「ご通行中の皆様あっ、外崎伺朗でございますうっ」
外崎の第一声がマイクを通して広場に響く。ラッシュ時を過ぎたJR小岩駅前は買い物客が行き来しているが、街頭演説に足を止める者は数えるほどしかいない。
「私、この度、都議会議員補欠選挙に立候補いたしました。これが三度目の立候補でありますが、未だに初心を忘れぬことなく、しかし議員として奉職した二年と五カ月は確実に私の政治力となっております」
目の前を幼女連れの主婦が通りかかる。女の子が興味を持ったらしくこちらに目を向けると、母親は「見るんじゃありません」と叱って無視を決め込む。
急ぎ足で駅に向かっていた四十代と思しきサラリーマンは通り過ぎる寸前、「朝っぱらから近所迷惑なんだよ、セクハラ野郎」と吐き捨てていった。
無視と罵声、いずれも辻立ちに立てば漏れなくついてくるものだが、外崎の場合はいささか事情が異なる。任期四年の都議会議員を二年五カ月で辞めざるを得なかったのは、手前が蒔いた種によるものだ。女性職員を度々ホテルに誘うのはまだ軽い方で、致命的だったのは会社員時代に買春ツアーに参加した他複数の醜聞が発覚したことだった。幸い証拠不十分で起訴は免れたものの、都議会全会一致で辞職勧告決議が採択され渋々従った。以来一年余、浪人の身分に甘んじていたが都議が一人急逝したために補欠選挙が公示され、外崎は一も二もなく立候補した。
「都議会議員は国会議員ほど恵まれておりません。何なら自宅でトレーダーをするなり自営業をしていた方がずっと楽なんです。それに拘束時間も長いし、個人的にSNSでも開設しなければ、なかなか日々の仕事を理解してもらえない。労多くして実り少ない仕事の一つと言えましょう。それでも尚、私が補選に立候補するのは何故か。それは偏に都民の暮らしを向上させたい一心からなのであります」
都議会議員ほど美味い商売はない。東京都は自治体の中でも最大の税収を誇り、議員一人に対する報酬も月額百二万五千円と最高額だ。期末手当を含めれば年収は約千六百六十万円にも上る。これに加えて政務活動費がやはり最高額の月額六十万円、会議等に出席するための交通費が費用弁償として一日当たり一万円が支給される。合計すれば実に年間二千四百万円以上が議員一人の懐に入ってくるのだ。
「今の都議会を見て、都民の皆さんは何を思いますか。遅々として進まない改革、都庁のプロジェクションマッピングに象徴される税金の無駄遣い、偏った信条に基づいた政治、おかしいとは思いませんか。都庁の壁面に光を当てるだけで九億円もの予算が計上される。全く、都民の血税を何だと思っているのでしょうか」
都議に当選したからといって身を粉にして働く義務もなければ、都政の改革に努めなければならぬ謂れもない。多数派主流派の流れに沿っていれば自身の立場が危うくなることもなければ、貧乏くじを引くこともない。TOKYO MXあたりが都議会中継している時だけ進歩的な弁舌を披露すれば事足りる。
「今や独裁の根城となった都政を放置することはできません。都政を変革できる者は、この外崎伺朗をおいて他にはありません」
「バーカ」
通りすがりの若い女性が汚物を見るような視線を投げて寄越す。
「変革じゃなくて変態の間違いだろ」
とかく世間は好印象よりも悪印象を憶えているものだ。アンチの言うことなどお囃子くらいに考えていれば気にならない。
「ありがとうございます! たった今沿道の方からご声援をいただきました。ありがとうございます、ありがとうございます」
罵声を浴びせたいなら浴びせればいい。当選さえすれば官軍だ。以前に発覚したスキャンダルさえ、選挙に勝てば禊が済む。
人通りが絶え、外崎の周囲から一瞬人影が消える。実行する気もなければ実現できる気もしない公約を告げようとしたその時だった。
