「その場合は我々のような研究者が、犯罪の高度化を駆逐する技術を開発して捜査員に敷衍すればいいだけの話です」
幡野の話を聞いていると、彼が研究者たる自分に大きな誇りを持っているのが窺い知れる。だが一方で、現場で汗を流す捜査員を高所から見下ろしているような優越感も見え隠れする。
「失礼ですが幡野さん。科捜研での新人教育はどんな風にされているのですか」
「新人と言っても採用が決定した時点で既に研究者の端くれですからね」
科捜研の職員は同時に採用された警察事務職員らと一カ月間を各都道府県警の警察学校で過ごし、警察職員として必要な基礎知識を学ぶ。つまりスタートは葛城たち警察官とほぼ同じだ。その後、警察庁科学警察研究所の法科学研修所で約三カ月の基礎研修を受けた後は、年数とともに現任科、専攻科と段階を踏み、一定の技術レベルを習得した暁に全国の科捜研に送られる。
「現場では鑑定機器の取り扱いを説明する程度ですよ」
座学と研修だけで専攻も決められる点が警察官とはずいぶん事情が異なる。OJT(On-the-Job Training)の必要性に大きな相違があるのだ。
「聞けば、新人警察官は現場に投入された途端に辞める者がいるというじゃありませんか。OJTが新人には苛酷である証左の一つですよね。そうした不具合を是正するためにも、ベテラン捜査員と新人の力量差を埋める技術が必要になってくる。わたしの提言、理解していただけましたか」
問われた葛城は返事に窮する。
ここまで話していて幡野の人間性の一片が垣間見られた。おそらく幡野に悪気はない。ベテラン捜査員と新人の差異を憂いているのは、純粋に業務効率を考えての本音なのだろう。
あくまでも親切心からの提言。だからこそ余計にタチが悪い。邪心もなく自分の意見が世のため人のためだと信じているから現場からの声にも耳を傾けようとしない。反駁する者は悪だと決めつける。理想主義者によくあるタイプで、論理的だが現実的ではない。
葛城が一番心配しているのは土屋の存在だった。現場叩き上げ、先輩たちから鑑識技術を盗んで会得した土屋こそ、幡野の対極に立つ存在だ。両者が同じ場所に居合わせたら衝突はまず避けられない。
「捜査本部に幡野さんが加わっていただけるのは、僕も大歓迎です」
「いやあ、そう言ってもらうと出動した甲斐がありますねえ」
「ご指摘の通り、捜査一課にはまだまだ旧弊さが残っていて、幡野さんの意に沿わない部分が多々見受けられると思います」
「でしょうねえ」
「いったん固まったかたちを急激に変えようとすると罅が入り、ひどい場合には崩壊してしまいます。外崎候補狙撃事件で捜査本部が立ち上がったばかりで変革を強行しようとしたら、やはり本部は混乱し崩壊してしまう惧れがあります。そうなれば捜査の進捗が遅れ、捕まるはずの犯人も捕まりません。だからしばらくの間は静観していていただけませんか」
葛城は幡野を正面から見据える。失礼な行為であるのは百も承知しているが、今は発奮する幡野を抑えるのが自分の仕事だ。
こちらの気迫に圧されたのか幡野は困惑顔になり、やがて気落ちしたように嘆息した。
「別に警視庁に革命を起こそうってんじゃありません。第一、成功したら革命だけど失敗したらただの反乱ですからね。そんな大それたことは考えていません。ただ狙撃犯の特定に関して、科学捜査員として真摯に対処したいと思うだけです」
「よろしくお願いします」
葛城は頭を下げながら、己が事件捜査以外にも難儀な案件を抱えてしまったのを自覚した。
刑事部屋に戻ると、モニターで狙撃現場の3D画像を見ていた宮藤が顔を上げた。
「ご苦労様」
どうやら葛城の顔色から懐柔工作の成果を読み取った様子だ。
「あの先生を説得できたか」
「取り敢えずは、ですね」
葛城は宮藤の隣に座り、少し恨めしげに睨んでやった。
「ちょっと狡くないですか、こんな役を押しつけて」
「そう言うな。班長が口を出したら科捜研と反目し合うことになる。他のヤツが口を出したら険悪な雰囲気になる。俺が口を出したら掴み合いの喧嘩になる。この三パターンのうち、どれが一番いいと思う」
ジョークだから笑おうとしたが、よく考えれば大真面目なシミュレーションだった。
「どれを選んでもカタストロフじゃないですか」
「だからお前に託したんだ。葛城なら捜査一課と幡野先生の緩衝材にちょうどいい」
島に屯していた他の捜査員が同意の印に頷いていた。
「お前はいい意味で刑事臭くないし、人当たりも柔らかで相手に反論する言葉にトゲがない。あの先生の舌先を丸め込むには適材だよ」
「それ、褒めているんですか」
「捜査一課には滅多に現れない逸材だから、当然褒めている。で、あの先生は何を宣っていた」
「宮藤さんも、幡野さんを先生呼ばわりするのはやめてください。角が立ちます」
別室で幡野から受けたレクチャーを何とか再現してみる。聞き終えた宮藤は不快感も露に腕組みをする。
「科学捜査員の肩書でやってきたのなら、捜査会議にも出席するんだろうな」
「捜査本部の一員ですからね」
「捜査会議には土屋さんも並んでいる」
