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「ああ、やっと来てくれたか」

 二人を迎えた外崎は、名刺を受け取ると何故か上機嫌だった。

「いい加減病院食に飽きたし、候補者がいつまでもベッドに寝ていられない。いつまた暗殺者がわたしを狙うか分からないが、君たちががっちりガードしてくれれば怯える必要もない」

「何か勘違いをされてやしませんか」

 宮藤は上から見下ろして言う。

「君たちは主治医に術後の経過を聞いてないのか」

「聞きましたよ。十日間も安静にしていれば退院できるそうじゃないですか」

「その十日間で他の候補者に票を盗られる。動かないのは左腕だけで、喋れもするし立てもする。君たちは辻立ちの間、わたしの護衛をしてくれるSPとして派遣されたのだろう」

 あまりにも自分本位な考え方に、葛城は開いた口が塞がらない。宮藤は怒りを抑えている様子で、片方の眉をぴくりと上下させる。

「失礼ながら、現在捜査本部には外崎さんの警護を行う人的な余裕がありません」

「それはわたしが前職であり、今はただの候補者に過ぎないからか」

「あなたが議員であろうとなかろうと関係ありません。人的な余裕がないと申し上げたでしょう」

「余裕がなければ、他の部署から増援を乞えばいいだけの話じゃないか」

 ベッドの外崎は大義そうに上半身を起こす。

「いいか。警察官は市民の生命と財産を護るために雇われているのだろう。議員である者および議員になろうとしている者は言わば市民の代表だ。従って君たちはわたしの身の安全を図る義務がある」

「身の安全ということでしたら、この病室から一歩も出ないことです。幸い病室に窓はなく、関係者以外は病棟に入れませんから、セキュリティ上も問題ありません」

「白昼堂々、わたしを狙撃しようなんて輩だぞ。病院の脆弱なセキュリティなど楽々突破するに決まっている。ベッドの上で固定されていたら、それこそいい的だ。それよりは何度も移動を繰り返す辻立ちの方が安全だろう」

「また人通りの多い駅前に立つと言うんですか。それでは狙撃された時の状況と変わらない。少なくとも病室なら出入口は一つしかないし、人の出入りも制限が掛けられます。どう考えても往来での選挙活動は自殺行為ですよ」

「だから二度目の襲撃を阻止するために君たちがいるんじゃないか。本当に頭が悪いんだな」

「ええ。あまり頭のよくないわたしでも、あなたのしようとしている行為が無謀であるのは理解できます。狙撃犯があなた個人に恨みを持つ者であった場合、飢えた蛇の前にみすみすカエルを差し出すようなものです」

「蛇からわたしを護るのが君たちの役目だと言ってるんだ」

 傍で聞いていても宮藤はよく自制心を発揮していると思う。これも職業倫理のなせる業だが、それにしても外崎の態度は神経に障る。今のやり取りだけで、彼が都議の時分に職員をどう扱ってきたのか目に浮かぶようだ。

「数日、SNSでの反応を見ていたが、やっぱり選挙は泥臭くないと票が集まらない。辻立ちで有権者の顔を見ながら訴えなければ、自分の名前も声も届かない。まだ投票日まで日が残っている。今からでも街頭演説すれば必ず有権者は耳を傾けてくれるはずだ」

 果たしてそうだろうかと葛城は訝しむ。外崎が狙撃された事実で一定の同情が集まったが、そのほとんどは無責任で移り気なSNSの声だった。実際の有権者がそれほど愚かとも思えない。外崎が街頭で声を限りに支持を訴えたとしても当選に漕ぎ着けるかは甚だ疑問だった。

 いや、おそらく外崎自身も街頭演説の効果をさほど信じていないのではないか。だが何もせずベッドの上で天井を眺めていても落選は目に見えている。ならば少しでも票を掻き集めようとして悪足掻きをしているのではないか。

