでも利用者が見えるということは、当然向こうからもこちらが丸見えになっている。
「二カ所の改札口とホームは捜査本部のモノが立って不審者を漏れなくチェックしています。駅からの狙撃は困難でしょうね」
「でしょうね。絶好のポイントである有楽町コリーヌはウチの班で固めてあるから、ほぼ死角なしと考えています」
今まで積み重ねてきた経験値からだろう。新見の笑みには自信が宿っている。
一課は気息奄々ですね、と葛城は弱音を吐く。
「選挙に半日、容疑者の洗い出しに半日かかって、まるで余裕がありません」
「余裕がないのはウチも一緒ですよ。何しろ二十人近くの候補者が街頭に立つ度に警戒警備を敷いているので、気の休まる暇がない」
「候補者に合わせて移動しているんですか」
「いえ、候補者が街頭演説に選ぶ場所は大体決まっていて、一時間ごとに交代していく印象です。こちらとしても移動で隊員たちの体力を殺ぎたくないので、同じ場所に待機して警備を強化していますよ」
候補者とともに移動する捜査員と、同じ場所にぴたりと張り付くSATという訳だ。任務の違いは当然配置の違いに直結する。
「お。知事の演説が始まるようですね。わたしは持ち場に戻ります」
新見が今来た道を戻ろうとした時、葛城の背後に控えていた宮藤が思い出したように声を発した。
「新見班長、一つお訊きします」
「何でしょう」
「いつぞや、あなたの隣にいた若い隊員、名前は来栖快彦、でしたか。今回の事案、彼も参加しているんですか」
「ああ、来栖ならあそこですよ」
新見は有楽町コリーヌを指差した。見れば隊員服の来栖が緊張の面持ちで駅前に目を配っているのが確認できた。
「彼がどうかしましたか」
「いや。入隊間もないのに早くも実戦配備というのもハードだと思いましてね」
「実戦は何にも勝る経験値です。早く体験させるに越したことはありません。では失礼」
そして新見が自分の持ち場に戻っていくのとほぼ同時に、笹川の演説が始まった。
『有楽町にお買い物に来られた方、近辺にお勤めの方、ようこそお集りいただきました。東京都知事の笹川義則でございます。ああ、ご声援誠にありがとうございます。立候補の公示からずいぶん経ちましたが、不肖この笹川、公務に忙殺されて』
「宮藤さん、今の質問ですけれど」
葛城は周囲に注意を向けながら問い掛ける。
「来栖さんがどうかしましたか」
「氏家所長が警備部を訪れた際、彼の身内に猟師がいるという話をしたそうだな。それを不意に思い出した」
「宮藤さん、まさか」
「狙撃事件からこっち、情報の刷り込みで、猟と聞くとウィンチェスター銃を連想するようになった。身内がウィンチェスター銃を持っているなら馴染みもあるだろうな」
「来栖さんを疑っているんですか」
「考えてもみろ。ビル風が吹き荒ぶ中、凡そ百メートル先の標的に一発で命中させるんだ。とても生中な腕前じゃない。下手すりゃオリンピック強化選手並みだ。そんな腕前を持つ人間、いったいどこに所属している。まず思いつくのは、普段から射撃を仕事の一部にしている団体か組織だ。猟師、自衛官、そして取り分け特殊急襲部隊SAT」
葛城は自問する。宮藤の論理は飛躍しすぎていないか、私情に流されていないか、偏見に誤導されていないか。
瞬時に評価は出た。
宮藤の話は冷静で、且つ論理的だ。
「これはジレンマだが、SAT隊員の配置場所は対象者を視認できる地点だ。言い換えれば、その地点こそ狙撃ポイントと同一じゃないか」
現場に配置されたSAT隊員は容易に対象者を狙撃できる地点に立っている。
当たり前の事実が葛城を震撼させる。
『就任中、私を誹謗中傷するデマが世間を駆け巡りました。その結果、何が生まれたか。私を信じる人とそうでない人の分断であります。どうですか、皆さん。分断というのは今日の政治課題でありますが、これを意図的に広めた輩は民主主義の敵ではありませんか。都民の皆さんには、そうした安易で俗っぽいデマよりも、都知事としての実績を見てほしい。無論、政治家に言葉は重要ですが、それにも増して重要なのは行動であります。何を言ったよりも何を成し得たかであります』
笹川の演説は続く。
(つづく)