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「〔リップマン〕、捕まった菅山渉や砂山兄弟に何か伝えたいことはあるか? 今後の裁判に影響しない範囲で、彼らに伝えてやってもいいぞ」
巻島は番組に登場したアバターの〔リップマン〕に呼びかける。
「ところで神奈川県警のお膝元である横浜は門馬市長が電撃辞任を表明して話題になってますね」
〔リップマン〕からの返答を待つ間、竹添舞子が巻島と〔リップマン〕のやり取りそっちのけで大きく話題を変えてきた。
年が明けてからも〔ネッテレ〕での番組は週に一回のペースで配信し、アバターとしてコメント参加する〔リップマン〕とのやり取りで進んでいる。
しかし、〔リップマン〕の正体は監察官の魚住であり、当然のこと、捜査で拾った情報を超えて話が広がることはない。繰り返しのやり取りも多く、番組にはどうしても停滞感が生じてくる。視聴数も週ごとに減ってきていた。
そんな状況の中で竹添舞子もついつい巷の話題を取り上げたくなったらしい。
「IR撤退に方針を転じて出直し選挙に臨むとのことですが、一部には昨年の市長選から半年足らずでのこの方針転換は無責任ではないかという声も出てるようですね。巻島さんはこの門馬市長の決断にどういう印象をお持ちですか?」
彼女自身、門馬の辞任には強い興味があるのか、話を振る口調には意外な熱が感じられた。
「さあ、どうなんでしょう。辞任には驚きましたが、政治的発言をする立場にはありませんので、それ以上は控えたいと思います」
「地上波の番組でもありませんし、視聴者に政治行動を呼びかけるような話でもありませんから、意見の一つくらい構わないと思いますよ。私自身はこの件、ちょっと釈然としないんですよね。門馬さんはもともと、IR推進の立場のときから、ちゃんとした理念があったわけじゃないように思うんです。だから徳永さんが亡くなって、引っ張る人がいなくなったところで世間の風を見てあっさり宗旨替えをしたように見えるんです。私はこういう、簡単に主張を変える人って、政治家として一番信用できないなって思うんですけど、巻島さんはどう思われます?」
あからさまな門馬批判の意見をぶつけられ、巻島は閉口する。
「まあ、そういう考え方もあるんですかね。私は捜査に集中していて門馬さんの言動をつぶさに追っているわけではないので、それがどうかと言えるほどの見識もありません。竹添さんのお話で勉強させていただきます」
巻島がそんな言い方で返答をかわしていると、〔リップマン〕から[俺は大丈夫だ。お前らはお前らで元気にやれと伝えてくれ]というメッセージが届いた。
数日後、配信番組での収穫もない妙なタイミングで曾根に呼ばれ、巻島は県警本部の本部長室を訪ねた。
「政治的発言を推奨するわけじゃないが、今回の門馬の行動は批判されてしかるべきものだ。お前もそのあたりはさりげなく乗ったほうがいい」
捜査にはまったく関係なく、眉をひそめたくなる話だった。
「門馬は徳永さんが死んだとたん、あっさりIR反対派に乗り換えた。ああいうカメレオン政治家を許しておいては駄目だ」曾根は言う。「俺はこの県警を背負う立場で話をしてる。横浜にIRができるかどうかで、将来にわたって何百もの県警OBの働き場が変わってくるだろう。お前にだって関係ない話とは言えない。十年後、カジノやホテルから警備顧問として引き合いがあるかもしれない。分かるな?」
結局、捜査状況の進展を尋ねるような話は何も出てこなかった。
「市長選がもう、警察庁マターになってるんじゃないですかね。本庁のほうで対抗馬を探す動きがあるなんて噂もありますし。本部長自身、委員会入りがささやかれてますから、今はこの問題で頭がいっぱいなんでしょう」
捜査本部に帰ってこの話をすると、山口真帆は警察庁本庁からの情報と合わせて、そんな見方を語ってみせた。
