今月のベスト・ブック

写真=©David Wall/©Getty Images
装幀=新潮社装幀室

『隣人』
シャロン・ボルトン 著
川副智子 訳
新潮文庫
定価 1,265円(税込)

 

■リチャード・デミング『絞首台のある庭』

 

 昨年刊行されたリチャード・デミングの中篇集『私立探偵マニー・ムーン』は、広範な支持を得て《このミステリーがすごい!》の海外篇1位を獲得した。1940年代から50年代にかけて書かれた古い小説ながら、軽ハードボイルドに本格謎解きを足し、娯楽性に全振りした創作姿勢が、現代日本の読者に刺さったのだろう。そのマニー・ムーン・シリーズの第1長篇『絞首台のある庭』(田口俊樹訳/新潮文庫)が刊行された。

 

 戦争従軍で片足が義足となっているムーンが今回挑むのは、遺産相続絡みの殺人事件だ。亡父が大富豪だった19歳の娘が、ムーンの事務所を訪れて、自分たち兄妹が命を狙われていると訴える。護衛を引き受けたムーンが邸宅を訪れると、そこには疑わしい人物が揃っており、なおかつ死体も発見される。

 

 ムーンは、ひねた台詞を饒舌に繰り出し、暴力沙汰もウェルカムという、パルプ・フィクションの私立探偵の典型だ。そんな彼が、上流階級の大邸宅を主要舞台とする本格ミステリっぽい事件に巻き込まれるのがまず面白い。前作の中篇集では基本的に、物語の要素や様式はパルプ・フィクションの安手の犯罪小説のそれを維持しており、本格ミステリの要素はトリックや推理に限定されていた。今回は物語の要素、舞台装置、構成には本格ミステリの性格が強く、ムーンは異物である。だがその異物感の何と楽しいこと!

 

 ムーン本人はもちろん、今回はその仲間たちも一層キャラ立ちする。デイ警視は未亡人に一目惚れして調子を崩す。ムーンの元恋人ファウスタはムーンとの親密な関係はそのままに事件関係者の世話を焼く。特筆すべきはファウスタの部下にしてムーンの友人モウルディで、良い奴ながら融通の利かないおバカなキャラクターとして、出て来る度に場を秀逸なコメディに転換する。これにムーンが加わって縦横無尽に動き回り、物語全体を、本格ミステリに楽しく異化効果を載せた、素晴らしい娯楽小説に仕上げている。

 

 丁寧な伏線や鋭い推理によって意外な真相を導く、本格ミステリとしての出来も素晴らしい。ここで指摘すべきはタイトルの意味であろう。実は物語に絞首台は出て来ない。本書の題名はG・K・チェスタトン(!)の詩に基づく。デミングは題名によって、謎解きへの飽くなき拘りを表明している。

 

シャロン・ボルトン『隣人』

 

 だが今月のベストはデミングではなく、シャロン・ボルトンに捧げたい。『隣人』(川副智子訳/新潮文庫)は、極めてトリッキーな作品であり、しかも数多ある仕掛けの全てが見事に決まって、読者を驚倒せしめる。

 

 主人公は、イングランドの風光明媚な湖水地方に住む《わたし》である。住居は三連棟のコテージの真ん中の部屋で、ゴシップ好きのオールド・ミスよろしく、近隣住民を観察し秘密を探る日々を送る。最近左隣の部屋に引っ越してきた女性アナは、パン屋を開業した。《わたし》の見るところ、彼女は明らかに何かを隠している。そんな中、アナの店に家族でやって来た客がトラブルを起こす。アナは、その家族が近所の謎の教会に入れ上げて娘を虐待していると疑い、娘の手助けをしようとする。《わたし》もそれに協力する。

 

 一方、別パートでは傷害事件を起こした少年が女性精神科医のカウンセリングを受ける物語が展開される。少年の挙動は不気味に描写されており、いかにも何かが起きそうだ。

 

 以後、事態は何度も急転し、後半になると、あれよあれよという間に、読者は序盤の頃は思いもよらなかった場所へ連れて行かれる。仕掛け満載の小説であり、意外性を堪能するためには、事前情報をできるだけ持たずに読み進めるのを勧めたい。シャロン・ボルトンは、創元推理文庫から翻訳刊行されていた時期から、先の展開が読みづらい話を得意としていた印象だが、今回はそれが極点に達している。恐らく作者の最高傑作だろう。気持ちよく騙されて驚きましょう。

 

シャルロッテ・リンク『孤独な夜』

 

 最後に、シャルロッテ・リンクのケイト・リンヴィル刑事シリーズの第4長篇『孤独な夜』(浅井晶子訳/創元推理文庫)にも触れておきたい。なぜなら、ミステリ面でもケイトのサーガとしても、シリーズ最高傑作だからだ。16歳の肥満体の少年が自宅で襲撃され寝たきりになってしまう9年前の暴行事件(A)、料理講座の受講生が自分の車の中で殺害される事件(B)、介護士が被介護者を連続で殺しているとの疑惑(C)が主に扱われる。モジュラー型の警察小説のように見せかけて、AとBの現場で同じ人物の指紋が発見されるに及び、少なくともABのミッシング・リンクを探る物語にも発展していく。しかも肥満体の少年の手記らしきパートでは、少年本人が犯罪的な意味でとんでもないことを言いだす(D)。ケイトら警察の捜査の進展に伴い、A・B・Dが複雑ながら奥行きある、見事な相関図を描く。捜査小説を読む醍醐味がめいっぱいに詰まっているのである。

 

 ケイトの人生にも転機が訪れる。過去3作で仲間だったケイレブ(本作では警察を退職して元警部だ)との関係が大きく変化するのである。加えて、彼女はやっと、まともな上司に巡り会う。それが新登場のパメラで、初対面時こそケイトを警戒するものの態度は以後一貫して公平・公正であり、2人は少しずつ信頼を積み上げる。ケイトは引き続き自信がなく悩みがちなままだが、変化の兆しは明らかだ。次作以降の展開も楽しみである。