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「スナイパーにとって予行演習は必要なのか」

「必要かそうでないかと問われれば、断然あった方がいい。標的までの距離、位置、風を含めた外部環境。慣れていれば、その分狙撃の集中力が増す。突発事にも対応しやすくなる。それに相手の出方も予想できる」

「要するに警備態勢か」

「そうだ。予行演習の結果、どれだけ警備が厳重になるのかが判明すれば、次の狙撃時のシミュレーションが立てられる」

「外崎伺朗は全く人気のない候補で、しかも都議の補欠選挙だ。サンプルとしてどれだけ有効なのかは疑問符がつくぞ」

「それでも社会の反応は見えるし、警察の出方もある程度把握できる。今は新聞報道以外にもSNSからの情報発信もある。いや、今ならそっちの方が圧倒的に情報量は多いな。狙撃場所のJR小岩駅周辺を詣でるような不謹慎なユーチューバーも少なくない。そいつらの投稿動画を観れば、情報収集にも事欠かないだろう」

「警察の発表とユーチューバーごときの戯言を一緒くたにするつもりか」

「どちらも真実が百パーセントではないという点では一緒だ。そもそもユーチューバーの言説を信じるようなヤツは、最初っから警察の発表なんざ信じやしない」

 新見の辛辣な物言いを聞いていると、葛城は自分の周りには冷徹な人間しかいないのかと錯覚しそうになる。ひょっとしたら、犯罪を通して現実に接している刑事は皆冷徹にならざるを得ないのかもしれない。

「よし、外崎候補の狙撃は予行演習だったと仮定しよう。その場合、本当の標的は何だと思う」

「それを捜査一課のお前が訊くのか」

「スナイパーとしての心理を知りたい」

 新見はしばらく俯き加減で考え込んでいたが、やがてゆっくりと顔を上げた。

「予行演習と仮定するのであれば、本番の舞台も街頭演説だと考えるのが妥当だろうな。条件が同じか近似でなければ予行演習の意味がない」

 宮藤は無言で頷いてみせる。葛城も新見の極めて論理的な意見に同意するしかない。

「では、標的は誰だと思う」

「それはさすがに分からん」

 新見は両手を上げた。

「今回のような地方議会の補選を含めれば、毎月どこかしらで選挙は行われている。俺は政治には疎いから、どの候補が有利なのか、どの政党が嫌われているのかまるで見当もつかない。そもそも選挙というのは議員に限らない。最近はアイドルの選挙なんてのも当たり前みたいになっているだろ」

「アイドル事情なんて、俺には政治以上にチンプンカンプンだぞ」

「考えられる舞台設定は街頭演説というだけで、標的を特定するまでには至らない。もっとも、それも狙撃手の狙いかもな。舞台が分かっていても、標的が特定できなければ警備を集中させることができない。こちらの思い込みで別の人間に警備を集中させていたら、真の狙撃対象の警備が手薄になることも有り得る」

「厄介だな」

「やり口が中途半端だから、こちらも対応策を絞れない。そういう意味ではおそろしく狡猾な犯人だ。きっちり予行演習だけは済ませておいて、尚且つ捜査する側に焦点を絞らせない」

「果たして、狙撃犯はそこまで考えて行動しているのかね。お前の買い被りじゃないのか」

「買い被りかどうかは、この際関係ない。狙撃犯の思惑は別にして、実際、捜査は暗礁に乗り上げているんじゃないのか」

 新見の言葉は葛城にも刺さる。悔しいがひと言も言い返せない。宮藤も同じらしく、唇の端を歪めて不快感を表明している。

「言いにくいことをはっきり言うな」

「言いにくいことは大抵真実だろうが。そこから始めなきゃ何も進まないぞ」

「よし、現状は狙撃犯の目論見が成功しているとしよう。ところでこの狙撃犯は単独なのか、それとも組織の命令で動いているのか」

 またも新見は考え込む。こうした仕草をまどろっこしいと感じる者もいるだろうが、自身で吟味した上で答えるという姿勢に葛城は好印象を持った。不器用でも真摯な態度だと思ったからだ。

