俺は会社員だ。肩書きは作家じゃない。会社員だ。定時で帰れる日もあれば、帰れない日もある。作家はその隙間でやっていただけだ。
一作目は文字通り、全身全霊をかけたものだ。それで小さい賞を取ってデビューした。二作目は惰性、三作目は前の影をなぞっただけ。四つ目を書こうとして、急に何も出てこなくなった。本当に、なんにもだ。食卓の端に置きっぱなしの給食袋、玄関に積まれたAmazonの段ボール、母の通院の診察券。生活が視界の四隅をふさぐ。そういう夜に限って、画面の白はやけにまぶしくて、カーソルの点滅はやけに冷たい。
売れっ子なら、焦らないのかもしれない。俺は違う。一作目だって売れたというにはお粗末で、二作目三作目は言わずもがな。当然、次の依頼が列をなすわけでもない。むしろ逆で、「何かお仕事ありますか」とこちらから聞いたら「あるといいですね」と笑って流される。
そんな俺のところに、たったひとつ、確実な依頼が残っていた。デビュー版元のホラーアンソロ。毎年、数人ずつ若手に声をかけて、短編を束ねて出すやつ。編集者から来たメールはいつも通り事務的で優しかった。
「SNS時代の実感を。若い読者にも届く怖さでお願いできればと思います」
締切は二週間後に迫っていた。原稿枚数は四十枚。原稿料は家のローン二回分ってところだ。ここで「すみません、書けませんでした」とやったら、来年は誰か別の書けるやつに回る。そうやって、ひとつずつ仕事が減っていくのだと、知っていた。
だから机に座った。無理矢理にでもひねり出す必要があった。
弁当箱をシンクに置き、子どもの上履きをベランダに干して、湯を張って、戻ってきて、座った。何を書こう。メールを開けば「バズ」だの「拡散」だの、軽い言葉が軽くない重さで横たわっている。怖くてもいい。でも、深くてはだめだ。浅くて軽いものにしか、SNS時代の若い読者は手を伸ばさない。すっと喉を通るもの。こういうのは、流行りのインスタントなホラー作品から入って来た奴らを楽しませるだけのもの。簡単だ。そう自分に言い聞かせる。なのに、何も出ない。地図のない土地にピンを立てろと言われているみたいだった。
ネタを探すのは、最初は外だ。ニュース、トレンド、炎上、都市伝説、まとめサイト、事故物件、実話怪談。どれも軽く作れるが、軽すぎる。小説にならない。小説にするために、俺は内側に降りた。
思い出す。夏の縁側。扇風機の首振り。麦茶のコップがかいた汗。母の母——俺のばあちゃんが、夕焼けに背を向けて話してくれたことがある。「声のない神さまがいる」と。名前も教えてくれなかった。やり方だけ、ぽつぽつ話してくれた。
「供えものは伏せて置く」
「祈るときは口を閉じて背中を向ける」
「声がないから、こちらも声を出さない。型で返す」
子どもには難しかった。ただ、その型とやらは、妙に記憶に残っていた。
列挙してみる。「伏せる」「隠す」「裏に回す」「背を向ける」。並べて、ため息が出た。
これでは、神に届いても、読者に届かない。
編集者の言う「SNS時代の実感」とは、手軽に真似できるということだ。視聴者が、読者が、すぐ試せること。試してみようと思うこと。共感すること。
これは、静謐すぎる。神聖で、共感などできるはずがない。
そこで、俺は「声がない」という部分をアレンジした。
逆さ言葉なら届く。
祈りを逆さに言えば、型として神に届く。そこに辿り着いた瞬間、画面の白がやわらいだ。入口が見えた、と思った。
俺は慎重なつもりだったが、実際は軽率に決めたのだと思う。今は後悔しているが、俺は何回やり直しても同じことしかできなかったと思う。
「逆さ言葉で祈ると叶う」
誰でも出来る。どんなに能力が低くても、面倒くさがりでも、やれる。
