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「〔リップマン〕、菅山はお前がこの番組に現れたことを伝えても、『俺が〔リップマン〕だ』と言い張ってる。彼に伝えてやってもいいが、何か言いたいことはないか?」
巻島はカメラに向かって呼びかける。
「巻島さんは菅山容疑者と〔リップマン〕の関係を実際どのように見てらっしゃいますか?」
翌週の番組も〔リップマン〕のアバターが姿を見せ、そこからは彼に問いかける形で番組が進んだ。
「菅山容疑者が〔リップマン〕でないのははっきりしています。おそらくは上下関係で結ばれていて、〔リップマン〕が菅山容疑者を使う立場だったのではないかと思います」
「写真で見ると風貌が似ている気もしますよね。影武者的な役割があったのではという声も上がっているようですが」
「シノギの種類によっては、あるいはそういう使われ方もあったのかもしれませんが、裏金の受け渡しにおいては、〔リップマン〕自身が現場に出てきています。これについてどう分析するかは難しいところです。もしかしたら菅山容疑者を影武者として使う選択肢もあったかもしれません。しかし、そうしなかった理由は何か、本人に聞いてみるべきかもしれません」
そんなやり取りをしていると、ようやく〔リップマン〕から[彼は何も知らない。俺を守っただけ]というコメントが届いた。
[俺にあこがれてるからリップマンと名乗ってる][かわいいやつ]とコメントが連投された。
「大黒パーキングエリアの現場で菅山を使う気はなかったのか?」巻島は続けて訊く。「自分で受け取りに行ったのは失敗だったと思わないか?」
「〔ミナト堂〕の誘拐事件でも〔リップマン〕は砂山兄弟を使っているわけですから、この事件でも本来は菅山容疑者を受け取りに行かせるべきところだったとも考えられるわけですよね」
竹添舞子の見解に、「私もそこは少し不思議に思っています」と巻島は合わせた。
[菅山は砂山兄弟ほど肝がすわってない]
[正直、なめてたところはある]
[盗撮は卑怯だし犯罪]
「うーん、自分の行為を棚に上げて、映像を撮られたことを非難してますが」竹添舞子が〔リップマン〕のコメントを見て呆れたように言う。
「まあ、〔リップマン〕らしいとしか言いようがないですね」
巻島も嘆かわしく言い、小さく首を振った。
番組配信があった翌日、捜査本部の指令席で仕事をしていると、津田が「ちょっとお時間いいですか?」と声をかけてきた。
この日から捜査本部は五十人態勢から三十人態勢に規模を縮小しているが、津田は志願して捜査本部に残ってくれている。
巻島は本田に目配せをして指令席を離れた。津田の用事は監察官の魚住が来ているということなのだが、一連の事情は本田にも伝えてあるので、彼は心得たように小さくうなずいただけだった。
外の駐車場には後部座席がスモークガラスで覆われたセダンが停まっており、運転席に座る伊藤が巻島を見て小さく会釈を送ってきた。
巻島は後部ドアを開けると素早く身体を車内に滑りこませた。
「お疲れ様です」後部座席に座っていた魚住は緩みのない表情で挨拶を向けてきた。
「お疲れ様です」
「昨夜の配信、帳場の反応は大丈夫でしたか?」
「ええ、何も問題はありません」巻島は言う。「再登場してきたときには本物の〔リップマン〕かどうか疑う声もなくはなかったようですが、昨日でむしろ、そういう声は消えました」
「菅山はよく泣いてると聞いていたので、[かわいいやつ]とか[砂山兄弟ほど肝がすわってない]などとコメントしてみたりはしましたが、彼らを実際取り調べてる連中の感覚ではどう受け取っただろうかと思いまして」
「違和感はなかったと思います。実際、砂山兄弟ほど肝が据わってないのは事実ですし、それでいて淡野を一生懸命守ろうとしている様子がうかがえます。彼自身、〔リップマン〕を名乗っているのもその表れでしょう。本物の〔リップマン〕である淡野からしてみれば可愛い存在なんだと思いますよ。でなければ、もう少し、砂山知樹のような頭の切れる人間を探してきて使うと思います」
「ならいいですが、いくら想定問答を詰めてても、巻島さんの質問はそこから簡単に外れていきますから、なかなか焦りますよ」
魚住のほうから提案してきた企みではあるのだが、いざ現実にそれをやり通すとなると、頭で考えていたこととは勝手が違うと言いたいようだった。
