今月のベスト・ブック

装幀=水戸部 功

『空に浮かぶ密室』
トム・ミード 著
中山宥 訳
ハヤカワ・ミステリ
定価 2,750円(税込)

 

 世紀のベストセラー『ダ・ヴィンチ・コード』を擁する、ロバート・ラングドン・シリーズの最新作『シークレット・オブ・シークレッツ』(越前敏弥訳/角川書店)が登場した。実に6年ぶりの第6長篇で、60歳を超えたはずの作者ダン・ブラウンは益々意気軒昂だ。今回は「意識とは何か」についての最新の科学的知見を膨大に取材し、オカルトすれすれの先鋭的要素を盛大に導入しつつ、大変ダイナミックでドラマティック、なおかつ壮大な物語を展開する。

 

 宗教象徴学者ラングドンは、チェコのプラハを訪れていた。旧知の仲でありこの旅で恋人関係となった純粋知性学者キャサリン・ソロモンの講演を聴くためである。講演自体は成功裏に終わったものの、翌日キャサリンは失踪してしまう。そしてラングドンはなぜか強烈な胸騒ぎと不安に衝き動かされ、自分でも理由を説明できないのに、宿泊するホテルが危機に見舞われていると大騒ぎする。落ち着きを取り戻したラングドンに、やってきた警官は爆弾がホテルに本当に仕掛けられていたと告げる。ラングドンと失踪したキャサリンは、テロ犯の疑いをかけられる。一方、キャサリンの著作を刊行すべく準備中の出版社では、その原稿データに何者かがアクセスしていたことが判明する。

 

 以後、物語は、キャサリンの画期的な研究とアイデアを巡って、スケール豊かに展開していく。その内容はここでは秘すが花。意識という曖昧で謎に包まれたものと、自身が巻き込まれた陰謀とを、ラングドンが突き詰めていくにつれて、夢と現実、自己と他者の境界が曖昧になり、挙句の果てに生と死すらもが絶対性を喪失していく、とは言っておこう。超常的要素がてんこ盛りながら、トンデモ理論による与太話と言い切れない絶妙な素材配置と論理構成は、娯楽作家としての作者の実力を示す。そしてここまでやっておきながら、ミステリ的にはよく見かけるある意匠を真相の核の一部に据える。心憎い。

 

 物語の舞台自体はチェコのプラハに概ね限定されている。名所旧跡の雰囲気を物語の味付け、香り付けに活用するダン・ブラウンの特色は今作でも遺憾なく発揮されているといえよう。なおこの街は、神聖ローマ皇帝が本拠を構えていた時代には、オカルトの都としての色合いも強かった。舞台の歴史と佇まいが、物語の中で効果を上げている。プラハを旅したことのある読者なら、本書の味わいは一層増すだろう。もちろん何も知らなくても物語は十分楽しめますが……。

 

 ということで、『シークレット・オブ・シークレッツ』も素晴らしいが、今月のベストはトム・ミード『空に浮かぶ密室』(中山宥訳/ハヤカワ・ミステリ)を選ぶ。理由は明確で、実に緊密な本格謎解き小説だからである。ポケミス換算で僅か280ページの中に、不可能犯罪を巡るハウダニットとフーダニットと、緻密な多重推理と劇的な物語展開とが、ぎゅっと凝縮されているからだ。

 

 原題はThe Murder Wheel、つまり殺人観覧車だ。ただしタイトルの事件は、物語開始時点では既遂だ。舞台は1938年のロンドン、銀行支配人が観覧車のゴンドラ内で射殺され、同乗していた夫人が逮捕される。主人公の弁護士イブズは、無実を主張する夫人の濡れ衣を晴らすため行動を始めた──のだがそれはそれとして、彼は趣味である奇術ショーの観劇に出かける。その舞台上で殺人事件が発生し、先述の銀行支配人殺しとの関連性が発見された。イブズは劇場にいた人物の中では唯一の、2事件に共通する関係者として、警察から容疑をかけられてしまう。

 

 2つの世界大戦に挟まれた時代に隆盛を迎えた黄金期本格ミステリを愛好するというトム・ミードは、実作の上ではクレイトン・ロースンに強く影響を受けている。ロースンは探偵役に奇術師を据え、起きる事件も奇術がらみのケースが多かった。ミードは、作品の時代設定をわざわざ30年代に据えた上で、前作『死と奇術師』と同様、探偵役を引退した奇術師スペクターに続投させている。事件もご覧の通り思いっきり奇術関連と、リスペクトはあからさまである。

 

 しかしそこは現代の作家トム・ミード、何から何までクレイトン・ロースンではない。まず、凝縮感が凄い。何が凝縮されているかというと、全てなのである。展開は矢継ぎ早でドラマティック、主人公イブズがピンチに陥るスピード感も凄ければ、奇術の解説書、怪しげな謎の人物、密室殺人(複数)、そして奇術めいた現象と、謎の提示は頻繁に行われる。イブズが折に触れて行う間違った推理もクオリティは高い。真相に意外性を持たせるための措置(伏線の配置方法や、隠された事実が解明される順番、人間関係、登場人物の属性や置かれた状況の設定、推理場面の演出)も考え抜かれている上に、読者が退屈を覚える前にショッキングに小出しされる。

 

 本格謎解き小説は、真面目にやろうとするあまり、物語が弛緩したり晦渋になったりすることがある。しかし、『空に浮かぶ密室』は、最初から最後まで緊密で緻密で、息つく暇がない。それでいて実質的な読者への挑戦もあるなど、謎解きの精度も高い。小説的肉付けこそ薄めで質感は硬く、登場人物から人間的深みを感じることも難しいが、本格ミステリとしては、読者を飽きさせない点も含めてお手本の1つと言えるのではないか。