「結局、土屋さんの意見が正しかったんですね」
相倉の声が一段落ちる。飯沼と言い争ってまで幡野の説を支持した相倉だから、思うところがあるのだろう。
「幡野さんの出した結論に引っ張られたみたいです。あの人なら間違わないと盲信していたのかもしれません」
「人を信用するのは悪いことじゃないさ。ただし信用していいのは人となりで、主張は吟味するべきだ。少なくとも鑑定に身を置く者ならね」
「幡野さんは徹頭徹尾デジタルの正確さに拘る人だったんですけど、まさか土屋さんの職人感覚に敵わないとは思ってもみませんでした」
聞いていると、相倉がよくない思考回路に入りかけているので、慌てて矯正を試みる。
「どっちが優れてどっちが劣っているという問題じゃない。大雑把な捉え方だと幡野くんがデジタル、土屋さんがアナログみたいな印象だけど、実はどちらも重要で優劣の差はない」
「でも、今回は結論が出ているじゃないですか」
「幡野くんが走査型電子顕微鏡を使っていたら、きっと僕たちと同じ結論に至っていたさ」
慰めのつもりで言ってみたが、反面、幡野の誤謬性も気になるところだ。費用も設備も限られた科捜研の中だけで仕事をしていると、分析結果に疑念を持てなくなってくる。おそらくどの世界も似たようなものだろうが、閉鎖的な空間で自問自答を繰り返していると視野狭窄に陥りやすくなる。これは氏家も自覚しているので、あながち空論でもあるまい。
「一方、今回は土屋さんに軍配が上がったけど、それは土屋さんほどの経験値が導き出したものであって、いつでもどこでも職人の勘が優先するという意味じゃない。デジタル志向の幡野くんも職人肌の土屋さんも間違ってはいない。あくまで二人の差は経験値と疑り深さだよ」
「何を疑っているんですか」
「既に提示されたデータ、そして自分自身。他人の出したデータを妄信せず、だからと言って自分の直感も無批判に信用しない。芸術やスポーツの分野なら認められるかもしれないけれど、こと科学捜査においては何事にも猜疑心を抱くのが必要だと、僕は考えている」
「自分の判断を疑うのはおそろしく難しいですよ」
「確かに難しいことだけれど、それが誤謬性を排除する一番の早道だよ。僕たちの提出した分析結果で、依頼人の人生が一変する可能性だってある。だからこそ慎重には慎重を期すべきだし、安直な結論に飛びつく訳にはいかない」
束の間、氏家を見ていた相倉はやがて短く嘆息した。
「飯沼に言っておきますよ。今回はお前が正しかったって」
負けず嫌いは相変わらずか。
「ちょうどいい。僕のところに来るように伝えてくれないかな」
相倉を戻してから氏家は自らの主義を客観的に論証してみる。
氏家の流儀は、人を信用してもモノを信用しないことだ。分析や鑑定の作業において絶えず疑ってかかるのは必要条件であり、誤謬性も小さくなる。
対して警察や科捜研は人を信用せず、モノを信用する傾向にある。自白偏重、物的証拠偏重の延長線に見え隠れするのは冤罪だ。だからこそ氏家は全く逆のアプローチで真実に迫ろうとする。そして今のところ、その考えは間違っていないように思える。
しばらくして入れ違うように飯沼が姿を現した。
「今、相倉から聞きました。やっぱり土屋さんが正しかったって」
「うん。そこで君の機嫌がいいのに便乗して、新しい仕事に着手してもらいたい。狙撃に使用された243ウィンチェスターのデータは取り込み済みだよね」
「もちろんです」
「弾丸に付着していた異物の分析はもう少しで完了する。完了すればバレルの組成が明らかになるから、判明した成分割合に従って合金を造れる。飯沼くんには合金からバレルの3D出力まで担当してほしい」
命じられた飯沼は、指示された内容の意図を探っているようだった。
「実証実験、ですか」
「ご名答。狙撃事件を可能な限り再現して、犯人が3Dプリンターで銃を自作したのを証明する」
「それ、警視庁からの依頼内容に含まれていましたか」
「警視庁がウチの分析能力を低く見積もっていたから、依頼内容に含めていなかった。実証実験までしておけば、警視庁も犯人の特定に拍車をかけられる。ウチも当然のように追加料金を請求できる」
「抜け目がないなあ」
「商売だからね。でも、顧客目線のプレゼンだから先方にも感謝されると思うよ」
飯沼は特に同意する素振りもなく頷いてみせる。
「OK。それじゃあ早速、相倉くんの尻を叩いて分析を終わらせよう。彼の仕事が終わらないと飯沼くんが着手できないんだから。さあ、行った行った」
飯沼を追い出してから、二人のやり取りを想像して苦笑する。互いに意地っ張りだが、結論と方向性さえ明確になれば脇目も振らずに突き進むタイプだ。二人がどう思っているかはさておき、氏家自身は名コンビだと考えている。
ややあって氏家は己の仕事に着手する。契約先だけではなく、ネットやリアル営業所で金属素材を販売している業者を片っ端からリストアップする。運がよければ未詳Xが素材を購入した記録が残っているかもしれない。
もちろん氏家の仕事は卸業者のリストアップまでだ。業者の特定は素材の分析表を入手した葛城たちに任せればいい。これもサービスの一環として追加料金を請求できる。
サイトを漁りながら、氏家は未詳Xについて思いを巡らせる。
ここにきて未詳Xの輪郭がかなり明確になってきた。
一 3Dプリンターの扱いを熟知していること。
二 射撃に秀でていること。
三 都知事選候補者を狙撃対象にしているらしいこと。
四 計画的であり、加えて用意周到であること。
おそらく捜査本部でもこの程度のプロファイリングは試みているだろう。その上で業者から素材を買い付けた伝票でも見つかれば、犯人逮捕は時間の問題だ。
ただ一つの気掛かりは、既に選挙戦に突入し、候補者が街頭に出ている現状だ。
犯人の逮捕が早いか、それとも候補者の誰かが第二の凶弾に斃れるのが早いか。
犯人逮捕は自分たちの仕事ではない。
だが事件を未然に防げるものなら防ぎたいではないか。
サイトをクリックする指が思わず速くなった。
(つづく)