「番組は生ものですからね」巻島はそんな言い方をしておいた。「けれど、監察官は実際のところ、うまく対応されていると思います。相手をしていても、こちらが焦るようなことはありませんからね」
番組を一カ月ほど続けて〔リップマン〕が現れないのであれば、自分がアクセスして〔リップマン〕のアバターを動かしてもいい……魚住はそんな提案で意外な策士の顔を巻島に見せている。自ら言い出しただけあって、世間という大向こうを前にしても大胆に〔リップマン〕を演じ切っている。
魚住がこうした禁じ手とも言える手段に出たのは、彼が長年追ってきた〔ワイズマン〕一味、中でもこの山手署の捜査本部に所属している可能性が高いとされる〔ポリスマン〕の尻尾を捉えたいという思いがあるからだ。
そして狙うところは巻島も同じであり、だからこそ彼の提案に乗った。
巻島が番組で呼びかけても〔リップマン〕が現れないとなると、淡野はもはやこの世にいない可能性が高いと考えていい。
負傷の療養が長引いていて、呼びかけに応じられる状況ではないとか、あるいは、すでに裏金の受け渡しが終わり、今さら表に出てくる必要がないと無視を決めこんでいる可能性もあるが、菅山の逮捕直後の情緒不安定な様子を見ても、淡野の身に重大な何かがあったと受け取るほうが自然だと言えた。
さらには、頑なに供述を拒む菅山の態度には、警察内部にいる〔ポリスマン〕の存在を警戒している節もうかがえ、負傷した淡野を菅山がどこかに運んだとするなら、その消息を〔ポリスマン〕が関知していない可能性が考えられた。これが何を意味するかといえば、犯行グループの中で分裂が起き、淡野の負傷もそれが原因になっているということだ。おそらくは、淡野は裏金の受け渡しでその姿が世間に公開され、逮捕が時間の問題となったことで〔ワイズマン〕に消されることになった。菅山は瀕死の淡野をその現場から運び出したものの、彼は淡野の子分であり、砂山兄弟と同じように〔ワイズマン〕のことも〔ポリスマン〕のこともよく分かっていないのではないか……魚住と互いの情報を整理し、巻島たちはそんな見解で一致した。
推察通りであれば、〔リップマン〕のアバターが番組に再登場することによって〔ワイズマン〕一味は動揺し、〔ポリスマン〕は情報を拾うためにも捜査本部内で不審な動きを見せるのではないかという期待が持てる。巻島も魚住も、そうした目算で動いていた。
次回、どんな話題が出てきそうか。それに対して淡野ならどうコメントするか……二人でしばらく、そんなことを打ち合わせした。
「それと、青山から少し聞きましたが、捜査本部の編成が縮小されたようですね」魚住が話を変えてきた。「所属部署に戻った中に〔ポリスマン〕がいると、番組を続けていても反応が追えないのではと危惧しているんですが」
魚住も手足となって動いてくれる部下には限りがあり、捜査本部にいた人間を手当たり次第に行動確認することはできないということだ。
「〔リップマン〕の再登場がもう少し早ければ、それを理由に態勢維持を主張できたんでしょうが」巻島は言う。「ただ、私としては、これが一つのふるいとして使えるのではないかと思いながら、帳場の縮小に着手しました」
「というと?」
「特捜隊と山手署の刑事課員以外は本人の希望で帳場に残るか所属に戻るかを決めさせています。〔ポリスマン〕がそこにいれば、おそらく残留を希望するだろうという読みです」
「なるほど」魚住は小さくうなった。「捜一の人間、もしくは捜一の所属歴がある人間の動きはどうですか?」
〔リップマン〕が捜査一課の裏金を狙ったことなどから、〔ポリスマン〕は捜査一課に関わりがある者ではないかというのが魚住の読みであり、巻島もその点では同様の考えである。
「帳場の中ですと、機捜隊の新山などは捜一の所属歴があります。ただ今回、機捜のメンバーはみな、所属先に戻りました。彼らは初動捜査が本務であるところを見当たりなどの能力を必要として残ってもらっていた経緯がありますから、彼らとしては分をわきまえれば所属先に戻るのが当然という考えだと思います」
「新山はひとまずリストから外してもいいだろうということですね」魚住は膝に手帳を広げて書きこみながら言った。「現捜一のメンバーはどうですか?」
「特殊班は八人全員残っています」
