二人は西新宿の都庁へと向かう。アポイントを取ると、「都知事警護のための打ち合わせ」というお題目が奏功したのか、すぐに約束を取り付けられた。
都知事の執務室は都庁七階にあった。七階は会議室や応接室を含む知事フロアだが、執務室だけで約三十坪はあるらしい。
北欧製と思しき応接セットが鎮座する豪奢な部屋で待たされること十五分、宮藤がそろそろ苛立ちを見せ始めた頃、ようやく笹川知事が姿を現した。
「いやあ、どうもどうも。お待たせして申し訳ない」
メディアでは何度も目にするが本人に会うのは初めてだった。
笹川義則七十五歳。現在二期目の現職だが、職員へのセクハラとパワハラ疑惑を受け、逆風の中で都知事選に挑む次第となった。口さがない雑誌は『セ・パ両リーグ制覇!』などというキャプションをつけて揶揄していた。なるほど年齢の割に脂ぎった精力的な顔立ちをしているので、疑惑は真実なのかもしれないと勘繰ってしまう。
ただし現職としての貫禄があるのも事実で、こうして正面に座っているだけで形容しがたい圧力を感じる。
笹川の両隣に恰幅のいいSPを揃えているのも圧力の要因の一つだ。そう言えば都知事に二人の護衛がつくのも、他府県知事には与えられない特権らしい。
「さて、わたしの警護に関してということでしたが、現状で何か問題でもあるのでしょうか」
笹川は両脇のSPを顎で指しながら言う。ちらりと横を見れば宮藤は今にも毒を吐きそうな顔をしている。ここは自分が話を進めた方が得策だろう。
「知事は先日発生した外崎候補狙撃事件を憶えていらっしゃいますか」
「ええ、鮮明に。選挙運動中の狙撃は民主主義の根幹を蔑ろにするものと、憤慨しておりました」
「捜査本部では、外崎候補の事件で終わりだと断定していないのです」
葛城は狙撃犯の真の狙いは都知事選ではないかと疑っている旨を説明する。黙って耳を傾けていた笹川は眉一つ動かさなかった。
「つまり警護というよりは、わたしに街頭演説を控えるようにとの勧告という趣旨ですな」
「お話が早くて助かります」
「街頭演説自粛の勧告はわたしだけですか」
「いえ、候補者全員に進言しています」
「ふむ。各候補者の返事はいかがですか」
「知事が最初なのです」
「それはわたしが標的の最有力という解釈でよろしいですか」
「少なくとも世間に与える影響は計り知れないでしょう。このような言い方は失礼ですが、もし狙撃犯がテロリストじみた妄想を抱いているのであれば、知事以上の標的は見当たりません」
「とりあえず光栄、と言っておけばよろしいのかな。まあ多分に物騒な話ではあるけれど」
笹川は不敵に笑ってみせる。
「犯人の目星はついているんですか」
「残念ながらまだです。ですが、様々な要因から絞られてはきています。詳細は捜査情報であるため、お伝えできないのですが」
「逆に言えば、犯人の目星がついていないからこそ、大事を取って候補者を表に出すまいとしている。違いますか」
「捜査本部の意向を受け容れていただけるのなら、どのように解釈されても結構です」
「警察官としての模範解答ですな。誠に頼もしい」
笹川は額をてらてらと光らせながら答える。口調も鷹揚だ。ただし目は笑っていない。
「葛城さんと言われましたね。あなたの真摯な申し出は非常に有難い。本来であれば一も二もなく承諾したいところです。ただし、その申し出は国および警察の基本方針に背くものではありませんか」
「どういう意味でしょうか」
「テロとは闘う。テロリストとは一切交渉しない。これが国および警察の基本方針と捉えてよろしいですか」
「結構です」
「人々に恐怖を植え付け、生活から日常を奪い去り、準戦争状態を醸成させる。テロの目的とは、そういう定義でよろしいですか」
「概ね正しいと思います」
「先ほど『狙撃犯がテロリストじみた妄想を抱いて』と仰いましたが、選挙期間中であるにも拘わらず街頭演説をしないというのは、明らかに日常を奪われた状態じゃありませんか。つまりその時点でテロリストじみた犯人は目的を達成していることになります」
葛城は返事に窮する。多少の曲解はあれども、狙撃を恐れて選挙活動ができないというのはまさしくテロに屈したかたちと言えるからだ。
「わたしも候補者の一人ですが、現職の都知事でもあります。そのわたしがテロ怖さに都庁に閉じ籠っていては、それこそ犯人の思う壺です。都民はわたしに不信感を抱き、その不信感は都政の不信感に直結もします。首長として許されるものではありません」
