そんなある日。
夕方、外が騒がしい思て出てみたら、遠くの空が赤く染まってました。
「火事や!」
みんなが走ります。私らも駆けつけました。
燃えていたのは、ユリちゃんの家でした。
屋根は崩れ、窓は割れ、火柱が夜空を舐めるみたいに上がっています。
消防の人が怒鳴ります。
「離れてください!」
それでも近所の人は、道の端に並んで、目を逸らさず見ていました。
その顔がね。どこか、ほっとしたようにも見えました。
「やっぱりな……」
「いろいろ溜まってたんやろ」
「火の元くらい、ちゃんとせな」
口々に、好き勝手言います。
「裕理ちゃん、気の毒や」
「勘当や言うて、追い出したらしいで」
「あの子そんな子やないってみんな言うたのにな」
「ほんま、あれでも親やろか」
夜が更けて火が落ち着いた頃、誰かが声を上げました。
「帰ってきはったで」
私らは道の端から見ていました。
ゆらゆら、ゆらゆらと歩いて来て、焼け落ちた家の前に、ユリちゃんのご両親が止まりました。ゆっくり焼け跡を眺めてました。
泣きもせん。崩れ落ちもせん。ただ静かに。
なんや、ぼそぼそっと言うたのが見えました。ほんで、噂が走りました。すぐに。
「ああ、燃えたんですねえ、て言わはったらしいわ」
周りの人は顔をしかめました。
「あんな反応ある? 普通」
「情がないわ」
「情やなくて常識やろ。下手したらよそに飛び火したかもしれんのに。迷惑かけてすんませんやろ」
「いやでも、家、燃えてしまったしなあ」
「天罰やろ」
ユリちゃんのことも、言われていました。
「そもそも、仮に、なんかしたんやとしても、おかしいわ」
「保身よな。のうのうとええ親ぶって、さぞ楽しかったんやろな」
それで、同じ結論です。
「あの家はおかしい」
実際、おかしかったです、その後も。
焼け跡にね、戻ってきてはったんです。
家も残ってへん、黒焦げの土地の上で、折りたたみの椅子を二つ置いて、そこに並んで座って。
ポットでお茶、飲んではる。
洗濯紐まで張ってあって、干すもんなんてあらへんのに、洗濯ばさみがついてた。
声をかけた人もいましたよ。何してるんですか、て。なんで戻ってきはったんですか、て。
そうすると、「ええ、家やからね」なんて言うんです。何が、家なんでしょうか。
気味の悪いことに、親御さんたち、妙に声かけて来るようになったんですよ。
「今日はええ天気ですねえ。気持ちええわあ。洗濯物もすぐ乾きますやろ?」
お母さんの方、にこにこ笑うて。
でも、意味分からんし、不気味でしょう、家もないところで、座っとる人は。
声かけられた人は、顔を引きつらせて言い返したんです。
「……あんたら、頭おかしいんちゃう? 天気の話なんてしとる場合やないで」
ユリちゃんのお母さんは、さらに明るい声でこう言いました。
「いやあ、ほら、雨やったら火ぃすぐ消えとったかもしれへんでしょ? 惜しかったなあ思て! あはははは!」
笑いながら、手を叩いて。
凍り付いてましたよ。
私は遠くから見てただけですけど、
別の日には、お父さんのほうも声をかけてました。
「お久しぶりですなあ。お宅の息子さん、進学決まらはったんですって?」
「ええ、まあ……」
相手は困った顔で曖昧に返します。
「うちの娘もねえ、前はここで一緒にご飯食べたりしたんですよ。この場所で」
お父さんは黒焦げの地面指さして、嬉しそうに笑いました。
「今はおりませんけどね。まあ、また戻ってきよりますやろ」
相手の人は耐えきれんようでした。
「なあ、悪いこと言わん。もう、出てった方がええと思いますよ。別のとこで暮らしたらええ。こんな場所にずっとおるの、おかしいですわ」
するとお父さん、まるで褒められたみたいに微笑んで。
「いやあ、家は家ですからなあ。ほら、やっぱり『住めば都』言いますやろ? 壁なくても都ですわ!」
