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「もう上がるか」
新見の合図で隊員たちはめいめいに練習を切り上げ始める。
未詳Xも銃器の確認を終えてから射撃訓練場を出る。
「今日は珍客だったな」
新見から話し掛けられ、反射的に頷く。自分としても、まさか民間の鑑定センターの人間が参考意見を聞きにくるなどとは思ってもみなかったのだ。
「捜査本部が民間に鑑定を依頼したんですね」
「科捜研の人員や設備が拡充してからは珍しいな」
「それだけ捜査状況が思わしくないのでしょうか」
「困った時には藁にも縋りたくなる。だが、あの氏家とかいう所長は決して藁じゃなさそうだったな。狙撃銃の感触について質問されたのは初めてだった」
「科捜研であれ民間の鑑定センターであれ、分析するのはもっぱら物的証拠だとばかり思っていました」
「俺もだ。だから話せる限りは話した。連射なし、単発の狙撃ならば自作の銃でも可能なんてのは、俺の個人的見解に過ぎないんだけどな」
「自分も班長と同じ意見です。おそらく班の全員がそうではないでしょうか」
「ただし口にできなかったこともある。狙撃手としての資質だ」
新見は物憂げな顔つきをする。
「自作のウィンチェスター銃で百メートル先の標的を狙撃できるかどうか。氏家所長の質問の趣旨に沿って俺は回答したが、実は銃そのものの性能よりも重要な、狙撃手の腕については避けた。おそらく氏家所長も、そのことに気づいていたはずだ」
「何故、お二人とも言及されなかったのですか」
「ビル風が吹く中、九十五メートル先の標的を一発で命中させる。しかも旧式のウィンチェスター銃を使ってだ。そんな腕前の狙撃手は限られている。自衛隊かオリンピック強化選手くらいのものだろう。容疑者はその範疇にいる」
「捜査本部はそれに気づくでしょうか」
「鑑定センターの所長も、その前提で話をしていた。捜査本部の連中が気づかないはずもない。今頃はとっくに容疑者リストを作成しているかもな」
新見はそう言い残すと、廊下の向こうへ去っていった。
普段は豪放磊落を装っているが、いざ己の周辺がキナ臭くなると途端に臆病な警戒心を露呈する。案外、見掛けほどは肝が据わっていないのかもしれない。
容疑者は『自衛隊かオリンピック強化選手くらいのもの』と言ったが、新見は意図的に或る可能性を口にしなかった。
我々SATに所属する狙撃手こそ容疑者リストの上位にくるのだ。新見ともあろう者がそれを失念するはずがない。
恐いのだ。自分の身内に狙撃犯がいる可能性を認めるのが恐ろしいのだ。
新見班長、あなたは人としては敬愛できる人物だが、警察官としては甘過ぎる。諸々の条件が合致すれば妻や子供も疑わなければならないのに、あなたは現実から目を背けて逃げようとしている。己の身近にいる者に疑惑の目を向ければ、すぐに事件は解決するかもしれないというのに。
新木場射撃訓練場から東陽公舎までは目と鼻の先だ。普段であれば公舎に帰って汗を流したいところだが、今日は別の仕事が待っている。
バスを途中下車し、部屋を借りている雑居ビルに向かう。集合ポストには事務所名が並んでいるが、自室のプレートだけは偽名が表示してある。
エレベーターはなく、すれ違うのも難しいような狭い階段を四階まで上がる。一番奥が自分の基地だ。
ほとんどの部屋が事務室として使われているせいか、同じ階の部屋はいずれも人けがない。作業をするにはうってつけの時間帯だ。
中に入ると、鉄とグリスの臭いが鼻腔に飛び込んできた。1Kの狭い部屋だが、鉄筋コンクリート造で防音性能が高いので自分には好都合だった。
ワンルームの中央には作業台、その上に鎮座しているのが3Dプリンターだ。あの氏家という鑑定センターの所長が、ウィンチェスター銃の自作に言及したのなら慧眼と言うべきだろう。元よりウィンチェスター銃は骨董品扱いされるような代物で、わざわざ暗殺用に使う者はまずいない。
だが標的を貫く弾丸は243ウィンチェスターでなければならない。
『邪魔だ、退けえっ』
あの時、特設ステージでスピーチをしていた議員の一人が前を走る祖父を押し倒した光景は、今でも目蓋の裏に焼き付いている。一日としてヤツの顔を忘れたことはない。あいつこそ自分の仇敵だ。だが、まさかあの議員と東京で出逢えるとは夢にも思わなかった。きっと祖父が巡り合わせてくれたに違いない。
祖父と、神に感謝したい。お蔭で積年の恨みを晴らせる。
