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有楽町での街頭演説は不審者の目撃情報もなく、恙なく終了したらしい。残り二日間、何事も起こらなければ、いったん捜査本部もひと息入れることができる。
氏家は鑑定センターの中で捜査の進捗を見守っていた。何か収穫があればすぐに知らせると葛城が勢い込んでいたので、一両日中には未詳Xが逮捕されるような予感すらあった。
果たして金曜日の正午前、葛城がセンターに飛び込んできた。さては容疑者特定か逮捕に至った報告かと思いきや、彼は顔を合わせるや否や伺いを立ててきた。
「再度、捜査にご協力いただけませんでしょうか」
葛城が憎らしいのは最初に頭を下げてくるところだ。これでは話を聞かなければ氏家が悪者になってしまう。
「依頼された鑑定は報告書とともに現物もお渡ししましたよね」
「ええ。お蔭さまで捜査もずいぶんと進捗しました。中央製鉄所からは七百件あまりのステンレス鋼購入者のリストを提供してもらいました」
「七百件。結構な数ですね」
「人員をやり繰りして二百件ほどに絞りました。購入者の氏名も住所も判明しているので職業もある程度特定できます」
「ステンレス鋼は用途が広範なので、さぞかし様々な職業に分かれているんでしょうね」
「フォーク、スプーン、ナイフなどのカトラリー類を使用する食堂、電子機器類を扱う加工業者、モニュメントやオブジェの素材として利用している芸術家、インプラント用材料として使っている歯科技工士。いずれも個人経営の商売でした」
「いずれも射撃には縁遠そうな職業ばかりですね」
「しかし、それ以外の二十件ほどは職業不明の人物です。僕の担当する件でもあるんですけどね。そこでご相談があります。氏家さんのところで一番3Dプリンターに詳しい人はどなたですか」
「件のバレルどころかウィンチェスター銃まで作成してしまった飯沼くんでしょうね。呼びましょうか」
「是非」
氏家が連絡すると、すぐに飯沼がやってきた。何度か通っている割に初対面であり、葛城は少し意外そうな顔で飯沼を見る。
「先日はバレルの試作品とウィンチェスター銃をありがとうございました。捜査本部では感心しきりでしたよ」
「あ。いや、ホントに、どうも」
褒められることに慣れていない飯沼はしどろもどろに返すのが精一杯だった。
「飯沼さんは3Dプリンターのオーソリティと聞きました。そこでお尋ねしますが、市販の3Dプリンターでステンレス鋼は容易に加工できるものなのですか」
「いえ、全ての3Dプリンターが可能という訳じゃありません。ステンレス鋼や他の金属の加工ができるようになったのはここ最近の話で、メーカーや機種によっても違いがあります。何しろ3Dプリンターはピンキリで、高価だから多機能ということでもないんです。むしろ高価であればあるほど基本性能が高い傾向にあります」
「では個人がステンレス鋼を加工できる機種は値段では見当がつかないのですか」
「メーカーと型式番号さえ見れば凡そ分かりますよ」
葛城はようやく用件を切り出した。
「飯沼さん、わたしと一緒に対象者の自宅を廻ってもらえませんか」
「え」
この申し出には氏家も少々面食らった。
「まだ素性が明らかになっていない二十件ですが、住まいに3Dプリンターがあった場合、ステンレス鋼加工が可能かどうかを見極めてほしいんです」
ああそういう趣旨かと氏家は納得する。仮に部屋の中で3Dプリンターを見つけたとしても、素人では機種もクラスも判別できないだろう。
「踏み込んだ家にステンレス鋼加工できる3Dプリンターがあれば、更に容疑者を絞り込むことができます」
「あのう、所長」
飯沼は助け船を求めるようにこちらを見る。尻ごみしている飯沼には悪いが、研究者たるものラボに閉じ籠りきりでは知見が偏ると考えている。飯沼を外に連れ出すには格好の名目だろう。
後押しをするつもりで訊いてみる。
「葛城さん、捜査は刑事さんが二人一組で行うものですよね」
「ご心配なく。もちろんわたしと宮藤が同行します。飯沼さんは3Dプリンターの機種の確認をしてくれれば結構です」
熱心な葛城に対して、飯沼は未だに腰が引けている。
「でも所長。僕たちの仕事は鑑定であって捜査じゃないって日頃から言ってるじゃないですか」
「飯沼くんに与えられたミッションは条件に合致する3Dプリンターか否かの鑑定であって捜査じゃない」
葛城は我が意を得たりとばかり頷いてみせる。多勢に無勢、二人に押されて飯沼は逆らうタイミングを失った。だが、せめてもの抵抗を試みたらしい。
