今月のベスト・ブック

写真=WIN-Initiative/Neleman/Getty Images
装丁=鈴木久美

8つの完璧な殺人
ピーター・スワンソン 著
務台夏子 訳
創元推理文庫
定価 1,210円(税込)

 

 今月は、手の込んだ仕掛けで読者を翻弄する作家が2名、腕によりをかけた新刊を出してくれた。最初に紹介するのはフランスのギヨーム・ミュッソ、作品は『人生は小説ロマン(吉田恒雄訳/集英社文庫)である。高名な作家フローラ・コンウェイの幼い娘キャリーがニューヨークの自宅から失踪する。フローラは狼狽し憔悴する。一方、パリ在住のベストセラー作家ロマン・オゾルスキは、自分が妙な原稿を書いてしまったことに戸惑う。

 書ける粗筋はここまで。フローラとロマンが共に、子を失う危機に直面している点にも留意したい。フローラは娘が失踪し、ロマンは、別れた妻が息子をアメリカに連れて行こうとしている。愛する子に二度と会えないのではと恐れ、しかしやれることは限られている。そんな状況での2人の嘆きや奮闘が、物語に血肉を与えている。

 さて、実はフローラとロマンの両パートは、ある異常な関係に立っている。そのことは、ロマンのパートが始まった途端にわかる。これが何かはここでは秘すが、抽象的にこうは言っておきたい。本書の構造は、国内の一部作家が好むものである。メタと言えばギリギリ大丈夫かな。しかしミュッソは話を発散させない。幻想怪奇の方向にも振らない。こんな展開にされてはマトモな推理小説にはなりそうもないぞ、という読者の諦めを裏切って、終盤に向けてプロットとストーリーを綺麗に1本にまとめ直すのである。あんなことをしておいて、読後感にとっちらかった印象が皆無。これは凄い。もちろん、真相を推理で事前察知できるタイプの作品ではないが、隠された真相があって、伏線があり、「これはそうだったのか」という驚きが導き出される。この味は謎解きの味だ。

 もう1人は、アメリカの作家ピーター・スワンソン、題名は『8つの完璧な殺人』(務台夏子訳/創元推理文庫)だ。物語構成はこちらがより普遍的ゆえ、今月のBMはこちらにしておきますが、私の心中では同率1位です。一人称の主人公マルコムは、ボストンにあるミステリー専門書店の店主である。ある日、FBI捜査官マルヴィが訪ねて来る。マルコムは以前、完璧なる殺人8選と題して、推奨するミステリー小説のリストをブログで公表していた。『赤い館の秘密』『殺意』『ABC殺人事件』『殺人保険』『見知らぬ乗客』『溺殺者』『死の罠』『シークレット・ヒストリー』。マルヴィは、このリストを元に連続殺人を犯している人物がいると疑っているという。ただしまだ手探りの段階であり、マルヴィはマルコムに助言を乞う。

 読書人らしい落ち着き払ったマルコムの語り口は、しかし、今はミステリーをあまり読んでおらず、妻がいたような口ぶりで現在はアパートに独居しているなど、数年前に何かがあったことを推察させる。やがて彼が妻を亡くしていること、それもかなり酷い亡くし方をしたことが語られ、その当時の秘事が明かされる。それが今の連続殺人(?)に影響したのか? 物語は謎を深めていく。

 色濃い喪失感を抱えた男が、自分の知っている情報を微妙に後出ししながら、輪郭のはっきりしない連続殺人を追う。《信頼できない語り手》に近い、一種怪しげな語り口の中で細かいヒントや伏線がちりばめられ、最後に驚きの真相が現れる。作品の仕掛けは巧緻であり、なおかつ最終盤で丁寧に言及される親切設計である。最初に思っていたのとは全く違う姿に事件が変容するのは、この手のミステリーを読む醍醐味そのものである。またサブのお楽しみとして、過去の名作へのオマージュ要素も強い。好事家にはたまるまい。

 なお、本書は物語の過程で、先述の八作品の真相の他、『アクロイド殺害事件』(創元推理文庫の表記に合わせました)のネタにも触れる。よって、どうしてもネタバレされたくない人は、全て読んでおく必要がある。9作は例外なく、ネタバレありでも楽しめる作品だが、一応注意喚起をしておきます。

 マーティン・エドワーズ『処刑台広場の女』(加賀山卓朗訳/ハヤカワ・ミステリ文庫)は、1930年のロンドンが舞台だ。女性の名探偵レイチェル・サヴァナクの活躍を描く──と単純にまとめられる話ではない。このサヴァナク、序盤から怪しさ爆発なのだ。社会的名士に自殺を教唆しているとしか思えない場面もあるし、明らかに何かを企んでいるし、その企みを共有する使用人と、黒幕めいた思わせぶりな会話を展開。しかも10年前の何者かの手記には、誰かの死がサヴァナクの責任だと記される始末だ。彼女の怪しさに、気付く人は気付いている。もう1人の主人公である新聞記者のジェイコブ・フリントもその1人であり、彼はサヴァナクを探り始めて、不可解な事件に巻き込まれる。

 この「巻き込まれ」度合いが半端ではなく彼は本当に大変な目に遭う。死ぬとは思わなかった人もばんばん死ぬ、手に汗握る展開の果てに。ジェイコブは驚愕の真相と大団円(ハッピーエンドとは限らない)に辿り着く。謎解き要素も必要十分の佳品。

 最後に。今月採り上げた3作はいずれも、解説が千街晶之氏だった。むろん偶然である。こんなこともあるんですね。個人的には『8つの完璧な殺人』の解説は、作品の評価を決定付ける分析が為された、素晴らしいものだと思います。ただしさすがにネタバレ全開なので、本編読了後にお読みください。