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五 確定

 

 

 

『湯島にお住いの皆様、ご通行中の皆様。お騒がせしております、東京都知事候補の福海、福海誠也でございます。福海本人がご挨拶に参りました』

 鑑定センター内部は防音仕様であり、ビル自体もコンクリート造なのでそうそう外を走る選挙カーの声が入ってくることはないはずなのだが、ここまで聞こえるからには相当な音量で流しているに違いない。氏家は珍しく苛立つ。

『福海、最後のお願いに参りました。都民の皆さん、どうですか。今の笹川都政に満足ですか。セクハラとパワハラで真っ黒になった都庁を誇りに思えますか。東京都という古い船を動かせるのは古い水夫ではありません。私です。私、福海誠也こそが東京都の舵取りをできるのであります。次の日曜日、投票日には是非ともこの私に清き一票を』

 都知事選は早くも終盤戦に差し掛かっているのに、氏家たちは未だ分析を終えていない。狙撃に使用された銃にSUS403のマルテンサイト系ステンレス鋼のバレルが装着されていたのを突き止めたまではよかったが、コンマゼロゼロ以下の微量な不純物の正体がまだ不明のままなのだ。

 分析を頼んだ相倉はラボに閉じ籠ったまま、碌に姿を見せていない。分析が終わらなければ次の作業に進むこともできず、氏家はここ数日落ち着けない毎日を過ごしている。

 自分が加われば分析が早く済むのは分かっているが、氏家はじっと我慢している。ここで口を出せば捜査本部からは感謝されるだろうが、相倉が育たない。

 思えば科捜研時代、氏家はいくつかの失敗をした。その一つが介入だ。部下や後輩が作業に手間取っていると、つい効率を考えて手出しをしてしまう。結果的にスケジュールは短縮できたものの研究員のスキルアップを阻んでしまった事実は否定できない。

『確かに君は優れたプレーヤーかもしれんが、優れた監督にはなれそうにもないな』

 当時の所長は氏家の資質をこう評した。実際、氏家の下で働いていた研究員の間では「氏家主任の通った後にはペンペン草も生えない」とよく呆れられていたのだ。

 本人は指導するよりも実践する方が有意義と思っていたので気にも留めなかったが、自ら鑑定センターを立ち上げた際には考えを改めなければならなかった。何故なら民間企業の一番の財産とは資金や設備ではなく、人材だと思い知ったからだ。

 もう二度と同じ轍は踏むまい。

 結果を焦ってはならない。

 そしてその日の夕方、ようやくラボから出てきた相倉が疲れた笑顔を浮かべていた。

「分析、終わったみたいだね」

「苦労しました」

 相倉は分析表を氏家に渡すと、手近にあった椅子を引き寄せた。

「SEM(走査型電子顕微鏡)でやっと認識できる対象物ですからね。試料としてミクロ過ぎるんですよ」

「愚痴を言えるのは、頑張った者の特権だよ」

 早速分析表を開いてみる。不純物の正体はページの一番下に明記されていた。

「ジルコニウム、か」

 ジルコニウム、原子番号40、元素記号Zr。チタン族元素の一つで、常温で安定した結晶構造を持つ。銀白色で耐食性があり、空気中では酸化被膜ができて内部が侵されにくくなる。高温では、酸素、窒素、水素、ハロゲンなどと反応して多様な化合物を形成する。

「ステンレス鋼の製造は原料→溶解→精錬→連続鋳造→圧延、表面仕上げという工程なんですが、おそらく原料から精錬までの間に不純物が混入したと考えられます」

「僕もそう思う」

「通常、金属加工の工場では原料はかなり厳格に管理されているところがほとんどと聞きます。それにも拘わらず不純物が混入するのは、そもそも当該の工場がジルコニウムを大量に扱っていない限り考え難いケースです」

「いい読みだね。同意しよう」

「たとえば二酸化ジルコニウムの用途は白色顔料や圧電素子、コンデンサー、ガラス、差し歯やブリッジ、セラミックの刃物などの材料になりますがいずれも対象が小さなものばかりで、可能性がゼロとまでは言えなくてもセラミック製造の過程で混入する確率はおそろしく低いと思われます」

「それも同意しよう」

「逆の言い方をすれば、混入の可能性が高いのはジルコニウムを大量に扱っている製造工場です。ではジルコニウムを大量に扱っているのはどこかと言えば、原子力発電関連になります」

 氏家は我が意を得たりとばかりに頷いてみせる。

 ジルカロイと呼ばれる合金は原子炉の燃料棒や沸騰水型原子炉用燃料集合体のチャンネルボックスの材料として利用されている。原子力関連を候補に挙げた相倉の判断は褒めてやっていい。

