今月のベスト・ブック
『デスチェアの殺人』(上・下)
M・W・クレイヴン 著
東野さやか 訳
ハヤカワ文庫HM
定価 1,100円(税込)
何でもいいからとにかく驚きたい、という人には、ジョエル・タウンズリー・ロジャーズ『骰を振る女神』(夏来健次訳/国書刊行会)所収の「死はわが友」を薦めたい。新聞紙に包まれた丸っこい物体を持っている人物を男が見ている場面から始まるこの物語は、どこに向かっているのか全く分からないのである。思わせぶりでこれ見よがしな表現が随所に挟まれるので、作者が何かを狙っていることだけはひしひしと伝わる。でも具体的なことは終盤にならないと見えず、見えた後には驚きが読者を襲う。真相に驚くのはもちろん、この話をよくこう書いたな、という驚きも大きい。熱に浮かされたような文体も蠱惑的で、雰囲気を盛り上げる。歴史に残る珍本格『赤い右手』の作者らしい、好事家向きの短篇といえよう。ただ、こういう変な小説が好きな人は意外と多い気もする。なお本書は他にも中篇が2本収録されており、表題作はピカレスク・ロマン乃至ノワール、「ピンクのダイヤモンド」は宝石強盗にまつわるサスペンスで、いずれも珍妙な仕掛けや展開が用意されており、一筋縄では行かない。
ということで『骰を振る女神』をベストにしても良いのだが、さすがに異色作過ぎるので、より真っ当なM・W・クレイヴン『デスチェアの殺人』(東野さやか訳/ハヤカワ文庫HM)をベストに推しておく。大人気《ワシントン・ポー》シリーズの第6長篇で、今回はカルト教団の幹部が殺された事件をポーたちが追う。捜査過程では過去のある事柄が判明するが、これがシリーズ随一の胸糞悪さなのである。しかもこれとは別に、警察上層部がポーの属する重大犯罪分析課に何らかの疑いを抱いていることもわかる。惨い事件と主人公たちの危機に、読者は二重三重の意味で手に汗握るはずだ。
語りにも特徴がある。本作は、事件解決後にワシントン・ポーが精神科医のカウンセリングを受けている際に、事件を回想する、との体裁で綴られている。結果をポーは知っている。この視点で語られる。ポーの後悔や想いもまた響くものがあり、読者を摑んで離すまい。そして、これら全ての要素を丸ごと包括し利用したかのような驚愕の展開が、最後に用意されているのである。真っ当なミステリの手法、その現在最高水準が楽しめる。
ただし『デスチェアの殺人』には超有力な対抗馬がいる。現代最高水準の本格推理の書き手、アンソニー・ホロヴィッツの『マーブル館殺人事件』(山田蘭訳/創元推理文庫)がそれだ。今回は《アティカス・ピュント》シリーズの第3作である。このシリーズは毎回、名探偵ピュントが謎を解くフィクションである作中作と、その小説の編集者スーザン・ライランドが現実の事件に巻き込まれるパートとに分かれている。ピュントの作者アラン・コンウェイは既に亡く、第1作『カササギ殺人事件』はその遺作、第2作『ヨルガオ殺人事件』はそれより前の既存作品がそれぞれ作中作に設定された。今回はどうしたのかというと、若手作家エリオット・クレイスにシリーズ書き継ぎが依頼されており、その執筆中の原稿が作中作となっている。
アティカス・ピュントは脳腫瘍で余命いくばくもないとの設定ながら、まだ動けはする。1950年代に設定された作中作では、フランスの別荘にいる大金持ちの貴族未亡人が、現地にピュントを呼ぶが、彼に用事を伝える前に毒殺されてしまう。この作中作では、一族の誰もが怪しい言動をよくする。
一方、現実のパートでは、エリオット・クレイスの生活が乱れ始める。エリオットの今は亡き祖母ミリアムは、イギリスの国民的児童文学作家だった。一族は彼女の死後、財団を作ってその版権を管理し膨大な富を得ている。しかしエリオットが言うには、ミリアムは人間の屑だったという。エリオットの原稿を読んだ流れで、彼の世話を焼く羽目になったスーザンは、ミリアム・クレイスとクレイス家の影の深みにずぶずぶと嵌っていく。
作中作の精緻な謎解きと、現実パートのショッキングで意地悪な展開という本シリーズの魅力はそのままに、今回は、作中作と現代パートのリンクの強度が、シリーズ中最高となっている。作中作のそれは現実のあれをこう反映していたのか、と膝を打つこと請け合いである。もちろん、過去2作も作中作と現代パートの連結は強固だった。しかし今回はその程度が、段違い、桁違いなのである。
ベンジャミン・スティーヴンソン『真犯人はこの列車のなかにいる』(富永和子訳/ハーパーBOOKS)もまた、謎解き小説の魅力に溢れた1冊である。前作『ぼくの家族はみんな誰かを殺してる』では、題名通り登場人物の大半が人を殺していたとの真相を用意した上で、プロローグで語り手が様々な事項を予告ないし宣言し、その通りフェアプレイに徹していた。オーストラリアを縦断する豪華寝台列車《ザ・ガン》で殺人事件が起きる今作でも、前作から続投した主人公が、序盤で早々に様々な事項を宣言する。そして実際その通りになるフェアプレイを披露するのだからたまらない。なんと真犯人の名前が135回出てくることすら予告するのだ。面倒なので私はやらなかったが、真面目にカウントすれば終盤になると犯人の当たりは付きそうなものだが、これを作者がどう扱っているかも読みどころの一つだ。いずれにせよ、素晴らしいフーダニットなのは保証する。




