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第七話 神になろうとしたこと

 

 僕は、普通の親のもとに生まれた。そう聞いている。

 父と母がいて、最初は、ここではない町に住んでいたらしい。どこだったのかは分からない。海があったのか、山があったのかも分からない。家がどんな形だったのかも分からない。部屋の匂いも、声も、顔も、思い出せない。知らない。

 でも、いた。

 いたという感覚はある。

 それが自分の記憶なのか、上から教えられたこと——つまり、そういうものとして落とされたのか、分からない。どちらでもいいと思っている。上がそうだと言うなら、そうだったのだと思う。僕には普通の両親がいた。

 そのあと、さつき町に来た。なぜ来たのかは知らない。

 仕事の都合だったのかもしれないし、引っ越しをする理由があったのかもしれない。なんとかという理由があった、と聞いている気もするし、聞いていない気もする。

 その前の生活についても、細かいことは知らない。

 学校に通っていた。給食を食べていた。ノートを使っていた。体育の時間があった。そういう「形式」は分かる。でも、それに伴う出来事は知らない。

 友達がいたのかどうかも分からない。

 いなかった気もするし、いた気もする。

 ただ、困ってはいなかった。

 寂しいという感覚がどういうものか、よく分からない。

 ある時期から、親がいない。

 気付いたら、いなかった。

 事故に遭ったとか、病気になったとか、家を出て行ったとか、そういう説明を誰かから受けた記憶はない。役所の人が来た記憶もない。親戚が現れた記憶もない。

 ただ、いなくなっていた。

 上からそう聞いた。

 家に帰ると誰もいない。それが普通になった。

 そのうち、家というものがあったのかどうかも、曖昧になった。

 おそらく、あなたは思う、そんなことあるわけがないと。

 子供が一人で暮らしていれば、誰かが気付くはずだ。問題になるはずだ。何かしらの手続きがあるはずだ。

 でも、そういう痕跡が何もない。

 だから、多分。

 最初から、あまり存在していなかったのだと思う。

 親も、僕も。

 あるいは、存在していたけれど、存在しなくなった。

 どちらでもいい。

 上は、僕の家族の単位を決めた。

 それで、今は僕が一人だけ。

 親はどういう顔だったか。何をしていたのか。僕とどのように接していたのか。僕はどう考えていたのか。

 それについて質問したことはない。

 質問するという行為が、どういう時に発生するものなのか、よく分からなかったからだ。

 両親が欲しいとも思わなかった。

 失ったという感覚もない。

 何かを失ったと感じるためには、最初に「持っている」という感覚が必要なのだと思う。

 僕にはそれがない。

 さつき町での生活は、静かだった。

 静かというより、変化が少ない。

 毎日が同じ形をしている。

 朝が来て、学校があって、帰る。どこに? 知らない。帰るんだよ。

 誰かと話すこともある。

 話さない日もある。

 どちらでも同じだった。

 僕は、自分がどういう性格なのか分からない。

 明るいのか、暗いのか。優しいのか、冷たいのか。怒りっぽいのか、無関心なのか。

 判断する基準がない。

 感情がないわけではない。

 不快なものはある。落ち着かないものもある。

 ただ、それに名前が付いていない。名前がないから、整理されない。整理されないから、記憶として残りにくい。

 ただ、何を考えているか分からない子、という——そうだな、設定だ。上が、そう設定した。それでいい。

 何を考えているか分からないではなく、考えていることがあるかどうか分からないのだが、それは、僕の思うことだ。上とは違うかもしれない。

 上は、事実として、佐伯直をさつき町の小学校に通う何を考えているか分からない子供として設定した。

 そう聞いた。それがいつだったかは、どうでもいいだろう。

