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「八手は何て言ってる?」

 巻島の番組があった次の日の夜、網代は〔AJIRO〕本社社長室に薮田を呼んだ。

「アカウントが本当に越村のものであるなら、越村に近い人間に違いないだろうし、兼松である可能性は高いんじゃないかと」

〔kossy〕なる〔ネッテレ〕ユーザーのアカウント登録者については、早速、巻島が指揮をとっている捜査本部から問い合わせがあった。〔ネッテレ〕内で調べたところ、越村当人に間違いないようで、主に将棋チャンネルを利用していた課金ユーザーだったという。巻島の番組へのコメント参加は昨晩が初めてであり、そのことは警察にも伝えたということだった。

 兼松は越村の紹介で淡野のシノギに運転手として使われていた男だと聞くが、越村のアカウントのIDとパスワードを知っているくらいだから、ただのシノギ仲間というだけではない関係性が越村との間にあったようだ。

 問題はその兼松が、八手が越村の潜伏先を襲撃したときの様子を、電話を通して知ってしまっているということである。その上、越村は〔ワイズマン〕が網代であることをわざわざ彼に聞かせるように口にしたらしい。

 越村と親しい人間であれば、越村を殺されて黙ってはいられないという思いにもなるだろう。だから、兼松が越村のアカウントを使って巻島にアプローチしたとすれば、何を言おうとしているのか警戒しなければならない。

「兼松には電話したのか?」

 越村の携帯の暗証番号を解除し、兼松の電話番号は把握している。兼松からは一度、様子見と思われる電話があり、それを取った八手が余計な真似をしないように釘を刺しておいたとも聞いている。

「八手がかけてみたようですが、今日は出なかったそうです」

 やはり、兼松と見て間違いないようだ。

 問題は兼松がどこの誰か分からないことである。八手とその手下は、越村の潜伏先を見舞う槐を尾けるくらいのことはできるが、こうした調査がこなせるタイプではない。

「捜査本部では兼松のことはどう動いてる?」網代は訊く。

「身元を特定したという報告は聞きません」薮田は言う。「専従班と巻島ら捜査幹部の間だけのやり取りになっていたとしても、何か動きがあれば気配は感じるでしょう。今のところ、それはありません」

「ある意味、今は警察の捜査力に任せるしかない」網代は言った。「お前は内部の動きをしっかり探って、兼松の身元が分かったら警察より先に八手を動かせ。綱渡りになったとしても、野放しよりはましだ」

「分かりました」薮田は口もとを引き締めて言った。「何とかします」

 薮田を帰すと、網代は〔ネッテレ〕プロデューサーの倉重を呼び出した。

 番組のほうも不測の事態に備えておかなければならない。

 

 

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〔ネッテレ〕への照会で〔kossy〕のアカウント登録が越村本人であることが分かり、巻島としてもこのアカウントを使ってアプローチしてきた人物への対応を何より重視しなければならないという考えになっていた。

「この人物は何とかつなぎとめておきたいですよね」

 山口真帆もこの報告を受けて、巻島と同じ認識に至ったようだった。そして少し小声になり、「これが兼松の可能性もありますかね?」と訊いてきた。

「もちろんあるでしょう」巻島は答える。「ただ、越村の周辺には我々が把握していない人物がいっぱいいるでしょうから、我々が得ている情報だけで決めつけるのも早計だと思います」

「そうですよね」山口真帆はうなずく。「でも、兼松っぽい気はするんですよね。〔ポリスマン〕のことを気にしたりして、何か言いたいんだけど勇気が出ないみたいな感じがあるじゃないですか。あれが映像にある兼松の姿に合うんですよ」

〔kossy〕と何回かメッセージのやり取りをした巻島の心証からしても、〔kossy〕には〔リップマン〕=淡野のようなふてぶてしさは感じ取れなかった。犯罪の世界に手を染めていても、どっぷり浸かっているわけではない素人感がどこかにじんでいる。興味本位と金欲しさで裏世界に首を突っこんでみたという程度の若者が人物像としても想像しやすく、確かに兼松とはイメージが重なる気はしている。

 その兼松は長沼ら巻島が指名した特命班が追っている。実のところ、過去に集めた防犯カメラのデータを解析して、行動圏や行動特性など分かってきていることも多い。まず、兼松は横浜公立大学の学生ではないかという見方が強まっている。単純にその近辺での出没件数が多いからだ。そして主に自転車で移動しているらしいということも分かってきている。

 しかし三月の今、大学は春休み中であり、また、動いているのが特命班の四人だけとあって、人物の特定には少し時間がかかっている。周辺の聞きこみによって姿を見かけたことはあるという程度の声は拾えているので、あと一歩というところである。

 それはそれとして、〔kossy〕が兼松であるならば、本人を特定して身柄を押さえる前に、配信番組を通して彼が言いたかったことを聞けないかという思いがある。シノギの参加者は、捕まえたからといって、知っていることすべてを吐いてくれるわけではない。社本豊しかり、砂山兄弟しかり、菅山渉しかりだ。