お父さんは、相手の肩をぽんぽん叩いて、
「また遊びに来てくださいよ。なんにも無いですが、うちは楽しいですさかい」
ほんま、会話は通じてるのに、噛み合ってへん。
ほんで、火事から、ひとつきほど経った晩のことです。
その日は閉店後も、なんとなく帰る気がせんで、店の電気だけ消して、夫婦でテーブルに座ってました。誰もおらん静かな店内は、音がよう響きます。
氷がグラスの中で鳴る音、時計の秒針。いつもより大きく聞こえました。
そのときです。カラン、と。
閉めたはずの扉の鈴が鳴りました。
思わず顔を見合わせました。
ドアの向こうから、ゆっくりと足音が近づいてきます。
灯りをつける前でも、誰か分かりました。
あなたも、分かるでしょう。ぞわっとするんですよ。
直くんや。
空歩くみたいに、なあ。神様とおんなじように、歩きよる。
静かに店の中央まで来て、立ち止まって。
ドン、と。
テーブルの上に、くしゃくしゃの封筒を叩きつけました。
恐ろしくて、恐ろしくて。でも、見ないといかんと分かって。
顔を上げると、直くんは真っ暗な目で、じっと私らを見てました。
怒ってはる。
あんな顔、初めて見た。
「渡しに来た」
低い声でした。
「彼女が、望んでいる」
封筒を指先で軽く押します。
まるで、それが重たい石みたいに見えました。
夫が震える声で聞きました。
「どなたさまのお手紙、ですか」
「裕理」
その名を呼ぶ声音には、深い感情がありました。それが、分かったんです。どんくらい、重いもんかが。圧し潰されそうでした。
私らは喉が詰まってしまって。
直くんは、私らから目ェ離さないんですよ。
「これは、ここに届くべきだった。しかし、届かなかった。上がそう決めたから」
淡々としてるのに、震えるくらい、冷たい。
「だから、僕が持ってきた。彼女が、そう望んだから」
直くんは繰り返しました。
「上は、何も言っていない。上は何も言っていない」
ああ……上、というのは、あれやろ、昔から言われてる、声の無い神様のことですやろ。
それで私は、言ってはいけないことを——考えてもいけないことを、思いました。
ほんまやったら、そんなこと、考える筋合いもないんですよ、でも——ユリちゃんは、神様のこと、分かってたんちゃうかって。声もないけど、声、聞こえてたんちゃうかって。そしたら、たまの意味分からん行動も、なんや、呑み込めるような……ユリちゃんは、神様の声が聞こえるのに、神様の方やなくて、私ら人間の方ばっかり見てたんちゃうかって。直くんは、しつこく「上は何も言っていない」って。でも、あの顔……直くんの顔で分かりますよ。直くんは、神様ですもん。直くんは特別ですもん。直くんがこの顔なんやから、神様は、えらい怒ってるんちゃうか。怒ってるってことを、伝えることもないくらい、怒ってるんちゃうか。ユリちゃんが神様の声が聞こえてるとしたら、特別やん。特別な女の子に、あんな真似して……せやから、ユリちゃんのご両親も、高瀬君も、えらいことになってしまったんやないか。私らも、あんなふうに……それをユリちゃんは手紙で伝えてくれてるんちゃうか。伝える必要もないことを伝えてるから、直くんは上は言っていないと——もしかして、直くんは、神様に逆らってはるの?
自分でもなんでそんなこと考えるんか、分からへんのです。罰当たりですよ、声の無い神様の声を想像するなんて、罰当たりですよ。考えるだけでも、体の奥がぞわぞわして、怖くて、たまらんようになったんです。誰かに聞かれているのかもしれない、だって、声は無くたって、耳はあるやないですか。
手紙の内容が、すごく気になった。絶対に見ないといけないと、感じた。
封筒を震える手で開けると、中から一枚の便箋が出てきました。
丁寧な字でした。ユリちゃんの字でした。