今月のベスト・ブック

装幀=大岡喜直(next door design)
『夜明けまでに誰かが』
ホリー・ジャクソン 著
服部京子 訳
創元推理文庫
定価 1,540円(税込)
『自由研究には向かない殺人』に始まる、高校生ピップを主人公に据えたYAシリーズで名を挙げたホリー・ジャクソンが、事実上の完結作『卒業生には向かない真実』でとんでもない展開を用意し、「何をするかわからない作家」に転じたのは記憶に新しい。そのジャクソンが単発(恐らく)のサスペンス長篇に挑んだのが、『夜明けまでに誰かが』(服部京子訳/創元推理文庫)だ。キャンピングカーで旅行中の6人の若者が、人里離れた場所で銃撃されて、車を動かせないばかりか車外にも出られなくなってしまう。ここに狙撃犯が無線で連絡してきて、6人の中に秘密を持つ人物がいるからその秘密を明かせと要求してくる。本書は数時間にわたるこの事態の顚末を描く。
主人公は6人の中で最も貧しい女子レッドであり、三人称小説ながら、レッドの思考が地の文に高頻度で記載されていく。前半で6人は、危機的状況を脱出しようと試行錯誤する。それらが概ね失敗に終わった後半において、6人は疑心暗鬼に陥ると共に、前半から随所で「何かある」と匂わされてきた各自の秘密が、いよいよ暴露されていく。
ホリー・ジャクソンは読者の感情を繰るのが上手い。レッドに感情移入して、6人の中でリーダーを気取る人物に反感を抱くように導く。諸悪の根源であるはずの狙撃犯は、しかし屋外の暗がりに潜み続けており、見えないからこそ、6人や読者の怒りと苛立ちは向けられづらい。この前提で、前半では事態をエスカレーションさせて、後半で一気に読者の感情を、脳を、揺さぶってくるのだ。そしてその果てで判明する真相に、こちらの心はぐちゃぐちゃに乱されることになる。『卒業生には向かない真実』でも発揮されていたこの手法は、本作でより洗練されたと評価したい。500ページ超の大部ながら、緊張感は途切れない。6人の若者が、長々と自分語りをしないのも良い。彼らの人格描写や秘密の告白は、あくまでも自然なやり取り(もちろん、危機的状況下のやり取りとしては自然、という前提条件はあるが)の中で為される。一気読み必至の本作が、今月のベスト。
とはいえ強力な対抗馬はいて、こちらも本当に素晴らしい。リチャード・デミング『私立探偵マニー・ムーン』(田口俊樹訳/新潮文庫)がそれ。1940年代後半から50年代にかけて発表された中篇を7つ収めた日本オリジナルの1冊だ。主人公ムーンは、第二次世界大戦で負傷し片脚が義足になった私立探偵だ。台詞も地の文も軽口塗れで、真剣になる瞬間はほぼない。正当防衛と言い得る範囲では暴力を振るうことも辞さず、結果として相手が死んでも平気である。つまり、いかにも軽ハードボイルド然とした人物なのだ。ところがこの男、推理力が滅法強いのである。7篇全てで、密室殺人をはじめとした不可能犯罪が行われており、その謎をムーンは緻密に解き明かすのだ。そればかりか毎回、関係者を集めて彼らの前で堂々と推理を披露するのである。軽ハードボイルドと本格謎解き小説の融合と言え、野心的な試みと言う他ない。おまけに、軽ハードボイルドとしては起承転結がはっきりしていてセリフ回しや皮肉な展開が洒脱な上に、謎解きに必要な伏線やヒントの配置もしっかりしているのだ。事件の内容やテーマ、関係者の顔ぶれ、ストーリー展開もバリエーションに富む。読者は飽く暇もないだろう。作者デミングの情報がたっぷり詰まった、川出正樹氏の解説も本書の明白な長所だ。このご機嫌な作品の解像度が上がる。オススメの1冊。
キャメロン・ウォード『螺旋墜落』(吉野弘人訳/文春文庫)は、午前零時に墜落する旅客機に乗り合わせた女性チャーリーが、タイムループに見舞われて、午後11時台の機内に何度も戻り、墜落回避のため頑張る物語だ。ただしこのタイムループは、遡及時間が徐々に短くなる上に、回数も上限がある。しかもなぜ墜落したか、理由や経緯が最初のうちは全くわからない。チャーリーは最後のタイムループまでに、①墜落原因を突き止めた上で、②それがわかった時点での残り時間内に、原因を排除することを求められる。
とはいえ、本書を読み終えた読者の心に残るのは、タイムループではなく、親子というテーマと、「決断」というキーワードであろう。実はこのチャーリーのパートに加えて、墜落の1年前を起点に、彼女の息子で旅客機パイロットのセオが、主役として父親を捜す物語が綴られる。捜し出した父親は、チャーリーとの約束だとしてセオを拒絶し、ショックを受けたセオは諦め悪く、父親に追いすがる。母親に愛されていることを十分に自覚した成人としては、セオの行動はあまりにも子供じみており、自立した人間とは思えないものの、家族が自分の思い通りに動いてくれないことに不満を抱く人は、ご存知の通り沢山いる。セオをその一亜種だと納得した上で、読者にぜひ読み取っていただきたいのは、親子の絆と、彼ら親子の人生はそれぞれの決断(意志に基づく選択)に拠るという事実である。墜落する航空機の副機長をセオが務めるまでに至る経緯と、母チャーリーが同機に乗った経緯は、相互に深く関係している。その上で、チャーリーが人知れず、文字通り命懸けで挑む、墜落回避のための奮闘は、読者に必ずや感動、或いはそれに近い情動を運ぶはずだ。