今月のベスト・ブック

装丁=城井文平

『奇妙な絵』
ジェイソン・レクーラック 著
中谷友紀子 訳
早川書房
定価 各3,410円(税込)

 

 今月は4作が、いずれ劣らぬ素晴らしさだが、趣向や主題がバラバラ。こういう時は一つに絞るのが大変なんですよねえ……。

 セールス・ポイントが1番キャッチーなのは、ジェイソン・レクーラック奇妙な絵(中谷友紀子訳/早川書房)だろう。謎の提示とその解明が、実際に絵を用いて行われるからである。まず謎は、お金持ちの両親に育てられている5歳児が霊(?)に操られて、年齢の割には不気味だったり上手過ぎたりする絵を描く、というものだ。主人公はこの子の住み込みベビーシッターであるマロリーだ。彼女はドラッグ依存症から抜け出しつつある段階であり、子供が上手過ぎる絵を描いたと訴えても、ドラッグ依存を再発させて妄言を弄していると思われ、信用されないのは目に見えている。慎重に対処しようとする中、マロリーは隣人から、この家に住んでいた女性が殺された、という話を聞かされる。

 子供の絵と事態はどんどんエスカレートし、その果てに絵を用いて真相が解明される。この真相が「え、そっち?」とも言うべきもので、ミス・ディレクションが巧みだったことに気付かされる。確かに伏線は大量に張られており、これはやられたと言うしかない。超現実的な要素が物語の根幹に相当混入はしているものの、ミステリの手法が最大限活用されているのは間違いない。

 今月、小説的な味わいが最も深いのはダニヤ・クカフカ『死刑執行のノート』(鈴木美朋訳/集英社文庫)だろう。1人目の主役は、死刑執行を半日後に控えた少女連続殺人犯アンセルである。彼は脱獄を企んでいる。このアンセルが視点を務めるパートは、アンセルが「あなた」と呼びかける2人称でエモーショナルに記述される。彼には、完全な悪人も完全な善人もいないという信念があり、殺しを楽しみつつも、その信念を人生全体では体現してきたことが徐々にわかってくる。生い立ちの痛ましさ、人生で何かを求める切実さ、しかしそれが凶行として発露するままならなさが、丁寧に綴られる。

 もう1人の主人公と呼ぶべき者が、孤児院でアンセルと親しかったサフィだ。彼女は後に刑事となっている。サフィは子供時代のアンセルの行動から、実は彼こそが殺人犯ではと疑う。更に、アンセルの元妻の妹と、アンセルの実母も、視点人物として少なくない章を担い、物語の解像度を高める。

 本書はアンセル逮捕の顛末(と各視点人物の人生)が、話が進むにつれて徐々にわかってくる構成をとる。読者が物語を読み進める原動力は、何がどうなってアンセルが今死刑寸前なのか、という興味である。その過程で、アンセルの理解できない側面と、理解可能な側面(共感すら可能!)の双方が、読者の胸に染み入ることだろう。作者の筆力は明らかで、物語の結末には、しみじみした感慨と、ある種の清々しさすら漂う。エドガー賞最優秀長篇賞受賞も納得の傑作である。

 パスカル・エングマン『黒い錠剤 スウェーデン国家警察ファイル』(清水由貴子・下倉亮一訳/ハヤカワ・ミステリ)は、国家警察殺人課の刑事ヴァネッサを主人公、元軍人ニコラスを副主人公に、ストックホルムで起きた女性の連続殺人に挑む物語である。この小説は、視点を務める人物がとても多い。ジャーナリストの女性、路上生活者の男女、女性に気味悪がられて不満芬々な男などなど、多くの人物が随所で《主役》を務める。本事件は当初、刑務所から仮釈放中の男と交際していた女性が惨殺される事件として現れるが、交錯する視点により、全体がどこに向かっているか、どういう事件なのかなかなか見通せない。これが楽しい。各視点人物のエピソードが一々興味深く、血肉を備えた人間であることが実感される。内容がたっぷり詰まった意外性満点の展開を楽しんでいただきたい。題名にも触れておこう。involuntary celibate(不本意な禁欲主義者)略してインセル――自分がモテないことを女性やフェミニズムに帰責する男性――は、自分がインセルだと自覚することを「ブラックピル(黒い錠剤)を飲む」と表現する。題名にまでなったこのインセルの要素が、物語の中でどう噴出し、登場人物がどう対峙するか。不謹慎ながらこれもまた、確かにお楽しみの1つなのである。

 最後の1作、コラン・ニエル『悪なき殺人』(田中裕子訳/新潮文庫)は、章により語り手が替わる、先が読めないフレンチ・ミステリだ。舞台はカルスト台地が広がるフランスの片田舎で、地元の富豪の妻が失踪して騒ぎになる中、まずは、訪問先の独身の羊飼いと不倫しているソーシャルワーカーの女性が、羊飼いに急に拒絶されて右往左往する。以後物語は彼女を含めた5人の人物で視点がリレーされ、何が起きたか徐々に見えてくる。この視点人物には、果たす役割や事件の見え方(視野)が全く異なる人物が割り振られており、章が切り替わる度に、事件はまるで異なる様相を呈する。リレーの順番も工夫が凝らされていて、読者の惑乱を最大化しつつ起承転結は見事にコントロールされている。1人の人間が直接見聞きできる範囲は限られる、という事実を活かしているのだ。

 肝心のベストは、今日のところは『奇妙な絵』にしておきますが、明日には違う結論になる可能性大。要は4作必読です。