今月のベスト・ブック

装画=早川洋貴
装幀=新潮社装幀室 

『終止符には早すぎる』
ジャドスン・フィリップス 著
矢口誠 訳
新潮文庫
定価 880円(税込)

 

 ケイトリン・R・キアナン『溺れる少女』(鯨井久志訳/河出書房新社)は、ホラーであり、幽霊譚であり、幻想小説である。と同時に、謎を読者自身で解こうとするような読み方──つまり本格ミステリの読み方でアプローチすれば、その面白さと味わいが一段と深まる類の小説である。

 

 物語は、アメリカのロードアイランド州に住む若い作家インディア・モーガン・フェルプス(通称インプ)が書く回想録、という外形を取る。母も祖母も統合失調症であったという彼女は、自身も破瓜型統合失調症と診断されている。道端で出会ったトランスジェンダーの恋人アバリンと暮らすインプは、ある日、謎めいた少女エヴァと出会う。

 

 この小説の特徴は、語り手インプの信頼のできなさにある。インプには、エヴァとの出会いが7月と11月の2通りの記憶がある。季節だけではなくシチュエーションも2つで全く異なる。これが異常な状態であるとはインプも自覚しているが、彼女は焦りや恐怖を感じるでもなく、落ち着いた筆致と共に混沌の海に沈んでいく。地の文では、基本的に「わたし」という一人称で進むにもかかわらず、随所で地の文の主体が「インプ」や「彼女」など三人称形式に解離する。このただでさえ混乱しそうな状況で、話は時系列順に進まない。インプが語るエピソードはかなりシャッフルされており、何かが起きていることは間違いなさそうだが、具体的にそれが何かはなかなか判然としない。挙句の果てには、彼女が書いた短編小説も挟まれ、物語は混迷の度を深めていく。そして、この混迷や混沌が、ホラー的事象の結果なのか、認知の歪みなのか、故意による噓なのか、全くわからない。終盤では、あっと驚く真相らしきものも提示される。ただこれも大小様々な矛盾が残ったままであり、終始信用できない叙述を繰り広げてきた主人公が指定した幕切れを、額面通り受け止めて良いかは悩ましい。

 

 この作風はジーン・ウルフに似ているが、不思議なことに『溺れる少女』には人間性への信頼は揺ぎなく通底している。書かれていることが事実かどうかには疑義があるものの、そこに悪意がないこと、人間性への信頼はあることに、読者は確信を抱くはずだ。そういった不思議な読み味なのである。

 

 そして本書の特徴的な「疑義」を十全に味わうために活用できるのが、ミステリ読者が本格ミステリ相手によくやる、「読みながら真意や真実を推定/推理する」なのである。この種の読み方がミステリ読者特有であるとまでは言わない。だが一番慣れている読者が、ミステリ・ファンなのは間違いないはずだ。このコーナーで推す所以である。

 

 ただし、「ミステリの読み方なら一番楽しめる」と「この作品はミステリである」とは必ずしも一致しない。私自身、『溺れる少女』をミステリと断言するにはまだ迷いがあるので、今月のベストはジャドスン・フィリップス『終止符には早すぎる』(矢口誠訳/新潮文庫)にしておく。作者は往年の多作家ヒュー・ペンティコーストの別名義で、50年以上前に植草甚一が絶賛していた1962年所産の作品が、この度やっと邦訳されたのだ。

 

 富豪マシュー・ヒグビーは、馬主になる申請をしたら、申請先の立役者フーパー将軍に殺人者であるからと拒否された。ヒグビーは主人公である弁護士コーネリアスを雇って法廷闘争の準備を始める。そんな折、ヒグビーの愛人宅が襲撃され、直後に襲撃犯の1人(フーパー将軍の甥!)が殺された。警察は当然ヒグビーを疑うが、彼は姿を消す。

 

 ほとんど誰もが好意を抱くが、友人がまるでおらず孤独に暮らすヒグビーの人物像がまず魅力的である。他の登場人物も、話が進むにつれて味が出てくる。それが頂点に達するのが、クライマックスおよび真相解明の場面なのはミステリ・ファンとしては嬉しいところだ。実にウェルメイドなミステリであり、魅力的な複数の人物が織り成す、素敵なストーリーに酔いましょう。

 

 ウィリアム・ケント・クルーガー『真実の眠る川』(宇佐川晶子訳/ハヤカワ・ミステリ)は、1958年、第二次世界大戦の記憶も新しい時代のミネソタ州の田舎町を舞台にしている。実質的には群像劇となっており、嫌われ者の地主が殺害され、先住民の血を引く大戦帰りの男が地域住民から犯人と目されて敵視される。保安官、地域の少年、弁護士などの視点も交えて事実上の群像劇として展開する、アメリカの田舎の美しさ、偏見、生きづらさ、大戦が残した傷を、救いと共に丁寧に描き出すことで、非常に滋味豊かな仕上がりとなっている。

 

 フリーダ・マクファデン『ハウスメイド2 死を招く秘密』(高橋知子訳/ハヤカワ文庫HM)は、大評判をとった『ハウスメイド』のシリーズ第2弾だ。前作のネタバレを含むため、できれば前作の後に読んでほしい。

 

 前作の4年後、主役のミリーは続投しているが、今回は住み込みではなく通いのハウスメイドである。雇い主ダグラスは、妻の調子が悪いとしてミリーが妻の部屋に立ち入るのを禁ずる。しかしどうも様子がおかしい──と、雇用先の異常性が滲み出るサスペンスで引っ張るのが第1部で、ここまでが6割。続く第2部で事態は急転、第3部・第4部で事態は更なる波乱を迎える。今回もめまぐるしいサプライズが楽しめます。オススメ。