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 相倉が絞り込んだ情報と飯沼が3Dモデリングしたウィンチェスター銃を見せられた葛城は、小さく歓声を上げた。

「すごいですね。まさかウィンチェスター銃のレプリカまで作っていただけるとは」

 まるで子どものように目を輝かせる。こんな風に無邪気な顔をする刑事は珍しい。相倉と飯沼がいたらさぞかし得意がるに違いない。

「一応エアガンの要領で弾丸に線条痕を刻む仕様ですが、実弾を発砲するのも可能です。実弾なら、より実際の発砲に近似したデータが得られるはずですよ」

「3Dモデリングで可能性を実証し、ステンレス鋼の販売元の絞り込みで活路を開く。こちらが期待していた以上ですよ。本当にありがとうございました。捜査本部に成り代わりまして感謝申し上げます」

「ウチの所員は優秀でしょう」

 前言撤回。

 一番得意がっているのは氏家本人だ。

「ええ、心底そう思います。毎度、鑑定をお願いできない状況なのが悔しいくらいです」

「ありがとうございます。ただウチは民間ですからね。警視庁さんが想定しているよりも、請求金額は大きくなるかもしれません」

「これだけの成果を挙げてくれたんです。支払いを渋るようだったら僕が予算を捥ぎ取ってきますよ」

 社交辞令なのだろうが、葛城から聞かされると案外本気なのかもと思わされる。

「実は今、捜査本部の中に疑念を抱いている向きもあるんです」

「どんな疑問ですか」

「果たして未詳Xは本当に都知事候補者を狙撃するのか、と。ひょっとしたら都知事選ではなく来年に控える衆院選が真の目的じゃないかとか、そもそも外崎候補への狙撃は彼に対する嫌がらせの一部でこれ以上の事件は起きないんじゃないかとか疑義を差し挟んでいるんです」

「確かに犯行声明がある訳でなし、事件の継続を示す物的証拠もありませんからね」

「今回、都知事選に立候補している一人がこんな風に言いました。『選挙期間中であるにも拘わらず街頭演説をしないというのは、明らかに日常を奪われた状態じゃありませんか。つまりその時点でテロリストじみた犯人は目的を達成していることになります』」

「理屈としては通っていますね」

「氏家さんはどう思われますか」

「現状は確かに非日常と言わざるを得ません。しかし思想犯なら狙撃事件の後に犯行声明があって然るべきです。ところがそんなものは一切ない。わたしはテロリスト説、怪しいものだと思いますね。未詳Xの標的が誰であるかは分かりませんが、外崎候補の狙撃だけで終わるとは到底考えられません。それは断言してもいいです」

「根拠を教えていただけますか」

「今回の鑑定依頼を受けてはっきりしました。外崎候補に対する嫌がらせにしては手間暇もカネもかかり過ぎるんです」

 氏家は予め作成していた請求書を取り出してみせる。内訳を確認した葛城はやがて苦笑いを浮かべた。

「これはなかなかの金額ですね」

「鑑定費用以外にもステンレス鋼の購入と3Dモデリングの費用、ウィンチェスター銃の製造まで含めると相応の金額になります。我々には慣れた仕事なので効率的にできますが、慣れない者ならもっと時間とカネがかかるでしょう」

「そんな手間暇とカネを、単なる嫌がらせに費やすはずがない」

「犯罪というのは一種の経済活動です。犯罪者は最小の経費で最大の効果を得るために計画を練るものです。決して、そんな無駄遣いはしませんよ」

「充分な説得材料です。疑義を唱える連中も納得せざるを得ないでしょう」

「ところでこの先、どう捜査を進めるんですか。中央製鉄所の通販サイトには購入者の記録が残っているでしょうけど、あくまでも個人情報ですからね」

「捜査関係事項照会書で回答いただけると思います。むしろそこからの追跡調査が肝ですよ。それに未詳Xが素直に自宅を荷物の受取場所にしているかどうかも怪しいところです」

 なるほど周到な犯人なら私書箱を設置するなり他人の住所を悪用するなりして、己の居場所をそうそう明らかにはしないだろう。

「葛城さんはロカールの交換原理をご存じですか」

「生憎と初耳です」

「『ある異なる物体が接触する時、一方から他方へその接触した事実を示す何らかの痕跡が必ず残される』。法科学の先駆者と呼ばれるエドモンド・ロカールが提唱した犯罪学の初歩ですよ。簡単に言えば、二つの物体が接触した場合は物質の交換が行われるという意味です」

「ははあ。何かをすれば、必ず何かしらの痕跡が残るという訳ですね」

 飲み込みが早くて助かる。

「未詳Xは3Dプリンターでウィンチェスター銃をモデリングしている。それならば必ず部屋に研削したステンレス鋼の欠片や作業跡が残っているはずです。通常の家庭ではあるはずのないものが現場にある」

「確かにそれだけで未詳Xを特定できますね」

 葛城は俄に力を得たようだった。

「現在、捜査本部は四百人体制で捜査に当たっています。選挙の最終日には更に増員する予定とも聞いています。二発目の凶弾が発射される前に、必ず未詳Xを逮捕してみせますよ」

「一つ気掛かりな点があります。いや、一介の鑑定人が捜査に口出しをするつもりもないのですけどね」

「何でも仰ってください」

「仮に未詳Xが先日の外崎候補の例のように演説中の候補者を狙った場合、今度は聴衆も危険にさらされます。前回、彼がJR小岩駅前で演説をしていた時、聴衆はほとんどゼロだったと聞いています。しかし都知事選で有力候補の演説ともなれば数百人数千人の聴衆が集まる。未詳Xの腕前が確かなら標的は候補者一人だけですが、少しでも照準が狂えば聴衆に負傷者が出かねない」

「それは捜査本部でも苦慮したところです。候補者全員に街頭演説の自粛を申し入れましたが、聞き入れてくれたのはたったの三人。有力とされている候補者たちはまるで聞き入れてくれませんでした」

「いくらテロリズムに抵抗するとはいえ、命知らずにも程がある」

「僕の意見は少し違います」

 葛城の目は静かな憤りを帯びていた。

「自分の命じゃなく、聴衆の危険にまで考えが及んでいない。都民が狙撃の巻き添えになる可能性を失念しているか、さもなければ気づかないふりをしている。そんな候補者が当選しても、果たして都民の立場になってくれるのかどうか、僕はとても心許ないのです」

 

 

(つづく)