 聞いてから、「いる」という状態になった。そのことを、覚えていて欲しい。

 いる。

 存在している。

 存在しているから、体がある。

 体があるから、学校に行く。

 学校に行くから、周囲と関わる。

 これは全て設定だ。上がそう決めた仕組みだから、僕はそうしている。

 僕は、自分が人間であると知っている。上がそう決めている。

 しかし厳密には、自分が「普通の人間」だと感じたことはない。

 普通の人間がどういう感覚で生きているのか、分からないからだ。

 僕はただ、ここに置かれている。

 置かれているものは、役割を与えられることがある。

 いつからか、役割が始まった。

 それが何なのかは、あなたには言えない。

 あの日より前と後で、世界の触り心地が変わっている。

 胸の奥に、何かが引っかかる感じがするようになった。それが始まりだった。

 ある日、この町に雷が鳴った。

 鳴った、と言っても、空は光らなかったし、音もしなかった。

 誰も空を見上げなかった。誰も足を止めなかった。

 ただ、胸の奥で、何かが折れた。そして重たいものが、静かに置かれた。きっと、沈黙と呼ばれるものを、僕は聞いた。

 同じ瞬間、天木裕理も、金栗宗久も、同じ沈黙を聞いた。

 三人とも聞いたのは、同じ沈黙だ。

 天木裕理は、その沈黙を「呼びかけ」だと思った。

 神が、人間に向けて、何か言おうとしている。でも、すぐには言わない。言葉にする前に、間を置いている。

 そういう沈黙だと感じた。

 天木裕理はもともと、人の話をよく聞く人間だった。人の心を拾う人間だ。

 誰かが言いかけてやめた言葉。

 笑いながら誤魔化した声の裏。

 困っているのに、困っていないふりをする態度。

 そういうものを、無意識に拾ってしまう。

 だから、沈黙の中にも、「向けられている感じ」を嗅ぎ取った。

 天木裕理は、思った。

 神が何か言おうとしているなら、それは人を救うための言葉だ、と。

 救いのない言葉を、神はわざわざ人間に渡さない。

 そう信じた。

 だから天木裕理は、沈黙のあと、耳を澄ませるようになった。物理的に耳をそばだてるのとは違う。

 座って目を閉じる。全身を繋げる。空気も上が決めたことだ。それと繋がる。

 天木裕理はそれを習慣にした。

「何をすればいいですか」

「誰を助ければいいですか」

 そういう問いを、声に出さずに繰り返した。

 天木裕理は、神の言うことを聞こうとした。

 それは、神のためではない。

 人を救うためだった。

 金栗宗久は、また、違う。

 金栗宗久は沈黙を感じたとき、真っ先に思った。

 神が、自分を見ている。

 神が、自分の悲しみを知っている。

 妻を失ったこと。何もできなかったこと。気付けなかったこと。助けられなかったこと。

 その痛みを、神が理解した。

 だから、沈黙が来た。

 金栗宗久にとって、それは、慰めだ。応答だ。「聞いている」という合図だ。

 金栗宗久は、神の言葉を聞こうとした。

 でも、それは「意味を考えるため」ではない。「実行するため」だった。

 神が何か言うなら、それは正しい。

 正しいことは、実行しなければならない。

 そういう考え方だった。

 金栗宗久は、神職だった。代々続いているというだけの神職だったけれど、その肩書きが、沈黙をきっかけに、重くなった。

 自分は、神の言葉を受け取る側なのだ。

 そう思った。

 僕は、違った。

 僕は、沈黙を沈黙だと思った。

 誰かが何かを言おうとしている感じはした。

 でも、それは「言おうとしている」だけだった。言われていないものを、こちらが言葉にするのは、おかしい。

 いや、そんな複雑なことを考える機能は僕にはない。そういう理屈ですらなかった。

 単純に、意味を探す必要を感じなかった。

 沈黙は沈黙。それ以上でも以下でもない。

 それが、僕の受け取り方だった。

 体に変化も起きる。胸が、小さく震える。一瞬だけ、呼吸が詰まる。息を止めたわけでもないのに、止まる。

