二 委託
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会議で土屋と幡野の確執が顕らかになると、捜査本部には要らぬ緊張感が走った。
初動捜査には今後の捜査方針を決める上でも多くの手掛かりと適切な方向性が必要とされる。だが今回のように使用されたライフルや狙撃犯の素性から方向性が二分された場合、小規模組織の捜査陣は混迷を余儀なくされる。
対立した格好の土屋と幡野が、それぞれに一家言を持つ専門家であることも混乱に拍車をかけた。専従となった桐島班の中でも、二人に対する評価が二分したためだ。
「やっぱり科学捜査員の言葉は重い。あの3D画像を見せられると納得せざるを得ないからな。あれは俺たち刑事は無論のこと、ど素人にも分かりやすかった」
「いや、鑑識の土屋さんの説明だって十二分に重いぞ。精緻なデータを見せられた訳じゃないが、M1866からM1895までのウィンチェスター銃をひと通り鑑定してきた人間の知見は疎かにできん」
「あの幡野って先生、いくつも博士号を取っているそうじゃないか。村瀬管理官が呼んだのも事件解決の迅速化を図ってのことだから理解はできる」
「いやいや、持っている博士号の数で捜査の理解度が測れるものじゃあるまい」
「どんなに先進的な理論でも、現場で応用できなきゃ絵に描いた餅だ。その点、土屋さんの知見は地に足がついている」
「要は村瀬管理官がどちらを支持するかなんだが、捜査会議の場で日和っちまったからなあ」
「管理官にしてみれば、自分が招き入れた幡野さんを邪険に扱うことはできないし、かといってベテランの土屋さんの意見を無視もできない。ああいう結論に至るのは仕方ないだろうな」
「地取りと鑑取りを継続するっていうけど、場所がJR小岩の駅前で狙撃されたのが悪評ふんぷんで敵の多い候補者だ。どちらにせよ、現状の捜査本部じゃとても人が足らん」
刑事部屋に屯する捜査員たちの愚痴を背中で聞きながら、葛城は心中で頷く。表立って同調する訳にもいかないが、捜査方針が定まらないのは結構なストレスになる。初動の遅れや混乱は、しばしば迷宮入りの原因になるからだ。
「今頃、村瀬管理官は死ぬほど後悔しているさ」
葛城の心配をよそに宮藤が毒づく。
「首都圏で狙撃事件はそうそう起きるものじゃない。管理官としては早期に解決して実績を誇りたい。だからわざわざ科捜研から幡野さんを呼んだはずが、とんだ逆効果になった訳だからな」
「面白がってたら駄目ですよ、宮藤さん」
「別に面白がっちゃいない」
宮藤はむっとして反論する。
「俺も専従班の一人だから迷惑しているんだ」
不意に、幡野案と土屋案のどちらを支持するのか宮藤に尋ねてみたくなった。
だが寸前に思い留まる。宮藤は普段から口の悪い男だが、統率を乱したり自身の考えに固執したりするような真似はしない。ともに捜査一課のエースと謳われる麻生班の犬養隼人とはその点が大きく異なる。そんな宮藤が軽々しくどちらかを選ぶなど考え難かった。
ちょうどその時、桐島が現れてこちらに進んできた。
「二人とも小岩総合病院に行ってくれ」
すぐにぴんときた。小岩総合病院は外崎候補が担ぎ込まれた救急病院だ。焦って葛城は声を上げる。
「まさか入院中の外崎候補がまた狙撃でもされたのですか」
「それより厄介な話だ。外崎候補が街頭演説を復活させたがっていると、主治医から泣きが入った」
「どうして捜査本部に泣きが入るんですか」
すると宮藤が面倒臭げな顔をみせた。
「医者の指示には従えなくても、警察の命令なら聞くんじゃないかってことですか」
「医者相手に相当ゴネているらしい。説得してくれという要請だが、あの口ぶりだと半ば匙を投げている様子だった」
「医者が匙を投げるようなヤツを俺たちが説得するんですか」
「説得してくれというのは医者の要請だ。外崎候補が不要不急の外出を断念してくれるのなら説得でなくても構わない」
「だったら他にも適任がいるでしょう」
「宮藤が脅して葛城が宥める。それで何人の容疑者を落とした。いつも通りにすればいいだろ」
有無を言わせぬ物言いだった。
二人が病院に到着すると、主治医は百万の援軍を得たような顔で迎えてくれた。
「議員さんやら元議員さんというのは皆、あんな風なんですかね。ウチは虎の門病院や慶大病院と違って、議員さんに慣れてなくって扱いが大変です」
「慣れ不慣れの問題だけじゃないかもしれません」
外崎のお守りにされた宮藤は不機嫌さを隠そうともしない。
「銃弾は貫通したので命に別条はなく、十日間も安静にしていれば退院できるのですがね。十日間では選挙期間が終わってしまうので、今すぐ退院させろとしつこくて」
ベッドの虜囚となった外崎は選挙戦をSNSに切り替えて一定の効果があったものの、本人が満足するほどの成果は得られなかったとみえる。選挙も折り返し地点になり、急に焦り出したというのが真相だろう。
「現状、今すぐ退院したら完治も遅れるのでしょう」
「それは重々申し上げたのですが、今街頭演説ができなければ完治したところで意味がないと仰って」
「全く」
宮藤は捨て台詞を残して外崎の病室へと向かう。葛城は宮藤が必要以上に感情的にならないことを祈るばかりだ。
(つづく)