今月のベスト・ブック
『恐るべき太陽』
ミシェル・ビュッシ 著
平岡敦 訳
集英社文庫
定価 1,815円(税込)
第二次世界大戦×軍事・諜報分野での女性進出を描く小説、となると近年では『コードネーム・ヴェリティ』や《マギー・ホープ》シリーズ、『同志少女よ、敵を撃て』が印象深い。このグループに新戦力として加わったのがN・R・ドーズ『空軍輸送部隊の殺人』(唐木田みゆき訳/ハヤカワ・ミステリ文庫)である。英独間の空戦激化で男性パイロットだけでは頭数が足りなくなった1940年、若い女性パイロットがケント州の空軍基地に集められ、輸送機操縦の任を与えられる。しかし操縦技能の高低にかかわらず女性であることを理由に戦闘機操縦は許されていない。そんな中、基地とその周辺で、女性パイロットを狙った連続殺人が起きる。主人公リジーはパイロットであると同時に心理学博士でもあり、上官や警察に、プロファイリングを通じて事件捜査に協力できると訴える。当初は捜査官のケンバー警部補も彼女を追い払うが、リジーはめげずに助言を(勝手に)送り続け、ケンバーの姿勢は軟化していく。
本書の女性陣は、性差別に晒されるばかりか連続殺人の標的になり、困難、恐怖、悲嘆に見舞われる。だが決して快活さとユーモアを失わない。いかにもイギリス人と言いたくなる不屈の精神が、読者を魅了するだろう。これに加えて本書では、プロファイリングそれ自体が克明に描写される。シリアルキラーに対する心理学上の分析とその手法を、ここまで具体的に描き切った作品はちょっと記憶にない。リジーがパニック障害を持ちそれをどうやら隠しているのが良いアクセントになり、分析自体にスリルが生じているのも大きい。真相への伏線も十分、推理小説として間然するところがない。良作です。
ヴァージニア・ハートマン『アオサギの娘』(国弘喜美代訳/ハヤカワ・ミステリ)の主人公ロニは、首都ワシントンのスミソニアン博物館で鳥類画家として働く30代女性である。母の不調を弟から連絡され、フロリダの田舎町に帰省した彼女は、母の持ち物から、ヘンリエッタという名の人物からの手紙を見つける。そこには、20年以上前に湿地で溺死したロニの父ボイドについて話があると書かれていた。漁業局に勤め湿地を知り尽くした父の死を、かねてより不審視していたロニは、ヘンリエッタを捜す。
この粗筋だけを見ると、ストーリーは過去を向いている。首都で活躍していた女性が、田舎に帰省して、認知症になった母、以前は可愛かったが今は独断専行気味になった弟に接しながら、大昔の父の死の真相を探る。周囲にあるのは湿地帯の大自然。だから『ザリガニの鳴くところ』やトマス・H・クックよろしく、物語は俯き加減で粛然と進むように思える。事実、最初は主人公の一人称独白はしんみりしている。帰省して親の老いや肉親の変貌、故郷の経年変化に直面すると自然とそうなりますよね。ところが徐々に、ロニの活発さが滲み出て来るのだ。旧友との会話のノリは完全にガールズトーク。認知症の母親とは喧嘩をし、弟には独断が過ぎると怒り、弟の妻とは角を突き合わせる。恋が盛り上がると地の文でうーっ。とか言い出す。貴方そんなキャラでしたっけ? と突っ込みたくなる言動のオンパレードで、クライマックスなどもう完全にプッツン(死語)していて笑う。こういった快活な側面は、過去を向いた推理劇に良い塩梅で活気をもたらす。こういうコントラストの効いた話作り、大好きです。
以上2長篇いずれも良いのだが、今月のベストミステリーは『恐るべき太陽』(平岡敦訳/集英社文庫)一択である。ただでさえトリッキーなミシェル・ビュッシの諸作の中でも群を抜いて手が込んでいるからだ。
仏領ポリネシアのヒバオア島在住の人気作家PYFが、作家志望者とその同行者を招いて、7日間の創作セミナーを高級ペンション《恐るべき太陽》荘で開く。作家志望者は全員女性で、野心的な女性、人気ブロガーの老婦人、パリ警察の主任警部(と彼女に同行する夫の憲兵隊長)、黒真珠養殖業者の夫人(と同行してきた娘)、謎めいた美女で構成される。主要登場人物には、編集者や、ペンションのオーナー一家なども加わる。そして序盤でPYFが失踪した後、主要登場人物が1人また1人と死体になっていく。
本作は厳密にはクローズドサークルものではない。《恐るべき太陽》荘と周辺とのアクセスは終始維持され、登場人物がのんきに街を散歩する場面も頻出する。ただフランス本国から遠く隔たった太平洋上の離島ということで、登場人物の活動には、たとえ警官や憲兵の身分を持つ者であっても、制約がかかる。そんな中、殺人が連続して発生する。サスペンスに満ちた展開といえるし、登場人物が抱える秘密を徐々に明かしたり、語り手を頻繁に交互させて2つのプロットを同時並行させることもある等、読者を飽きさせない。人間関係の交錯も興味を惹く。
ただこれら全ての読みどころは、最後に明かされる大ネタにより、その印象を吹き飛ばされてしまう。全文を読み返したくなること必至の、びっくりするほどの大仕掛けであり、私も実際2度読んだのだが、2度目は記述のあまりのスレスレっぷりに手に汗握ってしまった。しかもフランス小説のちょっと気取った書き方が、煙幕として機能している。これ以上具体的に紹介できない評者を許してほしい。とにかくオススメ。強烈です。