 そのあと、何かが起こる。

 誰かが転びそうになると、転ばない。

 倒れそうな物が、倒れない。

 折れそうな枝が、折れない。

 本当に小さなこと。偶然と言えば偶然で済む程度のこと。

 僕は、それを自分が起こしているとは思わなかった。

 自分が何かを「した」という感覚がない。

 強いて言えば「通った」という感覚だ。何かが、僕を通って、外に出た。

 天木裕理は、それを見て「意味がある」と思った。

 天木裕理の考え方は一貫している。誰かが助かった。誰かが守られた。それなら、それは神の言葉だ。

 金栗宗久は、それを見て、「神の力だ」と思った。

 金栗宗久はもう少し、揺らぎがある。

 神が動いた。自分たちの前で。それなら、それは従うべきものだ。

 それ以外の人間はそもそも、「神の意志である」と思わない。

 すごい。やばい。今のは奇跡。なんで分かったの。どうしてそうしたの。

 そういう、単純な驚きだ。

 もともと、僕は目立つ方だった。

 顔がきれいだと言われる。見ているだけでありがたいと、神々しいと言われる。

 大人も子供も、最初に顔を見る。

 転校してきたときも、

「すごい子が来た」

 そう言われた。

 僕は何もしていない。聞かれたことしか答えない。聞かれても必要が無ければ答えない。笑わない。泣かない。怒らない。表情が動くことはなかった。

 なのに、周囲が勝手にざわつく。

 その状態に、沈黙のあとに起きる現象が重なった。

「神の子」

 誰かが、そう呼んだ。最初は、本気ではなかったと思う。

 でも、その言葉は便利だった。

 僕は説明しなくて済む。誰も理由を考えなくて済む。

「神の子だからすごいことができる」

 道理が通っている。普通の人間からすれば。

 天木裕理と金栗宗久は、そう考えない。

 天木裕理は、僕を神だと思っていなかった。

 天木裕理は、「直くんは通り道だ」と思っていた。

 最初から一貫している。だから天木裕理が僕に伝える言葉はない。

 金栗宗久は、少しずつ変わった。

 僕を見る目が、人を見る目から、「媒介を見る目」に変わった。

 尊敬でもない。恐怖でもない。道具を見る目に近い。

 言葉にするなら、金栗宗久は「佐伯直は器だ」と思っていた。

 僕自身は——神に敬意を持ったことはない。

 祈ったこともない。感謝したこともない。

 上だ。

 僕にとって「上」は、偉い存在ではない。ありがたい存在でもない。

 ただ、ある。

 圧倒的に上にある。

 だから逆らうとか、従うとかいう発想もない。

 川が流れるから流れる。

 それと同じだった。

 僕はそのつもりはない。それでも、伝える役に設定されている。

 胸が震える。息が詰まる。

 その直後、言葉が浮かぶ。

 こうしろ、ああしろ、これはよくない、そのように文章にはなっていない。意味の塊だ。意味の塊は、僕を通って人間の言葉に変わる。

「歩くのはやめろ。上が悲しんでいる」

「あなたは今行くことになっている。上が共に歩く」

「家の中の椅子を外に出す。上がそう決めた」

 警告のようなものだ。

 水道管が破裂する前に止まる。

 倒れそうな人が座る。

 火が出る前に鍋が落ちる。

 僕が言ったとおりにすると、悪いことは起こらない。

「直くんのお告げだ」と誰もが思う。

 僕はそのつもりはない。何度も言う。僕はそのつもりはない。

 お告げという言葉は、距離が近すぎる。

 神が僕に向かって喋っている感じはしない。

 神が喋っている。僕は、たまたまそこにいる。

 その二つの違いを説明する気はなかった。いや——そう設定されていない。

 理解されなくても、困らないだろう。

 僕は「神の子」ということになっている。

 間違っていても困らないだろう。

 しかし、今僕は思う。

 誰も困らない。僕以外は困らない。

 僕は困っている。

 分かるか。あなたの話をする。今からあなたの話をする。

 

(つづく)