これさえ決まれば、後は簡単だ。今っぽいことを沢山入れた。拡散されるように。
書き終えた夜は、冷蔵庫の明かりがやけにあたたかかった。送信ボタンを押す指が汗ばみ、押したあとに脱力が来る。翌朝、編集からざっくりとした感想と、「校正に進みます」と返ってきて、なんとなく、「許された」と思った。
ほとんどゲラでの手直しはなかった。ほどなくしてアンソロが出て、いくつか反応が来た。同じく寄稿していた人気作家の作品の方が、圧倒的に反響があった。けれど、読者の一部が確かに反応した。「怖い」「やってみた」「面白い」。語彙は少ないが、回数が多い。俺に直接DMを送ってきた人もいた。なぜかみんな、やってみたそうだ。逆さ言葉の祈りを。彼氏が戻ってきた、試験に受かった、仕事が決まった——そういう「効いた」の報告。馬鹿げている、と思う俺がいて、嬉しい、と思う俺がいた。いちばん正直なのは、安堵している俺だった。次に繋がるかもしれない。繋がらなければ、ここで終わるのだ。
そして、繋がった。
まず、ネット番組の制作から連絡が来た。ショートドラマにしたい、と。俺は嬉しさを隠して、極めて冷静な文面で「ぜひお願いしたい」と返した。
脚本は向こう。監督も向こう。俺の役目は、質問されたら説明を送ることだけ。
あんたもそう思ってるだろうけど——内容は、ひどいもんだったよ。俺は、確かに若い世代が共感する、ということに重点を置いて書いた。でも、子供向けと子供だましは違うだろう。完全に、これは後者だ、と思った。一応、俺が書いた「声なき神は型に応じる」の一文も、ノートの写真として挿入されていた。ああ、こんなふうに使うのか、と少し苦い気持ちになったことは嘘ではない。
でも、ドラマの出来がひどいことなんて、どうでもいいことだ。
メディアミックスは、俺に金だけ運んでくれる子供だと思った。
再生数はかなり伸びたと聞いた。ネットで検索してみる。画面の向こうの人の顔は見えない。ただ、「見た」「やった」「効いた」という声が増えていく。笑ってしまうかもしれないが、俺はそのたびに胸の奥で頭を下げた。ありがとう、って。ありがとう、って言うのはおかしいのかもしれない。俺が礼を言う相手は、本当はばあちゃんだ。でも、ばあちゃんは喜ばないだろう。俺は、軽くした。ばあちゃんが大切にしていた型を、軽く、誰でも飲める形にした。それで——今や、原型も残っていない。
「面白くしようとしただけだ」
言い訳みたいだが、俺に言える言葉はそれしかない。冒涜したつもりは、ない。誰かを騙したつもりも、ない。
俺は面白くしようとした。正確に言えば、楽しませようとした。必死に、若い奴らが楽しめるものを考えた。そうしなければ、消える運命だった。そしたら、少しだけ人が集まって、数字が伸びて、笑いと悲鳴が生まれた。
それで、俺ひとりの責任じゃない……と、ここで言ってしまうのが、良くないんだろう。でも本音だ。責任がないわけがない。けれど、全部を引き受けられるほど強くもない。テレビの人間たち。プロデューサー、ディレクター、監督、脚本、誰でもいい。彼らだって加担している。でも、悪いことではないはずだ。
俺たちは、面白くしようとしただけだ。
ネットの短尺ドラマが思っていた以上に回って、原作の載ったアンソロまで動いた。これは、予想もしていなかった。出版社の在庫が削れ、レビューがぼつぼつ増え、編集者から電話が来た。
「今ならいけます。ぜひ長編に」
俺は反射的に「やります」と言った。
TikTokで逆さ言葉を囁くクリップが、十代のアカウントから雪だるま式に増えた。制服の襟元、塾の自習室、カラオケの小部屋、深夜のキッチン。軽いBGMに合わせて、みんなドラマのエンディングに流れたダンスを踊る。そして、逆さ言葉の祈りをする。中には「ガチで効いた」と字幕を乗せる子もいる。コメント欄は「やってみた」で埋まって、俺の名前のハッシュタグがついた。顔の見えない人間が、一斉にこちらを向く感覚。怖いより先に、心が熱くなった。