「でもまあ、捜査官に市長選に出ろっていう話じゃなくてよかったですね」
本田にそう茶化され、巻島はふっと小さく失笑する。
「さすがにそこまで見境のないことは考えないだろ」
「分かりませんよ。テレビに出してネットの配信にも出して、畑違いの警備にも駆り出したんですから、警察利権のために市長になれとだって言うかもしれません。本部長はあれ、捜査官のことは頭から尻尾まで捨てるところはないと思って使い倒そうとしてる節がありますからね」
人使いが荒いとはいえ、こればかりはありうるとは思えず、巻島も苦笑で取り合うしかなかったが、本田の歯に衣着せぬ物言いはどこか痛快であり、巻島の中に知らず溜まっている小さな鬱憤のようなものをそれとなく消してくれるような力があるのは確かだった。
翌週の配信番組では、〔リップマン〕のアバターとのやり取りの最中、竹添舞子が先週に続いて市長選の話題を持ち出してきた。
「ところで来月に実施が決まった横浜の市長選ですが、門馬さんの対抗馬に誰が名乗りを上げるのか、非常に気になりますね。アナウンサーの井筒さんも今回は出ないようです。門馬さんは前回、無所属ながら民和党の推薦が付きましたが、今回はまだ民和党も態度を表明していません。これは誰か有望な保守系候補が立つ前触れなのではないかと見ているのですが、巻島さんはどう思われますか?」
「さあ、どうなんでしょう」答えようがなく、巻島はただ首をひねる。「告示日まで待てば分かるんじゃないでしょうか」
竹添舞子もほとんど強引に市長選の話を振ってくるあたり、倉重か誰かにそうするよう指示されているのではないかという気もする。
〔AJIRO〕が横浜IRの事業者に入っているという話は巻島も聞いている。〔ネッテレ〕の政治討論番組などでは〔Y's〕と呼ばれる論客が過激なほどに門馬をたたいている。委員会入りが噂されている曾根の言動を見るにつけ、IRをめぐる暗闘が市長選の裏で繰り広げられているらしいことは嫌でも感じられる。
「門馬さんはオール与党の相乗り支援を目論んでるようですが、ちょっと虫がいいんじゃないかという気がしますよね。今回はIR撤退を含め、リベラルにだいぶおもねった公約を掲げていますが、保守政党は乗りにくいと思うんですよね」
「そうなんですか」
巻島が受け流すように応じていると、視聴者のアバターから[巻島が立候補しろ][巻島さんなら門馬さんに勝てる]というコメントが上がった。
「巻島さんに立候補してほしいという声がありますね」竹添舞子がすかさず拾って、巻島にそれをぶつけた。「巻島さんはある意味、横浜の顔の一人でありますし、捜査を引っ張るように市政を引っ張ってほしいと考える横浜市民も多いんじゃないですか」
「そう言っていただけるのはありがたいですが、もちろん冗談でしょうし、私は犯罪捜査しかやったことがない人間ですので、今後もそれをやるだけです」
巻島があくまで堅い態度で彼女の話をかわしていると、〔リップマン〕から巻島の問いかけへの返答に付け加えるようにして、[巻島が市長選に出馬したら、俺も一票入れてやろう]というコメントが届いた。
「〔リップマン〕も巻島さんの出馬を望んでいるようですよ」竹添舞子が嬉しそうに言う。
巻島は巻島で、案外魚住も悪ノリが好きなのだなという苦い感想を抱きながら〔リップマン〕のアバターをにらみつけた。
「さすがに捜査官も弱った顔をしてましたねえ」
次の日は早速、番組の様子を受けて本田にからかわれた。
「今日あたり、番組のことを耳にした政界の誰かから打診の電話がかかってくるんじゃないですか」
番組の延長のような茶々にいつまでも付き合ってはいられず、巻島は「勘弁してくれ」の一言で話を終わらせた。