 むしろ配信番組に参加する以外、身を隠していられる今の状況のほうが、思わぬことを洩らしてくれやすいのではないかという気がしている。

 とはいえ、それを期待するにしても、今は〔ポリスマン〕の存在が邪魔になっている。〔kossy〕もはっきりとそれに言及している。以前から懸念していたことが顕在化した形だ。捜査本部としても、重要な捜査に対する編成がいちいち窮屈にならざるをえず、いよいよこの問題に手を打たなければならないときが来たとも言えた。

「ここに来る前、本部長に会ってきましたけど、すっかり脂が抜けた感じですよ」山口真帆はそんなことも報告してきた。「〔リップマン〕の偽者疑惑に何か言ってくるのかなと思ったら何もないですし、もう心はカジノなんですかね」

 彼女によれば、曾根は五月から新たに発足するカジノ管理委員会の委員への就任が内定しているという。それが影響してか、県警本部長の任に執着するような態度が見られないばかりか、現在進行形の捜査についても淡泊な反応に終始するようになってしまっているようだ。

「まあ、我々にとっては一つのハッピーエンドですよね」本田がいつものように冗談口調で口を挿んできた。

 曾根の様子自体はどうでもいいことだが、曲がりなりにも彼の方針があって〔ネッテレ〕での公開捜査が続けられていたわけであり、後任の本部長のもとではそれもどうなるか分からない。そういう意味でも、今のうちに進められるものは進めてしまいたい。

「そうそう、特捜隊の人事も問題なく通りました」山口真帆が言った。

 

 刑事特別捜査隊の増員計画に対して、旧知の村瀬に加え、捜査一課強行班の久留須、特殊班の戸部、山手署刑事課の河口、伊勢佐木署刑事課の富田ゆうが異動を希望していた。その決裁が下り、巻島は彼ら五人に内示を伝えることにした。

 彼らは巻島の呼びかけに応えて異動を希望してきた者たちであるが、巻島の狙いは〔ポリスマン〕の炙り出しも含んだものだった。結果的に五名の希望者が名乗りを上げており、一課所属の三人には魚住のもとで行動確認が進められているはずだった。

 ただ、ここまで来れば、〔kossy〕の動きを促すためにも、さらなる策を練ってでも〔ポリスマン〕問題に決着をつけなければならない。

 そんな思いを胸に秘めながら、巻島は五人を別室に呼び、四月からの異動についての話をした。

「当面、この帳場は続くし、仕事が変わるわけではない。ただ気持ちとしては所属をしっかり自覚し、隊の発展に寄与する覚悟を持ってそれぞれの任に当たってほしい」

 巻島がそう話すと、五人はそれぞれに引き締まった顔つきを見せ、特捜隊での活躍を約束するような返事をしてくれた。

 

 それから二日ほどかけ、巻島は〔ポリスマン〕を炙り出す計画の準備を進めた。

 まず、本田、坂倉さかくららに巻島が頭に描いている計画の概要を伝えることにした。幹部連中との打ち合わせは指令席で済むものだが、話が話だけに別室に移っての打ち合わせとなった。山口真帆も打ち合わせに同席してもらった。

「兼松に任同をかけようと思う」巻島はそう切り出した。

「兼松の居場所はまだ特定されてませんが」本田は狐につままれたような顔をしている。「任同とは?」

「兼松のアジトは二カ所」巻島は目配せするように三人を見る。「作ることにする」

 山手署刑事課長の坂倉は巻島のこうした策謀めいたやり方には免疫がないのか面食らっていたが、今回は帳場規模で動く話になるので、事前に事情を承知しておいてもらえれば十分だという思いである。

 山口真帆も正攻法とは言えない手口を使うときには彼女を通してこなかったが、勘がいいのか、例えば巻島が番組で相手にしている〔リップマン〕が淡野本人ではなく警察内部の誰かであるということも何となく気づいている節がある。ただ、それを巻島に確かめてくることはしない。

 この件についても驚くような反応は見せず、むしろ面白がるように「いいですね」と応じてくれた。

 一方、本田はこの手の話に慣れたもので、一通り説明すると、「まあ、そういうやり方になりますかな」と仕方なさそうに呑みこんでみせた。

「ただ、これに〔ポリスマン〕が引っかかるとするなら、淡野を襲った実行部隊が動くことも考えられますよね」

 本田が触れた可能性に巻島はうなずく。

「もちろん、それに対応できる人間を現場に配置するつもりだし、むしろそいつもろとも捕まえることができたら言うことはない」

「なるほど」

「やりましょう」山口真帆はすっかり乗り気になっている。「うまくいけば、事態は大きく動きますよ」

 そうなればいいと巻島も思っている。

 

