日本警察におけるSATの導入は五十年前に遡る。一九七二年九月五日のミュンヘンオリンピック事件(犯行グループによりイスラエル選手十一人が殺害された)を契機として、全国の機動隊に特殊部隊が設置された。
更に一九九五年の全日空ハイジャック事件での出動に際して特殊部隊の存在が初めて公然のものとなり、翌年四月一日に警察庁通達によりSATの呼称が与えられる。
二〇〇〇年に警視庁SATは第六機動隊から警備部警備第一課に移され、組織編成上で正式に独立した組織となったが、その任務の性質から公表できない情報が少なくない。それでも同期入庁というのは縁が強く、宮藤の名前一つで当該フロアに通された。
「刑事部捜査一課の宮藤警部補ですね」
取り次いでくれたのは宇頭紗英と名乗る隊員だった。最初はSATにも女性がいるのかと驚いたが、警備部警備課に女性のSPも所属しているのだから特別なことではない。女性の少ない捜査一課にいると、どうしても男所帯に慣れてしまうので偏見が生じやすい。自戒しなければと葛城は思う。
「新見班長からお話は伺っています。こちらにどうぞ」
通された別室にいたのは宮藤と同年配の偉丈夫と、二十代と思しき若い隊員だった。
「よう、班長どの」
宮藤がまぜっ返すと、新見はこちらを睨んできた。
「そういう呼び方はするなと言ったはずだが」
「他の隊員たちには班長と呼ばせているじゃないか」
「対外的な時だけだ。チーム内で肩書を呼ばせるのは作戦行動の時くらいだ。それ以外はさん付けで通している」
「相変わらずなんだな。警察はタテ社会の最たるものだっていうのに」
「だからトップダウンは作戦行動の時だけで充分なんだよ」
厳ついご面相とは裏腹に気さくな性格らしい。警視庁では警備第一課長を指揮官として、指揮班、制圧班、狙撃支援班、技術支援班という班編成となっており、各班長は警部・警部補が務めている。ざっくばらんに話し合えるのは同期で、かつ同じ警部補同士だからだろう。葛城は緊張を解いて、二人のやり取りを見守ることにした。
「で、話というのは何だ」
「外崎候補が街頭演説中に狙撃された事件について」
新見は合点がいったという顔で頷く。
「ちょうど、さっきもこいつとその事件について話していたんだ。去年、ウチに配属されたばかりの新人だ」
「よろしくお願いいたします」
若い隊員は軽く一礼しただけで、すぐに姿勢を整える。思えば葛城たちが入室してからというもの、ずっと直立不動のままだった。
「こいつの前では気を抜いても構わんぞ」
「上司ですから」
「堅苦しいとは思うが、礼儀正しいのがこいつの美点でな。我慢してくれ」
「事件の概要は説明不要か」
「未確認の情報もある。使用された弾丸はやっぱり243ウィンチェスターらしい」
「そうだ。聞けば狩猟には最適の銃らしいな」
「素人にも扱えるからな。それにボルトアクションだから狙撃に向いている」
新見はセミオート式とボルトアクション式の違いを懇切丁寧に教えてくれる。
「待てよ。セミオート式では発射の度にシリンダーやピストンが駆動して、撃った瞬間にわずかなブレが生じるというのは理解できた。しかし、遠距離射撃の場合、銃身は固定させておくのが普通だろ」
宮藤は近くにあったテーブルに覆い被さり、狙撃の体勢を取る。
「発射の度にボルトのハンドルを、こう手で引き、また元に戻して次弾の装填を行うだろ。この時、銃身は接地しているから引いて戻す際に上下するはずだ。その動きを敵に察知されるんじゃないのか」
「それは戦場でスナイパー同士が銃撃戦をした場合の話だ。暗殺なら向こうに気取られる心配はない。発射時に振動の少ないボルトアクション式が絶対に有利なんだ。どう思う、新人」
「わたしも同感です」
若い隊員は硬い表情のまま唇を動かす。
「一撃必中を狙う時は呼吸一つ、瞬き一つにも気を遣います。発射時の振動と反動は看過できるものではありません。今から七十年も以前に開発されたウィンチェスター銃が未だに現役なのは、偏にその低振動低反動ゆえです。ロス市警のSWAT(特殊武器戦術部隊)も初期はウィンチェスター銃を採用していたほどです」
仕事柄、彼も銃には滅法詳しいらしい。狙撃に関して皆が一家言を持つというのは本当のようだ。
「なるほどな。じゃあウィンチェスター銃の優位性を知った上で訊くが、今回の狙撃犯の動きをどう考える」
「一見、奇妙に見える」
新見はにこりともせず答える。
「ビル風を除けば暗殺が成功する条件は揃っている。あのまま次弾を撃てば必ず仕留められたはずだ。それなのにどうして中途半端なままで撤収したのか」
「一見と言ったな。つまりお前自身は見当がついているのか」
「標的を外しても撤収していいケースは三つほど考えられる。一つ、不測の事態が発生して急遽退避命令が出た場合。二つ、狙撃手のミスで弾切れが起きた場合」
「狙撃地点は駅前から九十五メートルも離れていて安全だった。現場に下足痕すら残さない慎重な狙撃手が弾丸を一発しか用意していなかったなんて到底考えられん」
「三つ、外崎候補の狙撃は予行演習に過ぎなかった」
やはりそうきたか。
新見の意見と宮藤のそれは完全に一致しており、宮藤もにやりと口角を上げる。
(つづく)