今月のベスト・ブック

装画=ヤマモトマサアキ
装幀=水戸部功

『両京十五日1 凶兆』
『両京十五日2 天命』

馬伯庸マー・ボーヨン
齊藤正高/泊功 訳
早川書房
定価 凶兆 2,420円/天命 2,530円(税込)

 

 馬伯庸『両京十五日1 凶兆』『両京十五日2 天命』(齊藤正高、泊功訳/早川書房)は、ポケミスの2000番と2001番という記念碑的作品だが、それがどうでもよくなるほどの傑作であった。時は1425年、舞台は中国で当時の王朝は明である。後に宣徳帝となる明の皇太子・しゆせんは、首都の北京から副都・南京に到着した途端に、大規模なテロを仕掛けられた。彼自身は軽傷で済んだが、家臣はほとんどが死ぬか人事不省に陥ってしまう。そこに、首都から、父帝・洪熙帝が倒れたとの急報が届く。どうやら、帝位を脅かす陰謀を何者かが張り巡らしているらしい。しかし皇太子は、行啓先の南京で孤立している。誰が味方で誰が敵かすらわからない。そんな中でも信頼するに足る3名の人物──直言居士の官僚・けん、皇太子をそれと知らず助けた捕吏・定縁ていえん、毒を使いこなす謎多き女医・荊渓けいけい──を見出した朱瞻基は、彼らと共に敵の襲撃をかわしつつ、南京を脱出し北京を目指す。物語は、皇太子一行が、次々と襲い来る刺客や困難に打ち克つことを主軸に進む。

 主人公と言えるのは朱瞻基と呉定縁だ。中華帝国の皇太子(史実では後年、皇帝その人となる)といえば、貴人の中の貴人である。その朱瞻基に対して、呉定縁は不敬な態度を貫くのである。それで彼らが対立するかというと違う。徐々に友情が育まれていくのだ。蘇荊渓を挟んだ男女の三角関係も生じるが、それでもなお友情は維持し強化されていく。朱瞻基は、宮殿育ちの甘ったれではない。彼は祖父の故・永楽帝に付き従って、万里の長城の北、草原地帯での戦争に身を投じており、心身は一定程度鍛えられているのである。この物語でも随所で荒事をこなし、ここぞという所で、明帝国──しかもその帝位は、祖父・永楽帝が甥から武力で奪ったもの──を背負う皇太子(次の皇帝)という自らの運命に対し、傑物めいた意志の強さを見せる。

 一方の呉定縁は、捕吏の頭目を父に持ち、頭脳も武芸も能力十分ながら、やる気がなかった。しかし皇太子の北京帰還に協力するうちに、隠していた能ある鷹としての側面が出てくる。そしてここが重要なのだが、実は呉定縁も、重い宿命を(当初は自覚なく)背負っている。そのことは『2』で明らかとなり、プロットは立体化する。そして、この小説のテーマが明瞭になってくるのだ。

 興を殺がないように曖昧に書こう。本書の主題は、1中華的(明王朝的とも換言可能)なノブレス・オブリージュと、2それでもなお貴人の視点から抜け落ちる民草の現実だ。朱瞻基が前者を、呉定縁が後者を概ね表現している。加えて、敵味方いずれも、主要登場人物はほぼ全員、1か2をそれぞれ異なる立場から象徴するし、そうなるよう濃密に人格や行動原理が描写される。それらの交錯は、敵味方の反転を含む予想外の展開を生み、終盤ではミステリ的なサプライズすらもたらす。最終的には、人間の意志の力と共に、《天》という概念をも強く意識させるに至る。これは史記や三国志、十八史略、資治通鑑といった中国の古典と通じる。これをミステリで味わえるとは! もちろん今月のベストはこれで決まりだ。

 J・L・ブラックハースト『スリー・カード・マーダー』(三角和代訳/創元推理文庫)の主人公は2人。一方のテスは重大犯罪班の刑事で、もう一方のセアラはテスの異母妹で、父系の詐欺師一族の一員として腕を上げている。つまり姉のテスは、父に逆らい職業犯罪者になるのを拒み、身元を隠して警察官になったのである。おまけに、この姉妹には、父にも仲間にも厳秘にしている隠し事があるらしい。2人の深刻な因縁が示唆される中、男が殺される事件が発生する。彼は喉を切り裂かれ、フラットの5階から転落したらしいが、その部屋は密室だった。

 となると、密室殺人にフォーカスしてしまうのがミステリ読者の性だが、本作の真の読みどころは、姉妹の過去、姉テスの出自の露見リスク、セアラにかかる殺人嫌疑など、主役2人の秘密や窮状にある。殺人事件も含めて事情は錯綜しており、解きほぐすプロセスが結構複雑。題名の《スリー・カード》に多重の意味が込められているのもお洒落だ。

 ケイヴィオン・ルイス『怪盗ギャンビット1 若き“天才泥棒”たち』(廣瀬麻微訳/KADOKAWA)は、怪盗を題材とするジュブナイルである。著名な怪盗一族に生まれた少女ロザリンは、自分のミスで捕まった母の身代金を用意するため、〈組織〉が主催する若手泥棒コンテスト〈怪盗ギャンビット〉に参加する。〈組織〉が出す課題に挑み、次第に数が絞られていく参加者たちは、次第にそれぞれの事情や因縁(真偽は不明)を漏らし、物語は青春小説を通り越して、リアリティ・ショーのような雰囲気で進む。

 ロザリンの母は、一族以外の者を信用するなと、学校通いや友人作りを娘に禁じてきた。しかしロザリンは、普通の学生生活に憧れている。そんな彼女が同年代の少年少女と〈怪盗ギャンビット〉で出会い、敵対と協力を繰り返す。彼らをただの競争相手として見続けるのは不可能だ。ここに、敵対のみならず、友情や恋愛の発生余地が生じる。それらを活き活きと描いた果てに、ミステリ的な企みが炸裂し、続篇を大いに期待させる幕切れが訪れる。娯楽小説としての完成度は極めて高い。