今月のベスト・ブック

装画=小阪 淳
装幀=岩郷重力+A.T

『タイタン・ノワール』
ニック・ハーカウェイ 著
酒井昭伸 訳
ハヤカワ文庫SF
定価 1,958円(税込)

 

 今月も各社がヒットを多発している。できるだけ多く紹介したいので、レビューはサクサク行きます。最も印象鮮烈だったのでベストに推すのが、ニック・ハーカウェイ『タイタン・ノワール』(酒井昭伸訳/ハヤカワ文庫SF)だ。舞台となる近未来の地球では、高価な上に肉体が巨大化するが理論上寿命がなくなる技術が開発され、超富裕層はその施術を受けて《タイタン》と呼ばれる長命者となった。作中ではそんなタイタンの男の1人が殺され、主役の私立探偵サウンダーが調査を開始する。被害者の過去を探る調査自体はやや一本道ながら、唐突に見世物ファイトを始めるなど展開は波乱と娯楽性に富む。真相もミステリっぽく意外性もたっぷりだ。そして本書最大の魅力は、サウンダーの語り口である。地の文も会話文も、都筑道夫を思わせるほどいかした表現が横溢する。カッコいいし粋だ。しかも明らかに一人称小説であるにもかかわらず、地の文には一人称を指す言葉──私とか俺とか──が全くない。この凝った文章表現からは、訳者の労苦が偲ばれる。

 ジョー・ネスボ『失墜の王国』(鈴木恵訳/早川書房)は、主人公ロイが暮らすノルウェーの山間部の村に、投資で成功した弟カールが15年ぶりに戻って来て、高山部にリゾートホテルを建てようとする物語だ。これだけ聞くと家族小説&ビジネス小説(田舎に資本主義が盛大に流入)に見えるしそれも間違いではない。しかし、兄弟が抱えた一家の秘密と闇はそれ自体がミステリ性を濃密に湛えている。加えて、その過去が現在のホテル建設計画にも影響を及ぼすのである。また、この計画自体、詐欺まがいの手法が駆使されており、登場人物間の騙し合いすら起きる。経済犯罪を描いたクライム・ノベルとしても読めるのだ。おまけに、カールの妻シャノンと、義兄ロイの関係が徐々に変化していく。ここにノワールを見る人もいるだろう。これら全てが不安感に満ちており、ストーリーは常に不穏に進行するのだ。兄弟の絆をはじめ、人間関係や宿命の描き方も堂に入っており、読み応え満点だ。

 S・J・ローザンの〈リディア&ビル〉シリーズ最新作『ファミリー・ビジネス』(直良和美訳/創元推理文庫)も期待にたがわぬ面白さだった。今回の視点人物は中国系アメリカ人のリディアだ。チャイナタウンの大規模再開発計画が持ち上がる中、病死したギャングのボスが計画エリアの中枢に位置する建物の権利を姪に遺してしまったことを発端に、リディアの家族をも盛大に巻き込んで、私立探偵小説という枠組をはみ出さんばかりの大騒動が持ち上がる。事実関係も人間関係もかなり複雑で錯綜するのだが、実際に読むと全く混乱しないのが凄い。ミステリ的な驚きも用意された、広く薦められる逸品。

『ロンドン・アイの謎』でミステリ界隈でも話題になった故シヴォーン・ダウドのデビュー作『すばやい澄んだ叫び』(宮坂宏美訳/東京創元社)では、荒れた貧困家庭で暮らす15歳の少女シェルが、過酷な事態に陥ってしまう。この事態こそが本書をミステリと判定する理由なのだが、未読者の興を殺ぐため説明は省く。特徴は詩情豊かな文章であり、シェルの視点から何がどう見えているかを丁寧に描き出す。それだけで素晴らしいが、ポイントは、それらの表現はあくまで三人称小説だからこそ為されたに過ぎず、シェル自身にはこんな語彙はなく、自らの窮状や状況を言語化する能力には欠けている、ということである。どんなに素晴らしい感受性を持っていても、適切な知識と言動が伴わなければどうにもならない。そんな貧困層の現実をまざまざと描き出しているように思える。しかし、繰り返すが、たとえそうであったとしてもこの小説は美しい。加えて、最終盤で明らかな救いがもたらされるのは、それでもなお豊かな感受性に裏打ちされた人格こそが人間の本質である、との強いメッセージだ。

 玖月晞『少年の君』(泉京鹿訳/新潮文庫)は、いじめを受ける吃音の少女・チエンニエンを、不良少年の北野ベイイエが助けようとする物語だ。版元公式の粗筋上は暗い青春小説にしか見えないこの作品が明らかなミステリに転じるのは、3分の1まで進んだ辺りからだ。そして三分の二まで進んだ辺りで、ミステリとしてのレベルが確実に一段上がる。これらの具体的説明をするわけにはいかず隔靴掻痒の感があるが、主な視点人物が刑事になるとだけは書いておくので、皆さん察してください。過酷な状況に置かれた陳念と北野と、その絆を、感傷と箴言に満ちた柔らかな筆致で描写していくのは鮮烈としか言えない。そしてそこまでやっておきながら、2人の関係性の最も深いところが、ミステリとして解かれていく構図になっているのが素晴らしい。

『7人殺される』(阿井幸作訳/ハーパーBOOKS)は、凄腕刑事・羅飛が主人公を務める周浩暉《邪悪催眠師》3部作の第2部である。タイトル通り連続殺人が発生し、羅飛ら警察の必死の捜査も虚しく、事件はなかなか止められない。遺体がなぜか満足げな表情を浮かべているのが特徴だ。単体としても楽しめる内容だが、前作に続いて、催眠術が現実よりも遥かに強力に設定されており、劇的かつ動的なストーリーに魅入られるためには、この設定を呑み込む必要があるかもしれない。なお、物語が展開していった果てに、社会派的な視点があるのも興味深かった。