暗殺を思いついた当初から使用する弾丸は243ウィンチェスターと決めていた。祖父が狩猟に愛用していた弾丸だ。復讐にこれ以上相応しい弾はない。
問題はライフルの方だった。今でもウィンチェスター銃はわずかながら流通しているが、正規に購入すれば当然記録が残る。祖父の愛用していた銃は遺品としてもらい受けたが、修理不可能なほどに朽ちていて使い物にならなかった。無理に修理できなくはないが、専門の銃器職人に任せなければ命中精度が落ちてしまう。
そこで3Dプリンターの出番だ。金属3DプリンターならABS樹脂やエポキシ樹脂のみならず金属まで素材にしてしまえる。銃身の分解ならお手のものだ。早速、形見のウィンチェスター銃を分解して、3Dスキャナーでデータを抽出する。スキャンしただけでは正確な寸法まで再現できず、ノイズが混じっていることも多いので3Dデータを修正する。
次にSTL方式に変換したデータを更に造形ツールパスデータに変換し、3Dプリンターに読み込ませる。後は素材を筐体に入れて造形を始める。既に外崎候補狙撃の際に使用した銃の3Dデータは保存してあるので、同じものを何挺でも複製できる。
材質には拘りたい。真鍮製が多いバレルをステンレス製にしたのも拘りの一環だ。強度に優れており、温度や湿度による変化も少ない。
だが未詳Xは更に精度に拘り抜く。便利であるのは認めるが、3Dプリンターに全幅の信頼を置けるものではない。やはり銃の製造や微調整は大手銃メーカーや銃器職人の右に出る者はいない。所詮素人の拵えた銃は長期使用に不安が残る。
だから外崎候補狙撃に使用したバレルは、さっさと新品に取り換える。いくらでも複製が造れる3Dプリンターの利点はここにある。
筐体の中に素材となるステンレス鋼を入れる。純度が低いという理由で商社が市場に流したものを、匿名で購入した。宛先はこの作業場にしてあるので偽名でも郵送物が届く仕組みだ。
スイッチを入れると、プリンターが造形を開始する。まだまだ3Dプリンターが目新しかった頃は盛大な作動音を立てていたらしいが、最新式のものは実に静謐で心地よい。実際、音漏れが危惧されるのはライフルの分解と組み立てくらいだ。無論、慎重には慎重を期しているから、隣室に気づかれる可能性は少ない。
バレルが成形されていくさまを観察しながら、計画の詰めに入る。
外崎候補を襲撃した反応で、今回の都知事選はより警備を厳重にせよとの通達が回っている。素晴らしいことだ。お蔭で各候補者の活動スケジュールが全て筒抜けになっている。場所と時間が確定していれば狙撃計画も容易に立てられる。まさか狙撃犯がSATの中に潜んでいるとは誰も想像するまい。
ヤツを射殺するのはあくまでも復讐だ。目的はテロではないから、劇場効果を狙う必要もない。従って多くの聴衆を集めるであろう場所は避けても構わない。
だがそう考えた直後に、待てよと思った。
聴衆の数と警備に配置される人員は比例する。場所が新宿駅前や秋葉原のような街であれば数万人単位で人が集まる。当然、警戒態勢も拡大されるに違いない。
だが警戒の目は候補者一点に注がれている。逆に言えば、SATのいち隊員の振る舞いに気を留める者などいなくなる。却って好都合なのではないか。
ふと不安に陥る。
あまりにも都合が良過ぎる。
もちろん、実行可能であるような計画を立てたのだから、自分に都合がいいのは当然だ。だが、そこに陥穽が潜んでいる。
狩りと一緒だ。獲物の習性を熟知し、地形を頭に叩き込み、慎重を期していても、ほんのわずかな油断で逃げられるか、甚だしい場合には逆襲に遭って痛い目をみる。
上手く事が運んでいると感じている時こそ細心の注意を払わなければならない。だが計画を詰めているさ中にも、重要なピースを嵌め忘れているような欠落感がある。
どこに抜けがあるのか、考えても見つからない時には狩人としての本能に頼る。
不安の元を探っていくと一人の男に辿り着く。あの氏家という鑑定センターの所長だ。新見班長と話しているのを聞いていたが、彼によれば氏家は容疑者についてかなり明瞭な像を思い描いている。外部の人間だから警察やSATに肩入れもしていない。しかも使用された銃が自作であるのをとうに見抜いているらしい。
邪魔者は排除するという考えもないではないが、自分は祖父の仇を取りたいだけであり、テロリストの真似事をしたい訳ではない。何とか氏家の追及から逃れながら目的を達成させるべきだろう。
各候補者の選挙活動は既にタイムテーブルに落とし込み、一目瞭然の表にしてある。
未詳Xは表の上を指で辿りながら、ようやく決行日と場所を定めた。
(つづく)