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『引き受けていただけるんですね』

 電話の向こう側で葛城の声が跳ね上がった。

『早速、現物をお持ちします』

 フットワークが軽い男らしく、葛城は一時間もしないうちに鑑定センターに姿を見せた。

 挨拶もそこそこに早速銃弾の現物を取り出す。先頭がひしゃげた243ウィンチェスター弾、氏家には見慣れた弾丸だった。

「ご存じですか」

「六ミリ実包、害獣駆除で頻繁に使用されています。最小口径だから発射時の反動も低い。有効射程距離は通常、百メートルから四百メートル」

 すると葛城が含み笑いをした。

「何か変なことを言いましたかね」

「失礼しました。土屋さんがほとんど同じ説明をしていたものですから。いったい、そういうスペック表は頭のどこに収納されているんですか」

「仕事ですからね。憶えたくなくても憶えてしまうものです」

 氏家が力なく笑ってみせると、葛城は本気で同情したらしく軽く頭を下げた。

「ウチへの依頼、まだ等々力さんには知らせていないんですか」

「まだのようです。知らせて喜ばれるものではなさそうですし」

「いつかはバレるでしょう」

「その時は班長なり課長なりが陳謝するでしょう。いずれにしても現場には関係のない話です」

「割り切っていらっしゃるようで安心しました」

「その弾丸を射出したのは市販のウィンチェスター銃なのか、それとも3Dプリンターで成型されたものなのか。3Dプリンターで成型されたものなら、どんな機種が使用されたのか。捜査本部が必要としている情報は以上です」

「求められるレベルが高いなあ」

「だからこそ、こちらの鑑定センターが指名されたのではないでしょうか」

 追従ではなく、心底からそう思っているのが顔つきで分かる。これほど裏表のない捜査員を見るのは初めてだった。

 刑事は人を疑うのが仕事だ。こんなに明け透けでは尋問相手に見透かされはしまいかと、心配になってくる。

 お願いします、と残して葛城はあっさりと帰っていく。無駄な話は一切しないのが好印象だった。氏家は一人、弾丸を持ってラボに入る。

 最初に飛びついたのはデジタル顕微鏡だった。デジタル顕微鏡は目の代わりに画像素子を搭載し液晶モニター上で観察する顕微鏡で、低倍率から五千倍程度の高倍率まで一台でカバーできる。

 撮影画像を得た上で、市販されているウィンチェスター銃のサンプル画像と比較対照させてみる。なるほど土屋が指摘した通り、ツールマークに関しては溝と溝の間隔が〇・〇一ミリほど広い。これをひと目見て数値を言い当てた土屋は大したものだと舌を巻く。大量生産してマンドレルが摩耗するとしても間隔まで広がるはずはないという意見にも素直に同意できる。

 しかし一方、ウィンチェスターほど汎用性のある銃はモデルの数も多い。二〇〇六年、ウィンチェスター社に代わってライフルを製造していたUSリピーティングアームズ社は全モデルの生産を終了させて工場閉鎖を表明した。同社の表明によって純正モデルの生産は終わったが、ブランドを引き継いだ外国メーカーのライセンス生産品(イタリアのウベルティ社やブラジルのトーラス社など)は製造され続けている。ライセンス生産品がどこまでオリジナルに準拠しているのか、さすがにそのデータは手元にない。仮にライセンス生産品だとすれば入手経路もオリジナルのそれとは違ってくるはずだ。

 しばらく観察していたが、土屋が指摘した以外の相違点は認められない。使用されたのが市販のウィンチェスター銃なのか自作のものなのかも不明だ。念のため倍率を上げてみたが、表面の組織がざらついた表現になるばかりで、これといった異状もない。

 拡大画像を見ているうちに、ふと疑問が浮かんだ。

 犯人を仮に未詳Xと呼称しよう。

 未詳Xは被害者の立っていた場所から九十五メートル離れたビルの非常階段で狙撃している。途中に障害物がなかったにしろ、ビル風が吹いている中での狙撃で対象の左肩を撃ち抜いている。ウィンチェスターが扱いやすい銃であるのを差し引いても、未詳Xはかなりの腕前と考えていい。

 問題はウィンチェスター銃がレバーアクションを採用している点だ。

 従来のライフル銃は一発撃つ度に弾込めが必要だった。だがレバーアクションは、用心鉄を兼ねたレバーを下に引いて戻すことで薬室から空薬莢を排出し、同時にチューブマガジン(管状弾倉)から次弾を装填できる。つまり連射が可能なのだ。