「そこで、大手メーカーで原子力関連に関わっている業者をピックアップしました」

「いいね」

「西芝エネルギーシステム、山崎重工、HMIソリューションズ、中央製鉄所、東山化工機。それぞれの会社が販売している金属素材を全て取り寄せ、分析を試みました」

 矢庭に相倉の顔が輝く。難問の解答を見つけ出した学生の顔だった。

「該当があったんだね」

「唯一、中央製鉄所で製造しているステンレス鋼の成分にジルコニウムが不純物として含有されていました。試料の成分分析とも一致しました。問題のバレルは中央製鉄所で製造、販売されたものとみて間違いないと思います」

「上出来」

 氏家は親指を立てて、相倉の出した結論を評価する。独自でその結論に達したのなら称賛に価する。

「じゃあ次はどうするんだい」

 そこで相倉の笑みが消えた。

「問題はそこからなんです。同社のサイトで確認したんですが、ステンレス鋼の販売は各営業所直売とネット通販の二種類があります。直販の顧客というのは大量に買い付ける業者がほとんどで、小ロットはネット通販にほぼ限定されているみたいです」

「未詳Xが購入するとしたら、通販を利用するだろうね」

「ええ。だから購入者の一覧が欲しいんですけど、こればかりは。サイトにハッキングする手もないではないんですけど」

「そんなことをする必要はないよ。購入元は中央製鉄所の通販サイトだと、捜査本部に伝えればいい」

「いいんですか」

 相倉は物足りなさそうに唇を尖らせる。折角、購入元まで辿り着いたのだから未詳Xの素性も明らかにさせろという顔だ。

「気持ちは分かるけど、僕たちの仕事は分析だ。捜査は警察に任せればいい。いや、任せるべきだ。僕たちがしゃしゃり出たら警察だって迷惑する」

「民間からの協力という名目で進めればいいじゃないですか」

「仮に分析のブの字も知らない捜査一課の人間がだよ、僕たちが鑑定作業をしている最中に『俺に手伝わせろ』と介入してきたら、どんな気持ちになるだろうね」

 すると相倉は納得したように頭を垂れた。

「すみません、所長。変な方向にアクセルを踏んでました」

「僕は、飯沼くん辺りがいいブレーキ役になってくれるんじゃないかと考えているんだけどね」

 不本意だとでも言いたげに相倉は軽くこちらを睨んでくる。だがきっぱり否定もしないので、満更的外れでもないらしい。

「とにかくお疲れ様。今日はもう上がっていいよ」

「いやあ、未詳Xにかかりっきりで他の案件が全然進んでいませんからね。仮眠だけさせてください」

「納期さえ守れるなら、相倉くんの好きにして構わないよ。それと決して無理はしないこと」

「了解です」

 相倉は再び疲れたように笑うと仮眠室のある方へと立ち去っていく。彼なりの成長が垣間見えて、氏家は嬉しく思う。

 さて、もう一人の進捗状況はどうだろうか。氏家は踵を返して別のラボに向かう。

 ノックしようとする寸前、ドアを開けて飯沼が顔を覗かせた。

「あ。所長、どうも。ちょうど報告しようと思ってたところです」

 飯沼には、判明した成分割合に従った合金からバレルの3D出力をするように指示している。

「ステンレス鋼にジルコニウムが混入していたみたいですね」

 どうやら自分に報告する前に飯沼には伝えていたらしい。飯沼の作業を速やかに進めるためにはその方がいい。第一、目論見通りの合金が入手できないうちは、飯沼もバレルを製作できないのだ。

「相倉くんから聞いたのか。じゃあ、彼が中央製鉄所からステンレス鋼を取り寄せたのも知っている訳だ。それで作業は終わったのかい」

「見てください」

 飯沼に先導されてラボの中に入ると、作業台の上に完成したばかりと思しきウィンチェスター銃が鎮座していた。

 ほう、と思わず感嘆の声が出る。銃身はまさしく資料で見た通りのウィンチェスター銃だ。撃鉄とレバーは真鍮製、銃身の半分を占める木材部分も鮮やかな表面加工に仕上げてある。

「でも木材は3Dプリンターではモデリングできないはずだよね」

「自分で彫りました。正直、バレルの3D出力の数倍も時間を要しました。銃床はM1873と同じアメリカン・ウォールナットです。木質で全体の重量やバランスが変わってしまうので、そこは拘りました」

 珍しく飯沼が得意げなので、試しに銃を構えてみる。銃床の表面は滑らかでありながらもわずかにザラつきが残り、腋で挟んだ際にちょうどいい滑り止めになる。ライフル射撃の経験はないが、銃身が己の腕の延長のようにしっくりと感じられる。