「でも、俺が捜査に同行している間、依頼された鑑定の仕事は止まってしまいますよ」
「ああ、それは心配しなくていい。僕を含めてセンターの皆で手分けして進めるから」
「ご迷惑をおかけして申し訳ありません、氏家所長」
「何を言ってるんですか。ウチの優秀な所員をお貸しするからには相応の日当を払ってもらいますよ」
今度は葛城が驚く番だった。
「そういう話なんですか」
「何しろ民間企業なものですから。まだ捜査本部に請求書は出していませんでしたね。追加料金として加えておくので、よろしくお願いします」
葛城は仕方ないというように、ゆるゆると首を横に振る。
「課長には僕から伝えておきましょう」
ところが飯沼に視線を移すと、まだ踏ん切りがつかないらしく下を向いている。
「じゃあ、早速僕と来てください」
「それがいい。でも彼にも支度があるので下で待っていてくれませんか」
「ああ、そうですね。では後ほど」
葛城がセンターから出ていくのを確かめると、飯沼に話し掛けた。
「刑事さんたちと一緒に廻るのは嫌かい」
「さっきの話じゃないけど、いくら鑑定の仕事だからって無理がありませんか。〈氏家鑑定センター〉は民間企業なんだし、警察に過分な協力をする謂れはないと思います。ウチは科捜研じゃないんですよ」
「飯沼くんは土屋さんに薫陶を受けたんじゃなかったのか」
「確かに薫陶を受けましたよ。でも鑑識はどうしても現場だし、科捜研はラボの中です。土屋さんの話はすごくためにはなりますけど、やっぱり職域というものがあります」
「まあ、科捜研の連中は概して出不精だったからね。だけど僕はフィールド・ワークに勤しんだ方だった」
「所長は特別ですよ」
「知見を広げようとするのに特別もへったくれもないよ。それに、今回葛城さんたちと行動をともにすることは、必ず飯沼くんにとってプラスになると僕は踏んでいる」
「どういう意味ですか」
「僕らの仕事はなかなか成果が見えないものでね」
氏家は諭すように話し始める。今の飯沼には必要な話だった。
「お客さんから依頼されて鑑定する。鑑定結果によっては、依頼者を喜ばせることもあれば悲しませることもある。揉め事を終息させるかと思えば、新たな火種になったりもする。だから仕事の成果は好悪の両方を見せられる」
「それは俺も知ってます。目の前で鑑定結果を説明した途端、顔色が変わるお客さんが少なくないですから」
だからこそ鑑定の意義を知ってほしいと思うのだ。
「喜ばれようと悲しまれようと、僕たちが真贋をはっきりさせないと解決しない問題が多い。言い換えれば、鑑定の仕事は物事を解決するのではなく、問題の本質を明らかにすることだ。それは社会的な意義でもある。鑑定結果で幸福になる人もいれば不幸になる人もいるけれど、問題の本質が分かればその先に一歩踏み出すことができる。それは多分、飯沼くんが考えている以上に重要なんだ」
飯沼の相槌を確かめながら話す。本人は十二分に理解していないようだが、眼差しが真剣なので続ける。
「世のため人のためなんて言い草は古色蒼然としているんだけどさ、人や社会に何の貢献もしていない職業はやっぱり歪なんだよ」
飯沼はこくこくと頷いてみせる。
「今回の候補者狙撃事件をどう思う」
「卑劣、だと思います」
飯沼は少し考えてから答えた。単純な回答だが真摯でいい。
「うん、僕もそう思う。日中、人で賑わう街中で誰かを狙撃する。対象者は自分が狙われているなんて露ほども思っていないのに。そして銃弾が逸れて全く無関係の人に命中するかもしれないのに。卑劣というのもそのとおりだし、平穏な市民生活を阻害するという点でテロリスト呼ばわりされても仕方がない。飯沼くんが任されている仕事はね、まさに平穏な市民生活を護ることだ。それは警察官や自衛官だけでなく、護る力を与えられた者が義務として行使するものだと僕は思っている」
「護る力。俺にもあるって言うんですか」
「もちろんあるさ。いち早く未詳Xの素性を暴けば、第二の狙撃事件を未然に防げる。それができる最短距離にいるのは飯沼くん、君なんだよ」
俄に飯沼の目が輝き出す。
いいぞ。この輝きを待っていたのだ。
「俺、支度してきます」
「ああ、いっておいで」
ロッカールームに急ぐ飯沼の背中を見送りながら、氏家は我知らず頬が緩んでいた。
不意に翔子の言葉が甦る。
『まるで所長はクラスの担任みたいだなあと思って』
そうだな、橘奈くんの言う通りだ。生徒がやる気を出してくれた時の担任の気持ちというのは、こんな風に心が弾むのかもしれない。
氏家は飯沼が着手している鑑定作業の洗い出しを始めた。
(つづく)