「しかし知事。もし犯人の標的が知事であった場合、狙撃される危険性があるんですよ」
「テロと闘うのなら、逃げるのではなく対峙しなくてはならないでしょう。そのために、あなた方警察が存在する」
笹川が口にしているのは原則論だ。首長として原則論を語ることほど容易いものはない。だが原則論を盾にされては、葛城たちが説得に足を運んだ理由が無に帰してしまう。
「仰る通りです。しかし万一のことがあれば、その間、都政は空白を生じることになります」
「万が一の時のために副知事が存在します。心配には及びません」
これもまた原則論であり、抗弁するには捜査本部の内情を訴えるしかない。しかし末端の捜査員に過ぎない自分が口にするのは憚られる。
やはり首長を務めるような政治家には理屈では勝てない。どう攻略しようかと考えを巡らせる間にも笹川の言葉が続く。
「今のは現職都知事としての立場から申し上げましたが、一方で知事選候補者の立場もあります。都議会は保守派の牙城であり、民生党議員に当選させると、都政の運営にねじれが生じます。現状、都はいくつもの政治課題を抱えており、速やかに解決するには議会との連携が必要不可欠となります。断じて負ける訳にはいきません。そのためには都民に直接語りかける街頭演説は欠かせません」
「都知事ほどの知名度があれば、わざわざ街頭に出ずとも圧倒的に勝てるのではありませんか」
「選挙を知らない者の言い草ですね。実際、何度やっても選挙というのは投票箱が閉まるまで結果が分かりません。前回も当選間違いなしとの下馬評だったのに、当確が出たのは開票から一時間後、こちらとしては薄氷を踏む思いでしたからね」
油断をしたら勝てる選挙も勝てなくなる。そういう理屈だ。本人は口にしないが、いかに現職とはいえ、スキャンダルを取り沙汰され逆風吹き荒ぶ中での選挙は、やはり不安なのだろう。
「一応の対抗馬と目されている福海都議ですが、彼は野党議員の中でも目立った存在で、政治的手腕は未知数ながら議会での発言は外連味があって注目度も大きい。決して無視できる存在ではありません」
「福海候補が対抗馬であれば、ますます街頭演説は欠かせないという訳ですか」
「更にわたしには不名誉な疑惑が取り沙汰されており、今回の選挙はその信任を問う選挙でもあります。わたし個人の尊厳も関わっており、負ける訳にはいきません」
正論と建前は最強だ。最強だからこそ振りかざすのは大人げない。だが余裕のない場面では行使せざるを得ない。笹川にとって今回の知事選は余裕のない選挙ということなのだろう。
横を盗み見ると、宮藤も困惑気味だった。葛城が説得に難渋していたら援護射撃するつもりだったのだろうが、笹川のけんもほろろの対応に攻めどころを見つけられない様子だ。
執行機関の長といち公務員とでは背負うものと言葉の重みが違う。彼我の差をまざまざと見せつけられた格好だった。
二人が手をこまねいているさまをみてか、笹川はわずかに口角を上げる。
「お困りのようですね」
「投票日までにはまだ十日間もあります。全候補者を警護するのに、いったい何人の警官を動員しなければならないか、必死に計算しているところです」
「では一つだけ朗報を。少なくともわたしに関しては七日分の警戒警護を考えなくても結構ですよ。わたしは最終日を含めた三日間だけ街頭に出ようと思っています」
笹川の顔からは感情が読めない。弛緩した表情が余裕なのか虚勢なのかも判然としない。
「都知事としての仕事が山積しているものでしてね。十二日間の日程を全て選挙活動に充てたいところだが、そうもしていられないのが現状です。面目次第もない」
半分本当で半分は嘘だろう。
現職と新人の闘いはどうしても現職が有利だ。現職は実績を誇るだけで済むが、新人は実績を引っ繰り返すだけの理屈と情熱が求められる。よほどの知名度と弁論術を持っていたとしても苦戦を強いられる。
セクハラとパワハラ疑惑を追及されている笹川にすれば、下手に街頭演説で野次を飛ばされるより「都政の仕事に邁進していた」と抗弁した方が好感度を得られる。現職の強みであり、強みを利用しない笹川でもない。
「ご協力、感謝します」
葛城はそう答えるのが精一杯だった。
(つづく)