「材料が不足していて回答できん」

 ようやく絞り出した言葉だった。

「現場からの撤収の仕方があまりにも呆気ない。組織ぐるみの犯行なら見事な命令系統だし、単独犯ならウチで採用したいくらいの慎重さだ」

「おいおい。冗談にしてもタチが悪いぞ」

「悪いが、いくぶんかは本音だ。どんな照準器を使ったのかは不明だが、あの状況下で九十五メートルの狙撃に成功する腕前なら、是非ともSATに入隊させたい」

「犯人は一種のテロリストだぞ」

「政治思想なんざ短期間の再教育ですぐに書き換えられるが、射撃のセンスと資質は生来のものだ。得難い人材であることに変わりはない」

「警察が前科者を採用できないのは承知しているだろう」

「だから所詮はないものねだりさ。アメリカじゃあ逮捕したハッカーを政府筋のハッカー対策要員に雇っているというのにな。惜しい話だ」

「狙撃犯のプロファイリングは可能か」

「不可能だ。と言うよりも無意味だな」

「何故だ」

「どんな性格の人間であっても、スナイパーとなる瞬間に人間性は失われる。トリガーを引く時には銃の一部になっているからだ」

 横に立つ若い隊員が無言で頷く。

「照準を定め、呼吸を吐いて、止める。銃身に受ける振動と反動を抑えて、静かに静かにトリガーに触れる。一連の動作は非常に機械的で、そこに感情や性格が介在する隙間はない。優れた狙撃手ほどその傾向が強い」

「正確無比であればあるほど、感情とは無関係という意味か」

「感情が見えなければ、プロファイリングなんて意味がないだろう。それよりも銃器のプロファイリングをする方が、ずっと有益じゃないのか」

「ウィンチェスター銃の素性を洗えっていうのか」

「狙撃に使用されたウィンチェスター銃が市販されているものなのか、それとも自作されたものなのか。仮に自作されたものだとしたら、それだけで組織的犯行かどうかも目星がつくんじゃないのか」

「その観点は既に検討されている」

 宮藤は捜査会議で展開された土屋と幡野のやり取りを再現してみせる。すると新見は半ば感心半ば呆れたように短く呻いた。

「科捜研と鑑識で意見が二分しているとはな。管理官以下、捜査本部も頭が痛いだろうな」

「狙撃の専門家として自作のウィンチェスター銃は使用に耐え得ると思うか」

「もちろんモノによるが、連射を考慮しなければアリだ。本来、銃というのはかなり精密なもので、パーツが少しでもズレると正常に動かなくなる。だが一発発射すれば銃身は振動するし、バレルは摩擦熱で熱くなる。発砲を繰り返せば、バレル内は熱で膨張して歪み始める。歪みが生じれば、当然命中率は落ちる。長距離射撃にはボルトアクション式、近接戦にはセミオート式が使われるのには、そうした理由がある。長距離狙撃は一発必中が前提となるから、逆の言い方をすれば一発だけ正確に撃てるのなら何の問題もない」

「言ってみれば使い捨ての銃か」

「銃に愛着を持つタイプの人間は軽蔑するだろうが、銃を単なる道具と見做すヤツなら何の抵抗もあるまい。要は標的を仕留めるという目的を果たせればいいだけの話だ」

「犯人の狙撃手は前者か、それとも後者か」

「同じことを言わせるな。狙撃手より銃のプロファイリングをした方が結論が早い。それだけは確かだ」

「分かった」

 訊きたいことは全て訊いたという顔で、宮藤は踵を返す。世間話の一つでもすればいいのにと思うが、宮藤にその気はないようだった。対する新見も宮藤の人となりを熟知しているらしく、同期の無愛想に文句も言わない。

「折角、捜査に協力したんだ。目処がついたら教えろ」

「犯人の目処か、それとも使用された銃の目処か」

「どっちでもいい。両方とも興味がある」

「教えるのは構わんが、俺がわざわざ知らせなくても、自動的にSATに報告が上がる可能性がある」

「ウチが捜査に投入されるというのか」

「その時は、もう捜査の段階じゃなくて、犯人確保になるんだろうがな。捜査本部は犯人を半ばテロリストと認識している。テロリストが相手なら、当然のように狙撃班を投入する。マニュアル通りだ」