ネットのホラー番組にも呼ばれた。黒いカーテンの簡易スタジオ、リングライト、カメラは二台。人気のアイドルがMCで、相方に芸人。打ち合わせのメモに「『逆さ祈り』のポイント、視聴者参加で」と書かれている。控室では、アイドルのマネージャーが「原作、読みました。面白かった。ゾッとしました」と言ってくれた。芸人は本番中にうまく笑いを入れてくれて、おおいに盛り上がった。終わって、みんなで写真を撮って、握手して——俺のスマホが通知で埋まる。
家に戻ると妻が録画を見せて「よかったよ」と笑う。子どもは「パパ、テレビ出た」と、学校で自慢したらしい。家族LINEがめずらしく賑やかで、珍しく電話をかけてきた母は通話口で「無理せんとき」とだけ言った。風呂場の鏡の前で髪を撫で直す自分の顔に、輪郭が生まれた気がした。
長編の準備に入る。手順は、もっと卑近に、手の届く場所へ落とす。
・コンビニのホットコーヒー、紙カップの口を一度内側に折ってから戻して使う。
・ATM、出てきた金を「硬貨→紙幣」の逆順で財布へしまう。
・カードは上下逆さで差し込む。
・エレベーターの表示を上から下へ数えてから降りる。
・付箋は糊が下になる向きで貼る。
純粋に、信じることにした。こういう、誰でも出来て、想像ができることが、一番怖いと。それが間違っていないと。それで成功しているのだと。
編集者が「帯は〈逆さ祈り、再臨〉で」と言い、営業が「書店店頭で#やってみたステッカーを」と言ったそうだ。
・スマホのスクロールを下から上へ逆に撫でる
・地図アプリを一度上下反転で見る
・神社で鈴の紐を押さえ、音を止めてから願う
俺は、更に増やした。編集者から否定は出ない。否定がないと、進みやすい。
もちろん、外の世界には、否定もあった。
あるとき、人気作家のタイムラインが目に刺さった。名前は出さないが誰もが知っている人だ。
〈最近、バズ狙いの作品が増えた。私はインスタントな消費は好きじゃない。小説って、そういう娯楽ではないと思うし、私の読者さんも同じ方を向いているって信じたい〉
直接俺を指してはいない。けれど、確実に、俺を的にしている。胸の中がざわつく。図星、なところもあった。外——つまり、版元と、TikTok以外の場所。
〈アンソロ、ほぼほぼアタリ。合わないものも、一定以上のクオリティあっておすすめ。でも加納晋一郎の作品だけバカみたい〉
〈あれ、版元に責任あると思う。加納先生ってこんな作風じゃない、いつももっとロジカルだよ〉
俺が対象にしている、普段小説を読まない若い奴らじゃない。いつもきちんと小説を読んでいる人たちからの意見。酷評ではなく、軽蔑。腹が立つ。でも、そういう声は、こう言い換えることもできる。
「これは嫉妬だ」
俺は、今にリーチしている。こういう声は、嫉妬。届かない位置にいるから出る嫉妬なのだ、と。そう言い切ると、むしろ気持ちよかった。
小説ではない仕事が増えた。会社の給湯室で「サインくださいよ」と冷やかされ、営業先で「見ましたよ」と微笑まれる。その度に、嫉妬されることへの快楽が膨れ上がる。お前らは、こんな景色を見ることは一生ないのだろう、と。
昼休みにも原稿を進め「逆さ祈り」のリストを増やす。
