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 正午まであと五分に迫った時、配達業者のトラックがビルの前に到着した。

 幅二メートル奥行一メートル、高さが一メートル十五センチ。ビルのエレベーターに入れると、既に配達員の乗るスペースもない。どうにかラボに搬入すると、期せずして研究員の間から拍手が沸き起こった。

「ちょっと、これは壮観だなあ」

「見ろよ、あの多目的大型試料室。In-Situ解析にも対応してるってよ」

「ステージの最大試料寸法が三〇〇ミリだから、大抵のものは載せられる」

「カタログスペックを見る限りは最強なんだよな」

「これ、いったいいくらするんだよ」

「所長は言葉を濁しているけど、俺ネットで調べた。国内販売価格はSU3900で税別三千四百万円」

「さ、三千四百万円。郊外に家が買える値段だぞ」

「だからメーカーも世界で年間百五十台の販売しか見込んでいない。そりゃあそうだよ。よほどの予算がなけりゃ、こんな代物買う気にもならない」

 めいめい好き勝手なことを喋っているが、表情は一様に綻んでいる。先刻は氏家を子どもっぽいと揶揄した翔子までが目を輝かせている。やはり研究員たるもの、最新鋭の機器には興味津々なのだ。

 いや、人のことは言えない。鏡を見れば、一番顔が緩んでいるのは氏家かもしれない。

 ひと通りお披露目が済んだと判断し、氏家は皆と電子顕微鏡の間に割り込む。

「はいはいはい、ファーストインプレッションはここまで。僕は警視庁からの依頼案件があるので、ひと足早く使わせてもらうよ」

「所長、ずるい」

「オーナー特権ってやつですかあ」

「これはあくまでもセンターの共有財産だから。皆、それぞれの持ち場に戻って。ああ、相倉くんと飯沼くんは残って」

 こうして電子顕微鏡の前には三人だけが残った。氏家は飯沼に指示して問題の243ウィンチェスター弾を取りにいかせる。

 セッティングをしている最中、相倉がおずおずと訊いてきた。

「所長。僕と飯沼を残したのは例の決着をつけるつもりですか。その、幡野説が正しいかそれとも土屋説が正しいのかを」

「白黒つけるというのはその通りだけど、幡野くんや土屋さんのどちらかに軍配を上げるなんて話じゃないよ」

 氏家は軽く笑い飛ばした。

「精細な3D画像で可視化した幡野くん、自身の知見を総動員して可能性に言及した土屋さん、二人の説はどちらも間違っていない。捜査会議の席上では対立したみたいな雰囲気だけど、それぞれが突き詰めていけば、結構同じ結論に至るかもしれないしね」

「じゃあ、どうして僕と飯沼を残したんですか」

「決まっているじゃないか。待望していた走査型電子顕微鏡の初仕事だよ。関係している二人と最新鋭機器の感動を味わいたいじゃない」

「感動って、そんな大層な」

「さっき橘奈くんにも言ったことなんだけどね。昨日は不可能だった分析が今日は可能になっているなんて、素敵だと思わないか。ただ分析機器が発達した訳じゃない。我々の視力・聴力がその分向上し、より正確な鑑定が可能になったという意味なんだよ。鑑定が正確であればあるほど冤罪の危険性はなくなるし、誤謬性への惧れも減じていく。もっと昂奮したって罰はあたらない」

「所長は機械に対する信用度が人一倍高いんですね」

「自分で納得できる機械限定だけどね。忘れがちだけど、数多ある機械だって人間が造り出したものだから、言い換えれば機械に対する信用は創造した人間への信用でもある。僕は熟練工や職人と呼ばれる人たちに尊敬の念を抱いているんだよ」

「そんなものですかね」

「自分が普段使いこなしているものは単なる道具じゃない。ある目的を達成するための相棒だと思えば、自ずと信用度は増していくよ」

「そういうの、機械オタクって馬鹿にするヤツもいますよ」

「言いたいヤツには言わせておけばいいさ。得体の知れない試料を解析し、鑑定するのが僕らの仕事だ。だったら一緒に働く仲間と使用する機械にくらい全幅の信用を置いた方が精神衛生上よろしい」

「持ってきました」

 試料を携えた飯沼が現れると、ようやく氏家たちは分析作業に入る。

 ステージ上に弾丸を置き、電子ビームを照射する。肉眼での観察も可能だが、走査型電子顕微鏡の優れた点は電子ビーム照射から画像調整まで全てが自動化され、観察開始後すぐにSEM画像を取得できることだ。早速モニターには試料全体を分割撮影したSEM画像が表示される。この各画像を繋ぎ合わせて試料の広域観察が可能になる。