村瀬に事情を聞いたところ、中隊長の木根は戻りたがっていたようだが、ほかの隊員が残留希望であり、一人だけ戻ってもどうにもならないと思ったらしく、隊全体での残留が決まったらしかった。
「強行班は久留須だけが残りました」
「こちらは逆にほとんどが離れたわけですか。久留須は確か、総裁選で撃たれた男ですよね。仕事には復帰してるんですか?」
「内勤ではありますが、復帰しています。彼の場合、本格復帰にはまだ時間がかかるので、新しい帳場に移されても対応が難しいということもあるでしょうが、関わった事件は最後まで見届けたいという思いもあるようで、一人残留を希望してきました」
「それだけ骨がある男ということか、それとも……」魚住は言葉の途中で思わせぶりに口をつぐんだ。
「特殊班のほうですが、村瀬についてはかつての部下で、私はよく知ってます。彼を疑う必要はないかと」
「村瀬ですね」
魚住は手帳にその名を記しながらも、「まあ、予断なく調べさせていただきます」と言った。
その次の週、そしてまた次の週と、巻島は魚住と顔を合わせ、淡野が生きていたとしたら裏金事件をどう振り返るか、今後の活動をどう考えるかなど、想像しながら話し合い、それをもとにして配信番組でやり取りを交わし合った。
当然のことながら、そのやり取りは〔リップマン〕が健在であるという設定を取り繕うだけのもので、そこから捜査の糸口となるような事柄が見つかるわけはない。もちろん、[リップマン]が本物だったとしても、この期に及んでわざわざ尻尾を出すようなコメントをするとは思えず、そういう意味では不自然ではないはずだった。ただ、巻島の問いかけも前回、前々回の繰り返しになることも多く、番組全体の空気として、徐々に停滞感が漂い始めるのも避けられないところだった。一般視聴者からは[それはこの前聞いただろ][記者クラブみたいな質問するな]というような厳しいコメントもちらほらと届いた。
巻島としては、この設定が成り立っているうちに〔ポリスマン〕を特定してしまいたい。それができれば魚住の〔リップマン〕は闇へと消え、巻島の呼びかけにも反応しなくなっても構わないのだ。
しかし、〔ポリスマン〕を特定するには、〔リップマン〕が番組に参加する今の状況を維持するだけでなく、〔ポリスマン〕を動かす何らかの仕掛けを持ってこなければならない。それは一度で決めなければ警戒されるだけで終わるはずであり、どのようなものでいつ仕掛けるかということは慎重に見極めなければならず、魚住と話していても、これという考えには定まっていなかった。
秋が終わりを見せて十二月が間近に迫った頃、山口真帆が少々興奮した面持ちで捜査本部にやってきた。
「今度、徳永さんが県警に来られるそうです」
総裁選後、臨時国会が召集されて徳永首相が誕生し、徳永内閣が発足したが、その臨時国会が閉幕するのを待って、徳永は地元横浜に凱旋し、墓参りや支援者への首相就任挨拶などをこなすことになっているのだという。そしてその流れで神奈川県警にも立ち寄ることが内々に決まったらしかった。
「演説会当日の警備担当を集めて、慰労してもらう場を設けるようですよ」山口真帆は言う。「久留須さんとか、負傷した方々には総理から直々に声がかけられるんじゃないんですかね」
「まあ、パフォーマンスでしょうな」
隣で聞いていた本田が皮肉を飛ばしてみせたが、彼女は意に介さないように笑って一蹴した。
「パフォーマンスだとしても、時の総理直々にってのは、なかなかないことですし、現場の励みにはなりますよ」
「うん」巻島もうなずいた。「この件では本部長賞も叶わなかったですし、そういう場があるなら、その埋め合わせにもなるでしょう」
巻島は久留須の働きが本部長賞に値するものだと警備部長に上申していたが、結局、その裁定が下ることはなかった。それだけに、徳永がじかにねぎらってくれるのであれば、悪くない話だと思った。
「巻島さんも世間に顔を出してますし、徳永さんから何か一言あるんじゃないですか」山口真帆はその光景が見たいとばかりに、いたずらっぽく言った。
「せいぜい目立たないようにしておきますよ」
巻島はそんなふうに言って、彼女の言葉をかわしておいた。
十二月に入り、徳永一雄が県警本部に来庁する日がやってきた。
