有名な小説家でテレビドラマの脚本も書いた人は少なくない。古くは松本清張、池波正太郎、黒岩重吾、曽野綾子、筒井康隆から、平成以降では辻仁成、金城一紀、湊かなえなどがいる。だがその作品量において、この作家をしのぐ人はいない。一昨年に91歳で亡くなった、平岩弓枝である。

 平岩は1932年、東京都生まれ。「時代小説の名手」と呼ばれ、代表作に『御宿かわせみ』などがある。初めて書いた小説が直木賞を受賞。直後にその小説を読んだTBSのプロデューサーが当時27歳の彼女に、ドラマ脚本の執筆を頼んできた。のちに人気作を連発する、6つ年上の石井ふく子である。

 平岩は、若いころから演劇に興味があったこともあり、石井の求めに応じてドラマ脚本を書き始める。とりわけ『肝っ玉かあさん』と『ありがとう』は特大のヒット。どちらもシリーズ化され、前者は計117回、後者は計157回も放送された。

 さらに驚くのは、そのすべての脚本を平岩一人で書いていること。1時間ドラマの脚本は、400字詰め原稿用紙にすると、60枚ほどの文字量。しかも小説の連載を抱えながら、NHKの朝の連続ドラマや大河ドラマまで担当したこともある。おそらくドラマの1回分を、1日以内に書き上げたのだろう。とにかく筆が速く、ネタ切れにもならなかったらしい。脚本書きを専門にする人も舌を巻くであろう、驚嘆すべき才能である。

 だが平岩は、多忙を極めた1974年から翌年にかけて、自らピンチを招く。仕事の調整をしくじり、週に3本の連続ドラマを同時に書かざるをえなくなったのだ。しかも、そのほかに小説の新聞連載1本、短編小説2本、舞台脚本2本を執筆。さらにびっくりするのは、毎日のように〆切があるのに、途中で1ケ月間も海外へ旅行したというではないか。のちに当人は「その時分は40代に入ったばかりで体力も集中力もあった」から無理が利いたと回想しているが、その馬力、度胸の良さには恐れ入るばかりである。

 なぜ平岩は、ドラマ脚本を書き続けたのか。本人いわく「気の合う人々と一緒に1つのことを創り上げて行く面白さは格別のものがある」からだという。小説家の仕事相手は、ほぼ担当の編集者だけ。ところがテレビドラマの場合は、多くの人たちとの共同作業で成り立っている。脚本を書き始める前にプロデューサーや役者と話し合いを重ね、そこからアイデアを拾うことも多かったにちがいない。

 しかし、脚本書きには難しさもあった。テレビドラマには「放送時間」という制限があるからだ。せっかく書いた脚本が時間内に収まらず「書いたものが切られるのは嬉しくなかった。映像になってから切るのは尚更である(略)次第に私は自分の脚本の段階で無駄なせりふを自ら切り落とすようになった」。

 その結果、気が付いた。「本当に生きたせりふには無駄が全くないのだ」。文章は削れば削るほど良くなる。そんな格言もあるが、平岩がドラマ脚本を大量に、しかも長きにわたって書くことができたのは、徹底して「引き算」をしながらペンを走らせ、原稿用紙のマス目を埋めたからにちがいない。

 その平岩にとって初のヒット作が、石井ふく子プロデュースの単発ドラマ『女と味噌汁』だ。放送は1965年で、世の女性たちからの好評を受けてシリーズ化。以後25年にわたって、計38本が作られた。

 そこで、シリーズ第3弾の台本を読んでみた。その台本は平岩が万年筆で直しを書き入れた改訂稿だが、せりふの修正はわずかに6ケ所。しかも、いずれもほんの小さな直しである。その中にはセリフを数行削った部分もあり、「本当に生きたせりふには無駄が全くない」という自身の信念が伝わってくる。

 では、平岩ドラマの特徴とは何か。主人公はいつも女性である。そして彼女たちは、たとえ逆境にあってもひねくれず、たくましく、まっすぐに生きている。

『女と味噌汁』のヒロインは芸者で、彼女は父の顔を知らずに育った。『肝っ玉かあさん』の主人公は、女手ひとつでそば屋を営み、二人の子どもを育て上げた。『ありがとう』は母と一人娘の物語であった。また、いずれの女性にもそれぞれ仕事があり、男に頼ることなく自立しているところが、当時としては新しい女性像を打ち出していた。

 彼女たちはみな裏表がなく、思ったことを素直に口にする。その結果、家族や周りの人とぶつかることもあるが、決して深刻な感じにはならない。平岩が書くセリフには、いつも気品が感じられるからだ。

 例えば『女と味噌汁』では、不仲の夫とは憎み合わずに離婚したい、という女性に対して、ヒロインが珍しく強い口調で𠮟りつける。

「噓だわ……憎み合わない中に別れるなんて。インチキだわ。そんなの奥さんの一人よがりよ、強がりよ、見栄よ、お体裁だわ」

「お体裁」という表現を選ぶあたりに、平岩らしい品の良さが感じられる。

 1972年放送の『ありがとう』第2シリーズでは、最高視聴率がなんと56パーセントを記録。しかも、並行してNHKの大河ドラマ『新・平家物語』も全話を書いているのだから、この仕事のこなし方は超人的だ。

 50代に入ると、小説書きに専念。長らく作家と脚本家の「二刀流」を貫き、しかもいずれの分野でも成功した平岩弓枝。この事実はあまり知られていないが、もっと評価されていい偉業だろう(文中の平岩発言は、著書『私の履歴書』から引用しました)。