 何故、未詳Xは連射しなかったのだろうか。想定されているような狙撃の腕を持っているのなら、対象の左肩を射貫いた直後に第二弾を発射すれば確実に仕留められたはずだ。何しろ薬莢を持ち去るだけの時間があったのだから余裕は充分にあった。

 だが未詳Xは一発撃っただけで現場から撤収している。まるで仕留めるのが目的ではなかったかのようにだ。

 沈思黙考した挙句、氏家は三つほど可能性を思いつく。

 一つ目。単に憂さ晴らしの狙撃であり、対象が誰でもどんな被害でも構わなかった場合。

 二つ目。まだ別の機会があると犯人が考えていた場合。

 そして三つ目。

 三つ目は特におぞましい想像であり、思わずスマートフォンに手が伸びたほどだ。

 捜査本部に、葛城に知らせるか。

 いや、まだ憶測の段階で知らせても捜査を混乱させるだけだ。そもそも氏家に任せられたのは使用された銃の特定であって、推理や捜査ではない。出過ぎた言動は関係者を困惑させるばかりではなく、自らの首を絞めかねない。

 頭を振って雑念を払う。今はとにかく葛城からの依頼を忠実に実行するのみだ。

 氏家にはまだ切り札がある。あと数日もすれば新しい分析機器が導入される。走査型電子顕微鏡(SEM)という代物だ。観察試料に電子線を当て、表面から放出される電子などを検出して像を得る仕組みで、科捜研にもまだ導入されてないと聞いている。光学顕微鏡よりも高倍率での観察が可能であるため、試料表面の状態を仔細に観察するのに適している。

 走査型電子顕微鏡なら線条痕に隠された素性を暴いてくれるのではないか。漠然と期待していると、橘奈翔子がラボに入ってきた。

「DNA鑑定報告書、お持ちしました」

「お疲れ様。すぐチェックするから、そこに置いておいてください」

「所長」

 声にわずかな非難の響きがあったので振り向いた。

「何でしょう」

「相倉くんと飯沼くんに何があったんですか。いつも以上に雰囲気が悪いんですけど」

「口論でもしてるのかい」

「口論がないから雰囲気が悪いんですよ」

 翔子は眉根に皺を寄せて言う。

「いつもはボケとツッコミで仲良く悪口言い合っているのに、さっき所長に呼ばれてからはずっと無言でいるんです。気味が悪いしピリピリしてるし、最悪の空気ですよ」

「静かな方が作業も捗るんじゃないのかな」

「適度なノイズは必要です。無音状態での作業は、人によっては却って効率が落ちるというデータもあります」

「罵り合いが適度なノイズかい」

「毎日聞かされていたら、自然とそうなります」

「別に二人が直接的に対立している訳じゃないんだけれどね」

 氏家は相倉と飯沼の確執には触れず、持ち込まれている案件について鑑識と科捜研で意見が分かれている事情のみ説明する。

「それで、相倉くんと飯沼くんも意見が分かれてるってことですか」

「そうじゃないかな。よく知らないけど」

「じゃあ話は簡単です。所長が結論を出してしまえば即解決じゃないですか」

「本当に簡単に言ってくれるね」

「物事はシンプルなのが一番です」

「分かっているよ。我々は鑑定結果のみを示せばいい」

「この際、日頃から考えていたことを言ってもいいですか」

「どうぞ」

「所長は依頼人に鑑定結果のみを伝えればいいという考えですよね。わたし、激しく同意します。部外者が口を出しても碌なことがありません」

「まあ、そうだね」

「でも、時と場合によります」

 翔子は氏家を正面から見据える。

「所長の言う未詳Xは相当な腕の狙撃手であるにも拘わらず、対象の左肩を撃ち抜いただけで撤収しているんですよね。だったら未詳Xが次の事件を起こす可能性が大きいのは、わたしにだって見当がつきます」

「うん。捜査一課がウチに鑑定依頼をしてきたのも、焦りみたいなものがあるからだと思う」

「特定少数もしくは不特定多数の人が今この瞬間にも撃たれるかもしれないんです。警察が焦るのは当然です。それなら鑑定を依頼された所長も、推測できる内容は残らず捜査本部に伝えるべきですよ」

「その結果、捜査本部が混乱してもかい」

「知恵は多い方がいいですし、賢明な人が上に立つ組織は混乱しても一時的だと思います」

「組織に理想を見出しているんだね」

「ええ。ここに勤めていますから」

 翔子はそう言い残すと、さっさとラボを出ていく。興味がないふりをしているが、その実氏家に発破をかけてくれたのだろう。

 白黒つけろということか。

 氏家は再び撮影画像に見入る。

 

(つづく)