今月のベスト・ブック
『聖夜の嘘』
アンドリュー・クラヴァン 著
羽田詩津子 訳
早川書房
定価 2,640円(税込)
今月は豊作なので手際よく紹介しないと字数が尽きる。個人的に最も好きなのはアンドリュー・クラヴァン『聖夜の嘘』(羽田詩津子訳/早川書房)である。大学の文学教授キャメロン・ウィンターが主人公で、報道や人の話を見聞きしては事件の解明に動き始める素人探偵である。よく考えると結構傍迷惑な人物なのだが、常に物悲しさを感じており、目に触れたもの、接した人に対する感慨に耽ることが多く、人間として奥行きを感じさせる。『聖夜の嘘』での彼は、勝手に事件に関与してくるのではなく、正式に調査を依頼されるのだ。プロローグは、街に住む元軍人の男が恋人の女性を殺害したと報道されるシーンとなっている。逮捕された元軍人の弁護士は、事件に違和感を覚え、キャメロンを頼る。そしてクリスマスを控えた冬に、湖畔の街で調査が始まるのである。
何かにつけて感慨に耽る主人公が、調査というよりは彷徨や放浪に近い雰囲気で街を行き、様々な人物と話──主人公も相手も、箴言めいた思わせぶりな表現をよくとる──をする。物悲しさに彩られつつ、不思議と暗くはならない物語は、やがて徐々に真実に近づき、意外にもクリスマス・ストーリーとすら言えるものに変容していく。もちろん事件が事件ゆえ、取り返しのつかない事柄も生じる。それでも、読み終わった読者の心は温まるはずだ。或いは、作者がそうしたかったことは痛いほど伝わってくるはずだ。別名義にキース・ピータースンも持つアンドリュー・クラヴァンの翻訳刊行は実に20年ぶりだが、その事実がどうでも良くなるぐらい、素敵なミステリであると思う。しかも文章表現が凝っているのに端的にまとまっていて読みやすい。情報量も感傷の盛りも多い割には、全体ではわずか230ページ程度なのも素晴らしい。今月のベストはこれです。
手短にまとめられている点ではジェイク・ラマー『ヴァイパーズ・ドリーム』(加賀山卓朗訳/扶桑社ミステリー)も引けを取らない。280ページに、裏社会で生きる男の一代記が凝縮されているのだ。冒頭は1961年で、ジャズ界の実在の大パトロネスの邸宅のパーティーで、クライド・《ヴァイパー》・モートンが内心、自らが犯した3つの殺人を悔いつつ、何らかの重い覚悟を決めているのが描写される。その後に、物語は1938年に遡る。トランぺッターになる夢を追いニューヨークにやって来たヴァイパーは、即座に才能を否定され、代わりに体格を買われてギャングの用心棒となり、犯罪組織で頭角を現していく。ストーリーは波乱万丈で、友情も恋愛も裏切りも完備し、運命の皮肉としか言いようのない展開も訪れる。ヴァイパーは、闇社会の者ならではの《何でもあり》感を纏いつつ、気概や誇りも確かに持ち、主役として申し分がない。行間にはジャズ音楽が満ち、実在のアーティストを登場させて、当時のジャズの社会的ポジションも明確に描写している。これが物語のクライム・ノベルっぷりを絶妙に補足する。ノワールとしてほぼ完璧な仕上がりと言えよう。個人的には、オチの付け方にも驚かされました。
ジャニス・ハレット『アルパートンの天使たち』(山田蘭訳/集英社文庫)は、本文がメール、チャット、SNS、ボイスレコーダーなどで構成されている点で翻訳第1作『ポピーのためにできること』と共通している。今回の物語は、18年前に起きたカルト教団の集団自殺事件の生き残り(当時は幼児)をノンフィクション作家のアマンダ・ベイリーが捜す、という建付けで始まる。本文は、アマンダが本を書くために記録した取材日記、取材記録、そして彼女が知人や仕事仲間と行った主にウェブ上でのやり取りから成る。活発な女性が、過去に話題になった人物の現在を探る体で始まった物語は、次第に過去の真実を探るシリアスな要素が増加していく。中盤では、ある意味ミイラ取りがミイラになるような、主人公が取材対象の渦中に巻き込まれる事象が生じ、加速度的に先が読めなくなっていく。高揚する緊張感、生々しいナラティブ、随所に仕掛けられたミステリ的なサプライズが、読者の興味を掴んで放さない。700ページ超えの長さがほぼ気にならないリーダビリティも、特筆すべきであろう。
同じく700ページ超のベルナール・ミニエ『黒い谷』(青木智美訳/ハーパーBOOKS)は、警部補セルヴァズ・シリーズの第6長篇である。停職中のマルタン・セルヴァズは失踪中の元恋人を名乗る女から電話され、ピレネー山中の村に赴く。折しも同地では不気味な連続殺人が発生中であり、旧作にも登場した女性警官とセルヴァズは再会する。
闇が深い事件を根を詰めて捜査する話が多い本シリーズの中でも、本作は更に飛び抜けて鮮烈な事件内容となっている。主人公の元恋人を捜す物語の傍らで、残虐な殺人事件が発生し村を席巻する。加えて、詳述は避けるが、話の途中で村の陸路は遮断されてしまう。連続殺人鬼(恐怖のタネ)と警察の捜査チーム(庶民が反感を抱き、陰謀論の対象にすらなる憎き国家権力)と共に閉じ込められた村民たちの反応は、作品にパニック小説としての性格を付与する。現代社会に蔓延する様々な分断を象徴するような内容にもなっており、ミステリとしての衝撃度、強烈なサスペンスと併せて、読み応え満点に仕上がっている。ひりつく読書がしたい方は是非。