 矢庭に新見は表情を強張らせた。

 

 

 

 配達業者のサイトを覗いてみると、注文した品物の追跡状況は「配達中」となっていた。

 氏家が荷物の到着を今か今かと待ち構えていると、様子を眺めていた翔子が呆れた口調で話しかけてきた。

「落ち着きがないですよ、所長。ちゃんと午前中に配達されるように手配しているんでしょう」

「それはそうなんだけどね。最新鋭の機器が入るというだけでわくわくするじゃないか」

「例の走査型電子顕微鏡ですよね」

「光学顕微鏡が過去の遺物になるとまでは言わないけれど、今まで見られなかったものが見られるなんて、それだけでも素晴らしいじゃないか」

「だからって、ちゃんと決められた時間内に届くはずのものを待ちきれないでいるのは、何だか子どもっぽく見えます」

 子どもっぽく見えて何が悪い。言い返そうとしたが、それも輪をかけて子どもっぽい言動であると気がつく。

「橘奈くんは最新鋭の機器には、あまり興味がないのかな」

「なくはないですが、所長や他の男子たちほどじゃありません。どんなに分析機器の性能が上がっても、使いこなすのは人間ですから」

「今のは優等生的な回答のようでいて、実は相当に怠惰な態度だ」

「怠惰、ですか。ちょっと聞き捨てなりません」

 氏家の言葉に翔子は耳聡く反応する。無論、その反応を見越した上での発言だった。

「分析機器の世界は日進月歩という話はしたよね。鑑定に関わる僕たちにとって分析機器は、己の目であり耳であり鼻であり舌、つまり五感を代用するものだ。より正確に分析するにはより高精細であることが求められる。無論、分析するのは人間なのだけれど、練達の知見が最新技術で補えるのならそれに越したことはない。分析機器の拙さをマンパワーで補足するという考え方もあるけれど、それは予算の限られた科捜研とかが仕方なくしていることであって、彼らだって最新鋭の機器が欲しいに決まっている。橘奈くんが科捜研にいた時分もそうじゃなかったかい」

「それは、認めます」

 翔子は渋々といった体で肯定する。

「使用していたのが旧型だったから、同じ工程の分析を複数回繰り返して確度を上げていました」

「うん、僕が在籍していた時代もそうだった。でも、同じ分析を五回やって確度を上げるより、分析を一回で済ませて余った時間は他の分析作業に使った方がいいに決まっている。限られた時間を有効に使うのと、個人のスキルを上げるのは別問題だ。そりゃあ科捜研にも鑑識にも人間分析機器みたいな人がいて尊敬もするけれど、だからと言って職場環境が劣悪なままでいいというのは本末転倒だよ」

 畳み掛けられて翔子は逃げ場を封じられたように怯えた顔をする。即座に氏家は反省して口調を緩める。氏家自身、科捜研時代には無駄と思える作業を強制されたので、職場環境が絡んでくると冷静ではいられなくなる。

 更に言えば、最新鋭の機器を導入することで鑑識の正確さが増すのであれば、当事者にとっての福音になる。安かろう悪かろうで行った鑑定が冤罪を作り出す要因になれば、それこそ信用は地に堕ちる。それだけは決して許してはならないことだった。

「ごめんなさい。言い過ぎました」

「いつもながら所長の理屈は正論ですね」

「正論をぶつけるのは正しいことじゃありません」

「わたしは別に構いませんけど」

「橘奈くんを含めて、センターに勤める人たちが存分に働ける職場を提供するのが僕の役目です。最新の分析機器を導入するのは、その一環だと考えてください」

「何だか上手く丸め込まれちゃいましたけど」

「ああ、その先は僕が言うから言わなくていい。その通り、センターの誰よりも僕が一番新しいもの好きなんだよ」

「逃げるのも上手いなあ」

 翔子は笑いながらラボに消えていった。

 

 

(つづく)