巻島と本田、そして横浜駅の街頭演説会で警備に回った者たちは午前中でいったん仕事を切り上げ、各々昼食ののち、県警本部へと移動した。
国旗と県旗が掲げられた会議室には山手署の捜査本部から駆けつけてきた者たちのほか、演説会当日、徳永の周囲を警護した警備部の者たちも加わり、曾根本部長や川岸警備部長以下、五十名ほどの県警職員が徳永を待ち構える形となった。
報道陣のカメラも並ぶ中、予定時間を少しすぎて、徳永一雄が颯爽と現れた。時の権力者らしく、歩く姿にも勢いが感じられる。
「やあやあ、曾根くん」
徳永は曾根を見つけて歩み寄り、手を差し出した。
「このたびは総理就任、誠におめでとうございます」
曾根は飛びつくようにして徳永の手を両手で握り、うやうやしく挨拶を口にした。
普段の様子からはなかなか想像できない曾根の浮ついた態度だった。権力志向が強いからこそのものとも思われた。
二人が握手姿のまま報道陣に向き合うと、しばらく無数のカメラのシャッターが切られた。
「いいかね?」
徳永は撮影タイムを終わらせ、県警職員が並ぶほうに向き直った。
「みなさんのおかげで、この徳永、こうして元気に仕事をこなせていますよ。あのとき、怪我を負った方がいると聞いたが、どなたかな?」
「彼です」
事前に川岸警備部長から説明を受けていた曾根が久留須を紹介した。
「あなたか。肩を撃たれたと聞いたが、怪我はもういいのか?」徳永が久留須に握手を求めながら訊く。
「もうほとんどよくなりました」
復帰当時はまだ腕を三角巾で吊っていたが、今はそれも取れている。
「そうか。あのときは爆発で車が炎上して、一歩間違えればというところだったから、警察は何をやってたんだという声が党の内外でも聞こえたよ。でも私は、違うと言ったんだ。君らが勇気を持って職務を全うしたからこそ、一歩間違えるような事態にはならなかった。私はちゃんと分かっているからね。ありがとう」
「励みにさせていただきます」
久留須は言葉をかけられ、恐縮したように頭を下げた。
「彼らは犯人を追跡した過程で爆発のあおりを受けて負傷しました」
曾根はそう言って、村瀬や戸部、公安の井上らを徳永に紹介した。徳永は三人にも同じように握手を求めてきた。
「君たちも警察官の鑑だ」徳永は彼らのことも褒めちぎった。「神奈川県警は駄目だ駄目だと言われてたが、君らがやってくれた。私は地元選出の議員としても誇りに思うよ」
村瀬も柄にもなく背中を丸め、「恐れ入ります」と畏まっている。その様子がおかしく、巻島は小さく笑みを洩らしながら、彼らの仕事のどれだけかが報われたことを喜ばしく思った。
徳永はその後、職員全員に向かって激励の言葉を送り、記念撮影の中心に収まった。それらが予定通り終わると、彼は職員たちの姿を見回した。
「そうそう、例の〔バッドマン〕だの〔リップマン〕だのの捜査官はいないのか?」
巻島は新型インフルエンザ対策を口実にマスクをかけ、現場捜査員たちの後ろで目立たないようにしていたのだが、直々に呼ばれては前に出ないわけにはいかなかった。
「おう、そこにいたか」徳永は巻島を見つけて上機嫌に声をかけてきた。「どうだね、〔リップマン〕はもうすぐ捕まりそうか?」
「そうなるよう、努力しております」巻島は答えた。
「捕まえかけて逃げられたようだな。次こそはしっかり捕まえてくれよ。曾根くんだっていつまでもここにいるわけじゃない。そのときには心置きなくここを去れるようにな」
曾根も来春には神奈川県警を去り、新たな赴任地に移っていくのかもしれない。同じキャリア官僚の山口真帆からは、彼がカジノ管理委員会に入るという噂が警察庁内に流れていることも聞いている。IR計画の旗振り役である徳永が曾根の今後に言及するということは、やはりその含みがあってのことなのかもしれない。
〔リップマン〕はおそらくすでにこの世を去っており、捕まらない。
巻島たちは〔ポリスマン〕の正体を探っていて、これを何とか捕まえたいと思っている。曾根にとっても獅子身中の虫になるだろうが、これを捕まえたときに彼のキャリアにどう影響するかは分からない。
〔ワイズマン〕まで捕まえることができれば、曾根の面目も立つことだろう。しかし、彼が本部長の座にいる間にそれができるかどうかはやはり分からない。
そうそう曾根の都合に合わせて捜査が動くわけもないと思いながら、巻島はただ形式的に返事をしておいた。
(つづく)