やはり宮藤の心配も同じところに行き着くか。
「土屋さんの見立てでは、銃は自作であって犯人像を反社会的勢力の関係者と断定していない。一方、幡野先……幡野さんは線条痕さえ追っていけば必ず犯人に辿り着けるとの主張だ。二人の考察は微妙に食い違っている。この食い違いを是正できるかどうか」
「考えたのですが、無理に是正しなくても、両面から追っていけばいいじゃないですか」
「村瀬管理官の性格からそれは難しいだろうな。そもそも狩猟免許を持つ者全員の捜査だって相当な手間暇を食う。同時に3Dプリンターの購入者まで浚うのは人員的に無理がある。まずは一方向に捜査を進めて、成果がなければ別の方向をあたる。人員に制限がある以上、やむを得ない措置だ」
「最初に土屋案で動くか幡野案で動くかの、二択ですか」
「捜査会議の席上で村瀬管理官は明言こそしなかったが、外崎候補狙撃事件はあれで終わった訳じゃない」
葛城が薄々抱いている不安を、宮藤は遠慮なく口にする。
「折角狙った獲物を仕留め損ねた。ハンターが次に起こす行動は何だと思う」
「執着心の強い狩人なら、また同じ獲物を狙うでしょうね」
「ああ、第一撃で外崎候補は大きく体勢を崩したから第二撃はなかった。そのまま雲隠れしていればいいものを、あのクソ候補は病床からSNSを発信しやがった」
喩えれば、仕留め損なった獲物が塒で甲高く叫んでいるようなものか。
「狙撃犯は病床の外崎候補を再度狙う可能性があり、病院に警備の警官を割かれている。捜査本部の人員はますます不足するという寸法だ」
「再度の狙撃が危惧されているなら時間的な余裕がありません」
「そうだ。だからこそ初動捜査の方向性は狭めるより他にない。おそらく次の捜査会議で、村瀬管理官は明確な捜査方針を打ち出したいと考えている。会議の席上で二人の意見が衝突したら、管理官にとっては嫌な展開だろうな」
その光景を思い浮かべて、葛城も嫌な気分になる。捜査員の意見がぶつかり合うのは致し方ないにしても、感情的に縺れるのは具合が悪い。
「正直、土屋さんと幡野さん、ウマが合うとは思えん」
「一人は現場叩き上げ、もう一人はラボに閉じこもりっきりのエリートみたいなものですからね」
「さっき話してみて、幡野さんの性格の片鱗でも理解できたか」
「ある意味、土屋さんとは対極的ですよ。個人の努力や資質よりも技術革新を優先させようというんですから」
「土屋さんは土屋さんで徹底した現場主義だからな。座学は参考書程度、地面を這いずり回らないヤツに何が分かるって態度だ。ラボに閉じこもりきりの研究者なんてのは、真っ先に弾く対象だろうな」
宮藤は珍しく頭を抱える。
「だが一番の問題は、二人とも犯罪捜査に熱心という点だ」
「宮藤さんも幡野さんの真面目さは認めるんですね」
「多分アレを真面目さとは言わん。まだ不真面目な方が救いがある」
強いて言うなら頑なさだろうか。
「二人とも職業的な信念があってものを言っている。自分が正しいと信じているから引っ込みがつきにくい」
「同感です」
「見てみろ」
宮藤は最前まで見入っていた3D画像を顎で指した。鑑識が作成した画像では、射撃地点と目される外階段から外崎までの直線距離を透過して映し出している。
「斜め上からの狙撃だから途中に障害物らしきものは見当たらない。だが、それにしたって約九十五メートルというのは結構な距離だ。犯人は外したとはいえ、一発で左肩に命中させている」
「少なくとも昨日今日、銃を手にした素人の仕業じゃありませんよね」
「事件当時、外階段には強いビル風が吹いていた。鑑識の話では強風によって弾道が逸れたんじゃないかという意見もあったらしい。強い風を受けて標的が数センチズレただけなら、いずれにしても犯人は射撃の腕に覚えがあるヤツだ」
「近年、暴力団絡みの事件でライフルが使用された案件はありましたかね」
「去年だけに絞るなら博多で一件、大阪ミナミで一件発生している。二件とも組同士の抗争でぶっ放された。首都圏ではまだ使用例は報告されていない。暴力団が絡んでいる可能性は五分五分だ」
「ヤクザのスナイパーというのも妙な話ですね」
「長らく宏龍会と鎬を削っている金森会が、ハワイに人を遣って射撃訓練を受けさせたらしい。確かに接近戦で相手を仕留めるより手前ェの身が安全だからな。腕のいいスナイパーなら何度使ったっていいから人件費の削減にもなる」
「外崎候補が宏龍会と関係している事実はあるんですか」
「目下別働隊が組対に協力を仰いでいる最中だ。だが見通しは明るくない。もし被害者が組関係と昵懇の仲なら、狙撃事件が明らかになった時点で組対から情報が入るはずだからな」
「外崎候補の事情聴取を再開してはどうですか」
「とっくに桐島班長が命令している。だが肝心の外崎候補が選挙運動中を理由に、なかなか応じようとしないそうだ」
「自分の命と当選と、どっちが大事なんでしょうね」
「普通なら自分の命を選択するんだろうが、そうしないタマだから立候補ができるのかもな」
宮藤は今にも吐きそうな顔をして言う。
(つづく)