番組の配信は突発的な出来事がない限り、ほぼ毎週続いているが、視聴者から寄せられる情報というのはほとんどなくなっている。帳場内にもそうした情報をすくい上げて分析する班を便宜上置いているものの、そこから捜査の進展につながるような何かがもたらされる様子はない。
捜査の中心は昨年来続いている横浜、川崎、鎌倉あたりの防犯カメラの映像解析となっているが、これも淡野が包囲網から姿を消した日以降は、彼の姿が捉えられているような映像は検出されなくなっている。
そのほかでは、犯人グループが使っていた黒のヴォクシーを一度目の受け渡しの際に運転していた男がNシステムに捉えられていることもあり、その男の身元を追う班を作っている。おそらくは臨時に雇われたただの運転手であって、淡野のこともほとんど何も知らない人間なのだろうが、そこは藁にもすがる思いで手当てしている。
帳場を縮小したことにより、それらを担当する人員も多いとは言えず、捜査の進展も牛歩のごときペースとなっている。
この日も各班の捜査では格別新しい情報が上がってくることはなく、夕方をすぎて、外回りの捜査員たちが一人また一人と帰ってきた。
そんな中、山口真帆が「巻島さん、巻島さん」と少し興奮気味に捜査本部に姿を見せた。
何だと思っていると、彼女の後ろから懐かしい顔が現れ、本田などは「うおっ」という驚きの声を発した。
彼女の前任として刑事総務課長を務めていた植草壮一郎だった。
「どうもどうも。ご無沙汰です、巻島さん」
彼はどういう感情なのか、満面の笑みでもって巻島に握手を求めてきた。
「本田隊長も、元気にやってますか?」
にこやかに声をかけられ、本田は「ええ、まあ」と調子を崩した返事をするのがやっとのようだった。
「いやあ、実は僕、昨日付で警察庁のほうを退職しまして」
「えっ!?」本田がこれにも驚きの声を上げた。
「今日は曾根本部長のところに挨拶にうかがってたんですよ。そしたら山口さんとばったり会って、こちらに行くということだから、僕も久しぶりに巻島さんたちの顔が見たいなと思いましてね」
退職したばかりだからか、口調は晴れ晴れとしている。しかし、表情自体は晴れ晴れというより、興奮状態にあるようなぎらつきまで見て取れ、多少の引っかかりを覚えなくもない。
「みなさんと昔話に花を咲かせたいところですが、これからちょっと〔AJIRO〕に行かなきゃいけないんで失礼します」
「〔AJIRO〕?」
「とにかく、お世話になりましたという挨拶で来ただけですよ」
植草はそう言うとあっさり帳場を出ていった。巻島も一礼して見送るのがやっとだった。
本田と顔を見合わせ首をかしげていると、植草が姿を消したところで山口真帆が、「市長選に出るらしいです」と小声で耳打ちするように言った。
「ええっ!?」
本田が先ほどまでとは比べものにならない大きな声で驚愕してみせた。
「いやあ、まあ、若さを含めて見映えはするんですかねえ……」
壁際の液晶テレビに映し出される〔ネッテレ〕の配信番組を観ながら、本田が無理に納得するような感想を洩らした。
夜になって〔ネッテレ〕では、市長選への出馬を表明した植草が〔Y's〕の論客に囲まれる中で抱負を語る特別番組が配信された。進行は巻島の番組でもお馴染みの竹添舞子が務めている。
〈植草さんはただ警察官僚だったというだけでなく、横浜にも深い縁があるんですよね?〉
〈ええ、つい昨年の春まで、神奈川県警の刑事部門で仕事をしてたんです。実はこの〔ネッテレ〕にも出ている特別捜査官の巻島さんは、私の部下だったんですよ〉
〈いやあ、私も番組前の打ち合わせでお聞きして驚きました。巻島さんにはいつもお世話になってまして〉
〈ここに来る前にもちょっと会ってきました。職場でも番組と同じ、ニヒルな感じですよ〉
〈ははは、そうなんですね〉
〈もともと、〔バッドマン〕の事件で、〔ニュースナイトアイズ〕に出て情報提供を呼びかけようというのは、私が本部長に提案したことだったんですよ〉