 初めに倍率を五千倍に設定して解析を試みるが、以前デジタル顕微鏡で試したのと様相は変わらない。243ウィンチェスター弾に刻まれた線条痕をいくら拡大してみてもつるりとした溝の表面が精細に映し出されるだけで、これといって異物は発見できない。

 しかし落胆はしない。この走査型電子顕微鏡なら八十万倍まで倍率を上げることができる。氏家は一万倍に上げてみた。

 すると異変が生じた。

 線条痕の溝に、うっすらと色の違う筋が見える。

 何かの汚れか。汚れにしてはその部分だけ付着しているのは不自然だ。

 二万倍。

 三万倍。

 そして五万倍まで倍率を上げてみると、溝に沿って異物が付着しているのが可視できた。

「所長、これは」

 やや昂奮気味の飯沼に、氏家は静かに言う。

「使用された銃に刻まれたライフリングの欠片かもしれない」

 いったん画像を録画して、ステージから弾丸を取り出す。

「早速、走査型電子顕微鏡を導入した甲斐があったね。非常に微細だから今まで見逃してしまったけれど、これがバレルの一部なら銃の素性を分析できる」

 発射された弾丸がバレル内に刻まれたライフリングによって高速回転しながら射出される。その際、弾丸にはライフリングと同じ紋様の線条痕が残るが、削られるのは弾丸表面だけではない。バレル内部も同様に削られるのだ。

「ほとんどのフルメタルジャケット弾だと、表面はギルディング・メタルで覆われている。このギルディング・メタルは銅九十五パーセント、亜鉛五パーセントの合金だから真鍮製のバレルに削られるんだけど、真鍮の方も全く無傷じゃいられない」

「ロカールの交換原理みたいですね」

「その通りだよ、相倉くん。『二つの物体が接触した場合は物質の交換が行われる』。それが如何に微細なものであっても、検出が困難なものであっても例外じゃない」

「所長はこれを予想していたんですか」

「どんな場合にでも当てはまるのが『原理』だからね。今回も例外だとは思わなかった」

 ここからの作業が難儀だ。弾丸から異物を取り除いて分析するのだが、切除にはレーザーを使うしかない。レーザードリリングはダイヤモンドに含まれる不純物を取り除いて純度を上げる工程で使用される技術だが、鑑定の世界でも流用されている。難儀なのは作業工程全てを自動化できず、除去には一部人の目と指先に頼らざるを得ない点だった。

「異物の除去は飯沼くんに任せる」

「僕がですか」

 意外そうに目を丸くする相手に対し、氏家は覆い被さるようにして命じる。

「繊細な技術と視力を必要とする作業だからね。飯沼くん、手先が器用だからそういうの得意でしょ。なあに、試料にできる分を除去できればいい」

「何ミクロンの世界じゃないですか」

「最近、僕も視力が落ちたからね。頼むよ」

 氏家は相倉に向き直る。相倉も微細な異物が可視化できたことに驚いているようだった。

「幡野さんが精細にしたはずの画像には微塵も出現しなかったんですけどね」

「誰も彼を責められないさ。科捜研に与えられた機器で仕事をさせられたら、当然のように見逃しが発生する。予算がないという経済的理由が、もっと重要な鑑定を歪めている」

「カネの問題は根が深いですね」

「カネの問題よりも覚悟の問題だろうね。等々力管理官辺りがもっと本腰を入れて予算請求しないと、科捜研の鑑定クオリティはなかなか向上しない」

「等々力管理官に意見できるのは所長くらいのものです」

「意見した途端に殴られそうで嫌だ。それよりは有望な人材を引っこ抜いた方が手っ取り早い」

 うわあとたじろぐふりをしながら、相倉は苦笑する。

「除去した異物の分析は相倉くんに任せる」

 二人に共同作業させれば、わだかまりも自然解消するだろう。安易な考えかもしれないが、これ以上に効果的な方法は思いつかなかったのだ。

「所長は、鑑定には細心の注意を払いますけど、人間関係に立ち入る時には結構無頓着ですよね」

 まるでこちらの思惑を見透かしたような口ぶりだった。氏家本人にも思い当たるフシがあるので否定しづらい。

「そうかな」

「まあ、僕は今のままで構いませんけどね。変にカウンセラーみたいなことをされても困りますから」

 言いたいことだけ言うと、相倉は飯沼が始めた除去作業を彼の背中越しに見守り始めた。二人ともなりは大人だが、精神構造は十五歳程度かもしれないと、氏家は内心で微笑む。

 

 

(つづく)