 そう考えると、葛城は外崎に対して同情の念が湧き始めた。誰にでも共感してしまうのは刑事としてどうかと思うのだが、性分なのだから仕方がない。

 もっとも葛城ほど共感力を持たない宮藤は、そろそろ眉間に皺を寄せ始めている。

「残念ですが外崎さん。我々警察はあなたが無理に退院して街頭に立ったとしても護衛できない」

「職務放棄もいいところだ」

「外崎さん。あなたは補選の立候補者である以前に狙撃事件の被害者です。警察は被害者を再び標的にさせるような真似を認めません」

「違うな。わたしは被害者になる前から都政を担おうとする候補者の一人だった。たとえこの命が危険に晒されても、断固として都民の代表として立つ所存だ」

「この際あなたの政治理念は関係ない。市民の生命と財産を護るのが警察官の役目だと仰るのであれば、我々はあなたをベッドに括り付けなければいけません」

「職務放棄の上に言論弾圧とはな。いったい君たちは何世紀前のお巡りだ。これじゃあ埒が明かん。上席者を呼んでくれ」

「その上席者から命令されて、あなたが病院の外に出ないよう説得しに来たんです。上席者と話しても同じですよ」

「どうあってもわたしの選挙活動を妨害しようというのか。ひょっとして、君たちは対立する候補の誰かから命令されているのか」

 宮藤の顔が強張る。憤怒に駆られてではなく、吹き出したいのを堪えている表情に見えた。

「失礼ながら都議会議員さん程度で警察を意のままに操るというのはファンタジーの域を出ないでしょうね」

「君たちの階級と名前を言え。警視庁に厳重抗議してやる」

「先ほどお渡しした名刺に記載されていますよ。抗議したいというのであれば、どうぞご自由に」

「抗議だけじゃない。わたしの公式ブログでも実名を挙げて徹底的に非難してやるから」

 聞いているうちに外崎が憐れに思えてきた。都議会議員の威光がどれほどのものか知らないが、外崎は不名誉な醜聞を重ねて職を追われた人間だ。そんな彼が権力を誇示しようとする姿は滑稽でしかないのを、果たして本人は自覚しているのだろうか。

「おとなしく病室に引っ込んでいてくれれば、いくら非難してくれても構いません。こちらも無駄な仕事をせずに済むので助かります」

「わたしの警護を無駄な仕事と決めつけたな。職務放棄に言論弾圧に無礼とは、警視庁も堕ちたものだ。わたしが当選した暁には、ここで喋ったことを後悔させてやる」

 他人事ながら、葛城は恥ずかしさに居たたまれなくなる。仕事柄、承認欲求や強過ぎるプライドで戯画じみた言動をする者たちを何人も見てきたが、その中でも外崎は特筆すべきケースだった。

「主治医の先生も退院を勧めていません。警護上の観点からも、警察はあなたが街頭に出ることに賛成できません。わたしから申し上げるのは以上です」

 宮藤は極めて事務的な口調で言い捨てると、長居は無用とばかり病室を出ていった。ここから先は葛城の役目だが、今にも暴れ出しそうな外崎を見る限り、自分にできることは少ないような気がする。

「宮藤のぶっきらぼうな物言いが気に障ったのならお詫びいたします」

「君たちの中では、あのけしからん態度をぶっきらぼうと称するのか」

「警察は全ての市民の身の安全と犯罪の抑止に努めています。最前の宮藤の発言もそれ故とお考えください」

 役人言葉であっても、一応は体裁を取り繕った。外崎のような人間には言葉を重ねれば重ねるだけ燃料を投下してしまう。ここらが潮時だろう。

「何かあれば、お渡しした名刺の連絡先にご一報ください。それでは失礼します」

 やや早口でそれだけ告げると、葛城は相手の反応も確かめないまま病室を出た。

 背後で外崎の罵声がしたが聞こえぬふりをした。

 

 

(つづく)