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「わたしの推論を否定するのなら、土屋さんも自身の見解を言ってくれないと議論が成立しません」

「俺はあんたと議論するために来ているんじゃない。捜査員たちに余計な先入観を抱かせないために注意喚起しているだけだ」

「わたしの見解が注意喚起するような問題発言とでも言うんですか」

「そうは言ってない。断言するのは危険だって話をしているんだ」

 対する土屋の声も次第に大きくなる。葛城は宮藤の予感が的中したことに嫌気が差す。二人の性格を考えれば当然予想できたはずなのに回避できなかった。こうなる前に二人の角を矯めておく必要があったのだ。

 どうなることかと固唾を呑んだ時、ようやく村瀬が口を開いた。

「土屋さん、わたしもあなたの見解を聞いてみたい。個人の意見ではなく、鑑識課が提示できる可能性を教えてくれないか」

 村瀬が鑑識のベテランである土屋に敬意を払っているのは物腰で分かる。そして敬意を払われたら応えるのが礼儀であるのを土屋は知っている。

「市販の銃で見慣れたライフリングでないのであれば、自作であるという可能性を捨てきれません」

「銃の自作は相応の知識と技術を要する。狙撃犯は銃マニアという読みか」

「銃を製造した者と狙撃した者が同一人物かそうでないかとの疑問はさておき、昨今、銃の自作は所謂マニアほどの知識がなくても可能な状況にあります」

「3Dプリンターか」

「はい。銃関連のサイトには、今しがた話に出ていたウィンチェスター銃の内部構造まで公開している輩がいます。今は安価な3DCADソフトが売っていますから、画像をデータとして取り込みさえすれば、誰にでもモデリングが可能になります」

「その場合、容疑者は反社会的勢力の関係者という限定から外れることになる」

「ええ。だから可能性の一つとして提示します」

「もう一つ訊く。銃の製造者と狙撃犯が別人である可能性を示唆したが、どの程度の確率だと思うのか」

「組織的な犯行ならいざ知らず、個人の犯行となれば別人である可能性は小さいでしょう。射撃を趣味にしている者の多くは内部構造にも精通しています」

「マニアならではの悪癖という訳か」

「悪癖ではなく、扱っているのが凶器である自覚があるからです」

 一般論になると土屋は断言口調に変わる。

「銃やナイフといった凶器を手にすると、大抵の人間は興奮と同時に恐怖を覚えます。この凶器は他人を殺せるし自分自身も殺せると知るからです。恐怖を克服するのに最適な方法は恐怖の対象を徹底的に調べることです。幽霊の正体見たり枯れ尾花ではありませんが、構造と性質、性能と限界を知れば恐怖は薄らぐものです」

「その伝で言えば、狙撃犯が銃の製造者である可能性は大ということか」

「自作したものは自分で使いたがるものでしょう」

「ちょ、ちょっと待ってください」

 二人の間に幡野が割り込む。

「さっきから聞いていると、使用された銃は3Dプリンターで自作されたものという前提で話が進みそうですが、あくまでも可能性の一つに過ぎないでしょう」

 幡野はモニターの3D画像を指す。

「ここに映っているライフリングが通常のものより間隔が〇・〇一ミリ違っているから自作だという論理こそ性急ですよ。第一〇・〇一ミリの差は土屋さんの感覚でしかない。いち鑑識係の感覚をそのまま鵜呑みにすることこそ余計な先入観じゃありませんか」

「無論、鵜呑みにはしない」

 村瀬の静かな言葉が幡野を抑え込む。

「幡野論にも土屋論にも各々説得力があり、また確証に欠けるところがある。容疑者を絞るためには新たな物的証拠が必要と考える。証拠が揃えば揃うほど使用された銃と狙撃犯が特定しやすくなる」

 村瀬は捜査員全員へと向き直る。

「現状は地取りと鑑取りを継続し、外崎候補に繋がる線を残らず洗い出す作業を優先とする」

 どちらにも肩入れしないという表明で幡野と土屋は不承不承ながら矛を収め、捜査員一同もほっと胸を撫で下ろしたようだった。二人は自分の席に引き下がる。だが幡野と土屋の間で確執が続いているのは誰の目にも明らかだった。

 

 捜査会議が終わると、辛抱堪らずといった風で土屋は席を立つ。同じ鑑識係が手を伸ばすが、土屋は煩そうに振り払うだけだ。

 今の土屋には何を言っても邪険にされるだけだ。

 分かっていても無視はできない。葛城はおずおずと土屋の正面に立った。

「土屋さ」

「ああ、すまなかったな」

 皆まで言わせず、土屋は詫びた。

「年甲斐もなく声高になっちまった。老害ここに極まれりだな。穴があったら入りたいくらいだ」

「まだ老害なんて齢じゃないでしょう」

「自説に固執し出したら齢に関係なく害になる。あんたはそうなるんじゃないぞ」

「でも説得力のある説でしたよ」

「しかし村瀬管理官の言ったように確証に欠ける。違和感の正体は俺の勘でしかない。勘でものを語るなんざ鑑識の風上にも置けねえやね」

 葛城は声を潜めた。

「勘を否定したら、この中の何人かが職を失ってしまいますよ」

「だけどな、俺は鑑識の人間なんだよ」

 土屋は悔しそうに吐き出す。

「向こうはちゃんとデータと3D画像を提示してきた。こちらは長年の勘てヤツをくっちゃべっただけだ。科学捜査を旨とする鑑識係がデータそっちのけで己の勘に頼るほど恥ずかしいことがあるか。その時点で俺は鑑識係失格だ」

「そう思わない刑事も少なくないですよ」

「俺自身が思っているんだからしょうがない」

「土屋さん」

「ちょっと外の風に当たって頭を冷やしてくらあ」

 葛城の声を振り切って、土屋は会議室から去っていく。

「何でもバランスが大事なんだ」

 葛城の背後で宮藤の呟きが聞こえた。

「幡野さんも土屋さんも言ってることに間違いはない。ただ偏っている」

「話の流れから偏らざるを得なかった面は否めません」

「誰でもそうだが、自説に拘り続けるとどうしても偏向しちまうんだ。きっと視野狭窄になるからだな」

 子どもの頃、友だちと言い争いになるとお互い言う内容が大袈裟になった。それと似たようなものだろうか。

「土屋さんも自分が偏っていると自覚しているんだろうな。今の恥じ入った体はそういう理由だ」

「バランスが大事というのは、そういう意味ですか」

「バランスが大事なのは個人に限らん。組織だって同じだ。たとえばひと昔前、警察も検察も自白偏重主義だった。冤罪が発覚し世間やマスコミの逆風を受けると、今度は証拠第一主義になった。何のこたあない、偏重する方向が自白から証拠に変わっただけの話だ。その証拠に、物証さえあればと勇んで起訴しても相変わらず冤罪は起きる」

「難しい話ですね」

「自白と物証、双方のバランスを取ろうとしても、犯人の検挙を急げという内外の声に押されて省みるヒマもないときている。土屋さんの自省は決して他人事じゃないんだ」

 宮藤は己に言い聞かせているように見えた。

 

 

(つづく)