最終話 何ひとつ省みなかったこと
何かが終わったのか、始まったのか、それすら判断がつかない。ただ、胸の奥に重たい塊が沈んでいる。私はここ数日、こういう気分で過ごしている。
お腹は空くし、眠気もある。
私には目下、目的がない。本社からの連絡もない。
だから、寝たい時に寝て、食べたい時に食べる。昼夜逆転には至っていないけれど、退屈。退屈だけれど、どこか心が焦る。何もすることはないのに——
たまに、罰、という言葉が脳裏をかすめる。
全てがぼんやりとしているのに、その言葉だけが、あまりにも具体的に思い浮かぶ。
罰はある。私は、それを理解してしまった。
この町では、確実にある。
神を信じる信じない、そんなレベルの話ではない。罰があるのだ。罰を受けた人がいるのだ。彼らの元には、鳥が来ない。
それで、罰がある、という前提で考えるようになる。すると、どうしても、一つのゴールに辿り着く。
違うに決まっている。違う。間違っている。私の考え方がおかしい。首を振った。思考を別の方向へ、力ずくで押しやる。間違っているというよりも、もう一つ、前提条件がある。
罰が下るのは、住民だ。この町の住民に原因があるから罰される。
赤羽恭介。
あの小学校教師。
神様の席? きいてくれるよこえなき神さま? バカみたいだ。
下らないことを平然と言える男。
教育者として評判が良かったなんて信じられない。大切な他人様の子供を指導する資格なんて赤羽にはない。
子どもたちの前で、善良な顔をして、神の代弁者みたいな真似をした。
私は子供のときから、小学校教師というものを信頼したことがない。
善「っぽい」もの。正しさ「っぽい」もの。そういうものが大好き。そして、全体主義。平気で、自分の思想に子供を染めようとする。
もし私が神なら、ああいう人間は苛立つ。
自分はただの人間なのに、神の如きポジションに立とうとする。
罰したくなる気持ちも分かる。
郵便局員の藤野幹久。
神でもないくせに「赦す」とか言ったらしい。
何様なの。素直に怒ればよかったのに、いい人ぶって。
ああいう二面性が一番嫌い。
弱い男だ。兄を殺されても復讐もできない。兄を奪った憎い相手に優しくすることで、他人にアピールする。「僕は善人です」。他人の目線を使って、被害者ストーリーを作って、直接手を下さず攻撃しようという意図が見え見え。卑怯で恥ずかしい男。
罰せられるのは当然だ。
加納。名前も覚えたくない。
あの売れない小説家。
承認欲求の塊みたいな男。
実力がないのに努力せず、安易な「売れ線」を求めた男。
おばあ様が大切にしてきた信仰を踏み躙って、伝承を勝手にいじくり回して、バズって、調子に乗って。
心霊スポットでふざける大学生と同じ。呪われて当然。家族が死んだって、因果応報。
金栗宗久。
あの人も、本当に弱かった。
どういうつもりでこの町に居続けられたの?
ここの町の人と話す資格すらないじゃない。
だって——いや、よく思い出せないけれど、あの人にも間違いなくある。特大の罪が。
住民は金栗を責めるべきだった。
誰も責めなかったから、こうなった。あんな人がいる町は、連帯責任。
矢田部美嘉。
斜に構えた女子高生。あの子の一挙手一投足を思い出すだけで腹が立つ。
学校では「どうでもいい存在」だったらしいけれど、「どうでもいい存在」として存在できたことに感謝してほしいくらいだ。私の同級生だったら間違いなく、イジメに遭っていた。
「終わればいい」と願うのも、本当に幼稚で腹が立つ。
自殺なら一人でやればいい。
なんで自分が不幸な程度で町全体を巻き込むの。
どこまでも他責的。若くて未熟で、自意識だけ肥大して。
罰せられる理由は十分ある。
田村夫妻。
言い訳ばかりで本当に見苦しかった。色々と言っていたけれど、要は、優しくて良い子のユリちゃんへのイジメを黙認しただけ。いや、黙認ですらない。加担していた。
陰湿で、田舎者根性丸出し。都合が悪くなると手のひら返し。
ああいう集団心理が一番醜い。
結局、この町の人間は、どんなにいい人の仮面をかぶっていたとしても、中身は田村夫妻のようなものだろう。
散々色々しておいて、「私たちは何もしていない」「そんなつもりじゃなかった」と言い訳。
罰せられるだけある。
本当に、どの住民も、きっとそうなのだ。私が話を聞いた数人がみんなそうなのだから。
この町は元から歪んでいた。
最低な住民ばかり住んでいた。
私は、それをただ外側から見ただけ。聞いただけ。書いただけ。
決定的な何かをしたわけじゃない。
私は住民じゃない。
この町の血も歴史も背負っていない。
罰は、ここに根を張った人間に下る。
私はよそ者。
観察者。
外側。
そう結論づけた瞬間、思考がすっと軽くなる。
話は聞き終わった。
リストに載っていた全員分。この町の性質を判断するには、十分だ。
もう帰ろう。
記録を持って本社に戻る。
提出する。
予定通り、異動願いを出す。
笑って言ってやる。「あんな町から撤退するのは当然ですね」。
こんな場所にいたくない。ここにいたら、おかしくなる。
私はここの住民ではない。
ベッドから起き上がる。久しぶりに、「目的」が生まれる。
鞄に荷物を詰め込む。洋服とかタオルとか、そんなものは忘れてもいい。東京に戻って買いなおせばいい。
ノート。
レコーダー。
メモ書き。
これが大切だ。
証拠は揃っている。これを提出する。いかに異常な町か、分かってもらう。
これは、町の話だ。
私の話じゃない。
トランクは来たときよりずっと軽い。ドアを開け、廊下に出る。
「わっ」
住民の一人が立っている。挨拶をする前の、すう、という呼吸音が聞こえる。視線が合いかける。
トランクを強く引き寄せる。呼吸音がキャスターの音にかき消される。
見ない。
関わらない。
帰る。
階段を駆け下り、夜の空気に飛び出す。
町の灯りがやけに整っている。
左右対称で、等間隔で——見ない。
商店街を抜ける。
神社の鳥居——視界に入れない。
誰かが立って、手を振って、「千家さん」と——振り向かない。
駅まで一直線。
息が荒い。心臓が痛い——それでも走る。
ホームに辿り着き、線路の先を見つめる。それに乗って帰る。そのことだけを考える。
私は住民じゃない。
電車は来る。当たり前に来て、それに乗って、京都まで行って、東京に戻る。
ここは、私の終点じゃないのだから。