「前にも言ったと思うけど、本当に器用だね」

 飯沼の器用さは鑑定センター内でも折り紙つきだ。口さがない連中に言わせると、図体が図体なので余計にギャップがあるらしい。

「だけど問題はバレルだよ」

「同じバレルを数本作りました」

 飯沼は作業台の抽斗を開けてみせる。中にはステンレス製と思しき同型のバレルが仕舞ってあった。全く同じものをいくらでも簡単に複製できるのが3Dプリンターの最大の利点だ。

「分解して、バレルはすぐ交換できるようになっています。実証実験は複数回行われると思ったので」

「上出来だ。だけど、まさか試射はしていないだろうね。いくら鑑定センター内でも、自作の銃で実弾を発砲したら後で警察沙汰になりかねない」

「実弾でなければいいんでしょう」

 次に飯沼が取り出したのは、実際の243ウィンチェスターと同程度の大きさの円柱だ。持ってみると、実弾とは比較にならないほど軽い。

「鉛でできていますけど中は空洞です。このダミー弾を圧縮ガスで射出する装置を造りました」

 要するにエアガンの仕組みだ。

「殺傷能力は不要で、線条痕を刻むのが目的のダミー弾です」

 飯沼は白衣のポケットから線条痕の入ったダミー弾を摘まみ出す。

「これが試射した弾丸です」

「試料として提供された実弾と比較してみたかい」

「見てください」

 飯沼は別のデスクへと氏家を誘う。卓上のモニターには狙撃事件で発見された弾丸とダミー弾の拡大画像が映し出されている。

「二つの像を重ねてみます」

 飯沼の操作で二つの弾丸の画像がじわりと近づき、重なっていく。弾丸の画像が一つになると、両者に刻まれた線条痕もぴたりと一致した。

「お見事」

 すると飯沼は照れ臭そうに鼻の頭を掻いた。

「これで狙撃に使用された銃が3Dモデリングである可能性大であることを立証できた。もっとも先方が要求していたのはバレルの3Dモデリング程度であって、使用されたウィンチェスター銃の再現までは想定してないと思う。完全にオーバークオリティだね」

「依頼者の期待に沿えたらいいんですが」

「相倉君が、ステンレス鋼の販売元を絞り込んでくれた。それがなきゃ購入者を特定することもできやしない。情報とこの試作銃、それからバレル数本をセットにして捜査本部に渡す。期待に沿うどころか、それ以上の収穫だよ」

「よかったあ」

 飯沼は安堵からか深い溜息を吐く。

「とにかくお疲れ様。今日はもう上がっていいよ」

「いえ、ウィンチェスター銃の3Dモデリングにかかりっきりで他の案件が全然進んでないんです。仮眠だけさせてもらえれば、遅れを取り戻せます」

 相倉の言い分と瓜二つなので、つい笑い出したくなる。仮眠室にはベッドが二台あるので並んで寝るにはちょうどいい。

「納期さえ守れるなら、飯沼くんの好きにして構わないよ。それから決して無理はしないこと」

「了解です」

 いくぶん足元が覚束ないのは、長時間集中していたためだろう。今は好きなだけ眠らせてやろう。

 ラボから出てくると、目の前に翔子の姿があったので面食らった。

 翔子は氏家を悪戯っぽい目で見ていた。さては飯沼とのやり取りを聞かれていたのか。

「僕の顔に何かついているのか」

「いいえ。まるで所長はクラスの担任みたいだなあと思って」

「どういう意味だい」

「クラスでいがみ合っている生徒を何とかして和解させようとしている、面倒見のいい先生」

「最近の担任というのは、そんな仕事までさせられてるのか」

「冗談です。担任だって、そんな面倒なことはしていません」

 翔子は仮眠室のある方角を指して笑う。

「今しがた、飯沼さんが仮眠室に行ったみたいですけど、相倉さんと仲良く同衾ですかね」

「冗談はともかく、二人とも大車輪で頑張ってくれたからね。隣に誰が寝ていようが、関係なしに爆睡するよ」

「これで未詳Xが特定できればいいですね。でないと二人の頑張りが無駄になります」

「分析と鑑定までが僕たちの仕事だ」

「所長ならそう言うと思ってました。でも、やっぱり、自分の仕事が社会に貢献していると実感したいじゃないですか」

「需要がある限り、社会に貢献していない仕事なんて存在しないよ。この世界はね、いつだって真面目で律儀な職人の手で回っているんだ」

 氏家は毎度の持論を口にするが、翔子はどこか不満げだった。建前ばかり聞かされてはつまらないと思うかもしれない。

「あれだけの情報と試作品を渡すんだ。心配しなくても捜査本部は未詳Xを挙げてくれるさ。できなきゃ、僕がねちねち嫌味を言ってやる」

「所長って陽気なのか陰湿なのか時々分からなくなります」

 翔子はくすくす笑いながら立ち去っていった。

 さて、ここからは所長の仕事だ。

 氏家はスマートフォンを取り出すと、警視庁の葛城を呼び出した。

 

 

(つづく)