「先日は思わぬ展開になって、少々焦りました」

 巻島が山手署の駐車場に停まっている車の後部座席に乗りこむと、待ち構えていた魚住が口もとに薄い笑みを刻んで言った。

「私もです」巻島は言う。「ただ、これでこそ我々が番組を仕掛けた意味があったと言えるでしょう」

「確かに」魚住はうなずく。「こういう形とは思いませんでしたが、狙っていた反応の一つではありますからね」

「絶妙に〔kossy〕から話を引き出そうとしてくれたのも助かりました」

「いや、あれは出すぎた真似をしたかなとも思ってましてね」魚住はわずかに顔をしかめてみせた。「〔kossy〕がもし、淡野が死んでいるなどの事実をつかんでいるなら、番組に出てる〔リップマン〕と巻島さんがグルだとも気づかせてしまったんじゃないかと」

「用心深そうなタイプに思えますから、なくはないでしょうね。ただ、彼には彼の言いたいことがあって、だからこそリスクを押してあの番組に出てきたようにも思えます。タイミングからいっても、越村の死に関することには違いないでしょう」

「それが〔ワイズマン〕につながるかどうかですね。〔ポリスマン〕の存在がネックになっているようにも感じました」

 巻島はうなずく。「そちらのほうで、誰かの動きが気になるというようなことはありましたか?」

「今のところは特に」魚住は首を振る。「捜査情報を流すにしても、携帯一つで事足りるでしょうから、なかなか尻尾をつかむのは難しいですね」

「そうですか」巻島は彼の話を受け止めてから切り出す。「どちらにしても、〔ポリスマン〕はここらで策を講じてでも引きずり出したいと思います」

「何をやるんですか?」

「淡野のシノギの関係者に兼松という若い男がいます。運転手を務めていて、越村とも付き合いがある。帳場で特命班に行方を追わせてますが、この兼松が〔kossy〕である可能性があると私は思っています。とすると、〔ワイズマン〕側でも〔ポリスマン〕の情報などをもとに、兼松が怪しいと考えていておかしくはない。そして、もし越村の死に〔ワイズマン〕が関係しているとするなら、越村の死を機に出てきた〔kossy〕の動きは気になるでしょうし、兼松の行方を突き止めて何か手を打たなければという判断が働くことは十分考えられると思います」

 巻島の計画はこうだった。兼松を特定したとして、何人かの者に任意同行させる指示を下す。その任意同行の担当者に久留須と戸部を入れるのだが、両者にはそれぞれ別の居場所を伝え、彼らの行動を見るというものだ。

「魚住さんの考えとは違うかもしれませんが、村瀬は対象から外します。私は彼を疑ってませんし、設定した兼松の居所には誰が来るか分からない。彼は柔道をやってましたから、現場に張らせておきたいと思ってます」

「巻島さんの考えでやられることですから」彼は異論を唱えることなく言った。「何も起こらなければ、そのときまた考えればいいでしょう」

「久留須と戸部に関しては、そちらの行確も強化していただければ幸いです」

「何か動きがあれば目に入る態勢にはなってます」

 現時点ですでに抜かりはないと言いたいようだった。

 

 兼松の住み処として設定する物件は津田が手配してくれた。定年退職した彼の先輩で不動産屋に再就職した男がおり、そのつてで、保護司も務めているアパートオーナーが戸塚区にある空き物件を二つ貸してくれることになったのだった。

 巻島のほうでは計画に投入する人員の編成を進めた。任意同行に向かう班、現場で張りこむ班をそれぞれ四人ずつとし、打ち合わせは別々に行う。任意同行班は現場Aを久留須、河口、小川、小石亜由美に任せ、現場Bを戸部、富田、青山、松谷鈴子に任せる。

 現場の張りこみ班は、兼松に扮する者として特捜隊の若手である飯原樹いいはらみきふる正俊まさとしをABそれぞれに配置し、サポートメンバーに特殊班の村瀬、長沼、みのや特捜隊のせき森安もりやす常川つねかわらを置くことにする。

 ここまで決まれば、あとは班ごとに打ち合わせし、躊躇なく計画を実行に移すのみだった。

 その打ち合わせを翌日に行い、翌々日早朝には兼松に任意同行をかけるという形にする――そう決めた日の夕方、捜査本部に戻ってきた小川と小石亜由美がまっしぐらに指令席へと向かってきた。

「兼松の身元が分かりましたよ!」

 興奮しているのか、小川の声は会議室内にいるほかの捜査員たちの耳にも届くような大きさだった。小石亜由美が慌てて小川の襟首をつかんでいる。

「でかい声で」本田もさすがに眉をひそめ、すかさず叱責した。

「すいません、ついつい」小川は謝りながらも、手柄の大きさにやはり興奮は隠し切れないようだった。「でも見つかったんです。どんぴしゃで知ってるって人に当たって。やっぱり僕は持ってるんですかね」

「よし、向こうで聞こう」

 この報告が計画の妨げにならないことを祈りつつ、巻島は隣の打ち合わせ室に移ることにした。

 

 

(つづく)