祖母の信仰を踏みにじっている罪悪感は、そのときにはなかった。短編を書く前にあった、畏敬の気持ちを思い出そうとしても出なくなっていた。そもそも、俺は信仰していない。東京に出て来てからの方が長いくらいだ。それに、冒涜してなどいない。ただ、参考にしただけ。儀式めいたものを、卑近な形へ置き換えて、創作しただけ。そうすれば単なる道具で、道具は使われて生きる。自分でも分かる。俺の中で、「神サマ」という言葉はもう畏れの対象ではない。紙の上では神サマは舞台装置だ。祖母に対する後ろめたさは、数字が消していった。
「とてもいいです。このまま行きましょう」
編集者にそう言われる。自信は自分の内から湧くものじゃなく、横から注がれるものだと初めて知った。注がれるあいだは、俺は書く。書いて、削って、また書く。こうしてこうしてこうなる、それが全てはまっていく。俺はもはや迷っていなかった。迷いがなくなることを、成長と呼ぶのなら、俺は大いに成長していた。ちゃんと届くものを、いま書けている。そう言い聞かせる必要も、もうあまりなかった。
校了の報告メールに返信した夜、急に冷静になった。頭の中の靄が晴れた、というはっきりとした感覚。やっと終わった、という安堵と、紙の匂いの向こうにある誰かの息を思い出すようなざわめき。
一応義理を通さなくては。ばあちゃんの顔がよぎった。あの人は何かを始める前に必ず手を合わせた。俺には信仰はないが、声のない神の話で飯を食うなら、形だけでも参拝しなくては、と思った。
次の休日、在来線を乗り継いでさつき町に入る。もちろん一人で。親戚も残っていない場所に、家族を連れて行っても意味がない。
改札を抜けた瞬間、視線を感じた。商店街へ流れていく老人、買い物袋を提げた主婦、部活帰りの子ども。誰もが、懐かしむ顔をして俺を見た。懐かしまれる筋合いはない。二十年は帰っていない。けれど、その目つきは、昨日まで毎朝ここを通っていた誰かを見るようだった。勘違いだ、と声に出す。例えば、見られていたとしても、それはちょっとした有名人を見ているのだ。地上波にも、数回出たことがあったし。
妙に喉が渇いた。背中に感じる視線を無視して、自販機に向かう。新しい機種で、紙幣は一万円札まで飲むタイプだ。缶コーヒーのボタンを押し、一万円札を差し込む。機械の音がして、コーヒーが落ちた。
取り出し口の隣で金属音。硬貨がばらばらと吐き出された。
「お受け取り下さい」
何も考えられなかった。自動音声に操られるように、硬貨を拾い上げる。全部だ。
紙幣が、ぬるりと押し出された。
逆だ。普通は札が先に戻り、小銭があとに転がるはずだ。指先に千円札の紙の温度、掌に硬貨の冷たさ。
首筋に汗が浮く。偶然だ、と心で三度言い聞かせる。
神社へ向かう前に、ばあちゃんの家の跡に行かなくては、となぜかそう思う。足は勝手に路地を曲がる。薄い影が重なる角を二つ、三つ。夏の夕方、縁側で聞いた風鈴の音が耳の奥で甦る。たどり着いた場所には、当然、もう何もなかった。草の匂いのする更地。コンクリの土台だけが不規則な四角形を描き、そこに熱がたまっている。知っていた。取り壊されたのはとっくに聞いていた。知っていたのに、胸の中の柱が一本、実際に抜かれた感覚がした。
「ばあちゃん、ありがとな。お世話になってます」
誰に聞かせるでもなく、なんとなく手を合わせる。
そして、それが視界に入る。
あり得ないものが残っていた。
郵便受けだ。
赤茶けたブリキの箱が、鉄の棒に抱きつくように結わえつけられて、ぽつりと口を開けている。見覚えのある錆。近づくと、口の中ははがきでいっぱいだった。角がふやけ、紙の面が湿りを含んで、古い紙の匂いがむっと立つ。何枚か抜いてみて、息が止まった。貼られた切手がすべて逆さ。宛名も差出人も消印も、読み取れない。でもはっきりとわかる。同じ柄の切手が、天地を違え、ひたすら正確に逆さで貼られている。指先に紙のざらつき。爪先が土を噛む。ここを誰が使っている? そもそも、誰宛てだ?