〈えっ、そうだったんですか〉
〈私が表に出てもいいと思ってたんですけど、キャリア組が受け持つ仕事じゃないっていう本部長の判断で、巻島さんに白羽の矢が立ったんです〉
〈そうだったんですか。そうすると、〔バッドマン〕事件自体、植草さんが解決に導いたと言っても過言ではないんじゃないですか?〉
〈いやあ、それを自分の口で言うのはおこがましいですからね。まあ、否定はしませんが。ははは〉
「何言ってんだか」本田が思わずというようにぼやく。「散々帳場を引っかき回しといて」
〈それで今回は、官僚の職をなげうって市長選への出馬を決めたわけですね〉
〈そういうことです〉
〈このままカメレオン市長と左翼の泡沫候補だけで選挙戦になだれこんだらヤバいぞって、我々も話してましたからね〉〔Y's〕の論客たちもそんな言い方で植草の出馬表明を歓迎している。〈いよいよ本命が出てきたなって感じですよ〉
「いやいや、この人こそ泡沫でしょうに」本田は釈然としないように言う。「いきなり本命扱いって」
「まあ、そこはバックがいろいろ動いての出馬でしょうからね」山口真帆が背景を推し測ったように言う。
植草は曾根の甥っ子である。わざわざ警察庁を退職しての出馬に曾根の意思が絡んでいることは間違いないだろう。
また植草は、この帳場に顔を見せたあと、〔ネッテレ〕に出るとは言わず、〔AJIRO〕に行くという言い方をしていた。おそらく網代と面会したのではないか。〔ネッテレ〕でのこの扱いを見ても、曾根や網代を含めた特定の関係者が植草を担ぎ上げたという図式が透けて見える。
〈出馬を決めたばかりで、まだ準備もこれからだと思いますが、横浜をどうしていきたいか、現時点の思いを何かお聞かせいただけますか?〉竹添舞子がそう水を向ける。
〈おっしゃる通り、選挙態勢の構築はすべてこれからでして、公約もこれからまとめたいと思ってます〉
「逆に、こんな急な話で、よく仕事を辞めて出馬を決めたよな」本田がそう感心してみせる。「フットワークが軽いというか、腰が軽いというか」
〈ただもちろん、横浜をどうしていきたいかという思いはしっかり持っています。みなさんは今の横浜に足りないものは何だと考えてますか?〉
〈課題はインフラの老朽化ですよね。住みやすさも街のイメージもインフラの整備によってよくも悪くもなっていくと思いますから〉
〈うん、なるほど〉
〈少子高齢化対策も必要ですよね。東京に比べても人口が減ってしまっている。若者を引き寄せる手を打たないと街の未来はありませんよ〉
〈なるほど〉
〈やっぱり、根本的なことを言うと、強いリーダーが必要なんじゃないですかね。門馬市政にはこれが圧倒的に足りていませんよ〉
〈うん〉植草はことさら真面目くさった顔で論客たちの意見を受け止めてから口を開いた。〈私はね、今の横浜にはときめきが足らないと思ってるんですよ〉
〈ときめき……ですか?〉竹添舞子がぽかんとした顔をして訊く。
〈そうです。見ていてわくわくしないんですよ。それは政治が攻めてないからです。私はエキサイティングな政治をして、横浜市民をときめかせたいと思ってるんです〉
〈それは……例えばIRなんかも、その一つに入るわけですか?〉
〈もちろんです。IRを推進するのと撤退するのと、どちらがときめくかってことですよ。IRはエキサイティングじゃないですか。だからやるべきなんです〉
〈なるほど〉
〈なかなか今までにない、斬新な市政が見られそうですね〉
〈本当に、今の市政の停滞感を打破するために現れたような方ですね〉
論客たちが口々に植草を称賛する。
「えっと……何が言いたいのか課長には分かります?」
本田が眉をひそめて問いかけるのに対し、山口真帆は苦笑気味に首を振った。
「ちょっと私の頭では難しいですかね」
「うーん」本田は嘆かわしげにうなった。「こうやって政治が劣化していくんですかね」
(つづく)