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『ご通行中の皆様、お騒がせして申し訳ございません。笹川です。東京都知事笹川義則でございます。今までご挨拶できず、誠に失礼いたしました。都知事としての仕事に忙殺され、どうしても外に出ることが叶いませんでした』

「忙殺されたにしては元気な声だな」

 選挙カーの十メートル後ろから護衛している宮藤は、助手席で毒づいてみせる。

「あれで七十五歳なんだからな。政治の世界が魑魅魍魎だらけってのは満更嘘じゃなさそうだ」

 ハンドルを握る葛城は肯定も否定もせず、ただ選挙カーと等間隔を保って運転を続ける。

 とうとう都知事選は残すところあと三日となった。従前から宣言していた通り、笹川も知事室から抜け出して選挙カーに乗り込んだという次第だ。

 ここ数日間の進捗状況を省みると、葛城は不甲斐なさに胃の辺りが重たくなる。折角氏家から貴重な情報とウィンチェスター銃の精巧なレプリカを提供されたというのに、捜査は遅々として進まなかったからだ。

 中央製鉄所の通販部に捜査関係事項照会書を送付すると、二日で返事が返ってきた。ここ一年間にステンレス鋼を購入した個人のデータを提供してくれたのだが、その数実に七百人余り。品物の送付先を首都圏に限定しても五百六十三件もある。直ちに手分けして追跡調査を始めたが、捜査員四百名を全員投入する訳にもいかず、未だ半分も進んでいない。葛城たちも笹川の護衛が終わり次第、購入者の洗い出しに駆り立てられる予定だった。

『本日午後二時からJR有楽町駅、東京交通会館前にて街頭演説を行います。都政に大いに関心ある方、わずかでも関心ある方、全く関心のない方もどうぞ足をお運びください。笹川は心よりお待ちしております』

 セクハラやパワハラで評判を落としても尚、現職の強みか笹川の人気は絶大だ。往来では激しく手を振る通行人もおり、満を持して街頭に出た甲斐はあったようだ。

「案外、未詳Xというのは当初俺たちが考えていた以上に知能犯なのかもしれん」

 宮藤は独り言のように呟く。

「なかなか尻尾を現わさないからですか」

「それもあるが、今の状況を予想していたとしたらだ。都知事選候補者は二十人超。いずれも、万が一を考慮して俺たち警察官が選挙活動中はぴったりくっついて護衛している。護衛が終われば容疑者の洗い出しが待っている。いくら選挙期間限定といっても、捜査員の体力気力にも限界ってものがある。しかも警視庁管内の警察力のほとんどが知事選に投入されているから、所轄の通常業務に支障が出ている有様だ」

 宮藤の弁はもっとものように思える。事実、捜査本部だけに限っても連日の強行軍で機能不全に陥りつつある。所轄の協力も限定的であり、葛城自身疲れの取れない日が続いている。

「憶えているか。外崎候補が狙撃された際、都の選挙管理委員会は『選挙を暴力行為で妨害しようとする動きは民主主義に対するテロリズムに他なりません』と宣った。未詳Xの目的が何であれ、結果的にヤツの起こした行動はテロリストのそれと寸分違わなくなっている。初めから企図した上での狙撃だったとしたら、おそろしく頭の切れるヤツだ」

「買い被りじゃないでしょうか」

「たとえ本人が企図していなくても、結果的にこうなったんだから仕方がない。情けない話、俺たちは未詳Xの掌の上で踊らされているんだ」

 吐き捨てるような口調が宮藤の心情を物語っていた。

 氏家から提供されたもう一つのプレゼントであるウィンチェスター銃のレプリカも、捜査本部をどよめかせるには充分だった。試しにSATの新見班長が射撃訓練場に持ち込み試射してみたところ、本物と同等の命中率だったという。しかも発射された弾丸に刻まれた線条痕が狙撃事件の弾丸のそれと完全一致したことで、使用された銃の捜索は3Dプリンターの所有者探しに舵が切られた。氏家鑑定センターの面目躍如といったところだが、対する捜査本部の対応は遅きに失した感がある。

「こうなってみると、氏家所長を手放した科捜研、等々力管理官の責任が問われるかもな。もし氏家所長が科捜研にいてくれたら、もっと早くに捜査方針が確立できた。土屋さんの説に沿って容疑者探しができた。だが科捜研の幡野先生の説にも目配りした分、後手に回った」

「そんなの結果論じゃないですか」

「考えるのも胸糞悪いが仮に未詳Xが目的を果たしたあかつきには、必ず責任論が勃発する。氏家鑑定センターの評価が上がれば上がるほど、科捜研と等々力管理官の責任が問われるという寸法だ」

「氏家所長の本意じゃありませんよ」

「それは分かっている。氏家所長にとっても不本意な流れだ。だがな、戦犯探しってのが元々不本意なものだ」

 今までに不本意なかたちで責任を取らされた者を知っている口調だった。だからこそ宮藤の話は冗談では済まされない。

「どんな事件にも終わりはある。ただ終わり方が違うだけだ。未詳Xの起こした事件も同じだ。ただし巻き添えを食う刑事が何人か出てくる」

「それも穿ってやしませんか」

「未詳Xの標的が笹川知事だとしたらどうだ。ヤツが首尾よく暗殺を成功させたら、間違いなく警備に当たっていた捜査本部には批判が集中する。上を含めて何人かの首が飛ぶのも覚悟しなきゃならん」

 嫌な予想だ。容易に思いつく予想だから尚更嫌気が差す。

「想像したら気分が悪くなってきました」

「今の段階で気分が悪けりゃ、暗殺が成功したら吐く羽目になるかもな」

「よしてくださいよ」

「そうならんためには、二発目の銃弾が発射される前に未詳Xを逮捕することだ」

 行き着くところはやはりそこか。

 諦めにも似た覚悟が、改めて胸中に満ちる。選挙戦はあと三日、いったい未詳Xはいつ、どこから誰に銃口を向けているのか。

 

 

(つづく)