風がいきなり止み、背後で足音がした。
振り返ると、作業着の中年男性がいた。帽子のつばの陰から、目だけがこちらを見る。知らない顔だ。けれど、その目にも、駅で見たのと同じ懐かしさが張り付いている。俺はとっさに、はがきを背に隠した。
こんにちは、と挨拶する前に、
「災難ですねえ」
男は、土の上に立ったまま言った。吐息が近くも遠くもない距離に落ちる。
「そんなに、詰められて」
笑っているような口元。俺は頷くこともできず、喉だけが上下する。
「加納さん」
名前を呼ばれた。手の内側で汗がはねた。名乗っていない。ここに来ると誰にも言っていない。どうして、と思う間もなく、男は穏やかに続けた。
「逆さに喋ってみたらどうです? 案外、届くかもしれませんよ」
やわらかい声色。親切にさえ聞こえる。俺は口を開いたが、声は出なかった。喉の奥で音だけが逆向きに回って、せり上がってこない。男は首をかしげる。
「あれ? 何かおかしいですか? この辺は、みんなそうしてます。やり方は、加納さんが一番ご存じでしょう?」
俺が一番。皮膚がぴりぴりと痛む。俺ははがきを元に戻し、蓋を閉めた。鍵穴は錆で塞がれ、蓋は最後のところで逆側に少しだけずれる。ぴたりと合わない歯。歯車の噛み合わせを、わざと逸らしたみたいだ。男は動かない。遠くで自転車のベルが鳴って、音がこちらに来る前に反対側へ遠ざかった。
「参っといたら、義理は通ります、よね?」
男が言った。足が地面に埋まるように重い。背中に視線を貼り付けられたまま、神社のほうへ歩き出す。
参道は、狭く、長い。両脇の家の塀が、肩の線とまったく同じ高さで続く。鳥居の朱は少し剥げて、木の地肌が見えている。手水の水面が薄く揺れて、石の縁に白い線を残す。柄杓を手に取ると、柄が内側に反っているように見えた。錯覚だ、と言い聞かせる。手を清め、鈴の綱を握る。振ろうとした瞬間、綱がふと軽くなり、鈴の中で玉が転がる音が先に響いた。
順番が逆だ。俺が振る前に、音が出た。
賽銭を投げる。五円玉は先に鈴の音に吸い込まれていく気がした。手を合わせ、目を閉じる。祈る言葉は、正面から言おうとすると舌が絡まる。裏返して言えば出そうになる。
俺は奥歯を噛んだ。
違う。そんなことをしてはいけない。逆さ言葉で祈るというのは、俺が創った風習だ。ここにそんなものはない。
ばあちゃんは、声を出すなと言った。沈黙を、ここでは尊重するべきだ。逆さを、ここで口にするのは違う。違う、と自分に言い聞かせる。唇の内側に自分の歯の形が残る。長い呼気を吐いて、二歩下がり、頭を下げる。
拝殿の戸の隙間から、紙垂がわずかにうら返って揺れているのが見えた。いや、風が逆から吹いているだけだ。誰もいない境内で、靴音が、出した順に返ってこない。足を置いた位置の後ろから、コツ、コツ、と音が追いかけてくる。振り返る。誰もいない。山の影が濃く、空の色が浅く、どこかで犬が吠えた。吠え声は、先に遠くで反響し、それから近くで切れた。
参道を戻ると、先ほどの男ではない別の老人が、石灯籠の陰から出てきた。顔はやはり知らない。口元に深い皺がいくつも走っている。俺を見ると、遠慮のない笑顔になった。
「お帰りなさい」
心臓が一拍、強く鳴った。俺は首を横に振る。
「違います。俺はただ」
「分かってますよ。義理でしょう?」
老人はこちらへ寄ってこない。距離は変えずに、声だけが距離を詰めてくる。
「それで十分ですわ。逆さに喋るのは、義理通したあとで」
俺は何も返せず、通り過ぎた。町は静かだった。