何の前触れもなく、突然左肩に激痛が走った。
神経痛かと思ったが、痛みを発する箇所が燃えるように熱くなり、外崎は堪らずその場に座り込む。
片側だけジャケットを脱ぐと、シャツの左肩に開いた穴から血が滲み出ていた。
撃たれた。
そう意識した途端に視界がぼやけ、外崎はアスファルトの上に倒れた。誰か女性の悲鳴が遠のいていく。
*
選挙演説中、候補の一人が狙撃された。
一報を受けて、巡回中の機捜(機動捜査隊)と次いで小岩署の強行犯係が現場に到着する。駆けつけた庶務担当管理官は周囲の状況から事件性を確信し、警視庁捜査一課の桐島班が臨場するに至った。
「まさか外崎伺朗が撃たれるとはな」
狙撃された本人は最寄りの救急病院に搬送され、アスファルトの上には人型に記された印と血痕だけが残されている。今もなお銃弾の捜索が続けられ、宮藤賢次は歩行帯の上から血痕を見下ろしている。
「まさかというのは、どういう意味ですか」
同行していた葛城公彦が問い掛ける。宮藤は時折毒舌を吐くことがあり、長らくコンビを組んでいる葛城にも真意が読めない場合もある。
「狙撃の標的にしては小物過ぎるんだ」
撃たれた本人には聞かせられないと思った。
「国政に大きく関わっている議員、あるいは強大な権力を握る首長、もしくは県政を左右するような候補者ならいざ知らず、外崎伺朗なんて買春疑惑どころかスキャンダルのデパートであるのが発覚して自滅した泡沫候補だぞ。今度の補選だって当選するかどうかは危ういと言われていた。本命にも対抗馬にもダークホースにもなれない候補を、どうして暗殺しなきゃならない。道理に合わないだろう」
宮藤の言葉は辛辣だが疑念は葛城にも理解できる。
「政治的な理由じゃないかもしれませんね」
「だとしたら、襲撃の手段に疑問が残る。憎い相手を排除するにしても射殺というのは極端過ぎる。狙撃の腕が問われるし、そもそも銃や弾丸の入手が困難だからだ」
「そうなると、容疑者は銃の入手が比較的容易な人物に限られてきますね」
「反社会的勢力の人間か、あるいは銃を自作できる人間だな。もちろん狙撃の実行犯だけを疑っている訳じゃない」
「指示役がいる可能性ですか」
「その場合、撃たれた外崎本人も容疑者リストに載せなきゃならん」
突拍子もない言葉だが、発言の趣旨は分かる。
「外崎候補の狂言である可能性ですか」
「そうだ。選挙運動中に撃たれたとニュースになれば同情票が集まり、当選の目も出てくる」
「確かにそうかもしれませんけど」
「葛城の言いたいことは分かる。狂言にしても、狙撃ではリスクが大き過ぎるんだろ」
「銃弾は被害者の左肩を貫通していました。それほど貫通力のある弾丸です。少しずれていたら心臓を撃ち抜かれて即死ですよ。いくら何でも博打が過ぎます」
「しかし実際には左肩の損傷で済んでいる。この事実は心に留めておくべきだ」
宮藤は現場周辺をぐるりと見回す。
「弾丸が見つかれば射入角度から射撃地点が推定できる。射撃距離が分かれば犯人の腕前も分かる。そうなれば自ずと容疑者は浮かんでくる」
いつもながら論理的な思考だが、一つだけ要点が抜けていると思った。
「射撃の腕前はともかく、銃の入手という点はもっと範囲を広げなきゃいけませんね。宮藤さんの言った通り、最近は自作した銃で犯罪を起こす者も出ていますから」
すると宮藤は悩ましい表情を見せた。理由は明らかだ。銃砲の類は合法なものであろうと非合法なものであろうと、比較的所有者を辿りやすい。しかし自作されたとなると、その製造方法が多岐に亙る事情も手伝って洗い出しが困難になる。
「せめて狙撃犯が玄人であるのを祈るばかりだな」
鑑識の動きを見る限り、銃弾の発見にはまだ間がありそうだった。宮藤と葛城は外崎が緊急搬送された病院へ向かう。
(つづく)