早いもので今年で没後十年になる。七十歳で亡くなった市川森一は、『ウルトラセブン』『傷だらけの天使』『黄金の日日』ほか、昭和の人気テレビドラマを手がけた脚本家である。なかでも傑作が、TBS系の『淋しいのはお前だけじゃない』で、大学生だった私は、このほろ苦い大人のおとぎ話に夢中になった。

 この作品は、一九八二年に全十三回放送された。非道な手口で借金を取り立てる沼田(西田敏行)と、彼から逃げる債務者たちの物語で、そのころ社会問題になっていた「サラ金」を取り上げたのが目新しかった。さらに斬新なのが、大衆演劇の女座長(木の実ナナ)と役者(梅沢富美男)に出会った沼田が旅回りの一座を組み、借金を返してもらうために、債務者たちを役者として働かせるところだ。また彼らが劇中で演じる『四谷怪談』『雪の渡り鳥』などの出し物が、彼らの心情、置かれている境遇と重なるように作られた脚本も秀逸で、ウソとマコトが交錯する世界が、光と影を巧みにあやつった映像美で描かれた。

 脚本の市川、そして「イチローさん」こと演出プロデュースの高橋一郎(当時TBS・故人)とは、のちに書籍やCDを一緒に作る機会に恵まれた。さらに新作ドラマの打ち合わせに呼んでもらったり、スタジオ収録や編集作業を見学させてもらうなど、貴重な時間を共に過ごした。もちろんこの『淋しい~』の裏話も、折にふれて聞くことができた。

 物語の分岐点となるのが、取り立て屋の沼田が、借金を背負った者たちを劇団に引きずりこむ第四話だ。沼田が仕事を替えて観光業を始め、今までの罪ほろぼしにと、債務者たちを千葉県のホテルに招待する。到着すると、ホテルで芝居を見せている旅回りの一座が困り果てていた。役者が逃げ出して、舞台の幕が開かないというのだ。同情した沼田が債務者たちを誘い、代役を務めた。しかも債務者たちが、悪役の沼田をこらしめるという展開である。彼らは我を忘れて憎き沼田をいたぶり、溜まっていたうっぷんを晴らした。もちろんこれは、彼らを一座に引き入れるために沼田と女座長が仕組んだ罠である。

 芝居の経験がない債務者たちをいかにして舞台に立たせ、演じる喜びを知ってもらうか。この第四話は、ありえない話に真実味を持たせ、視聴者をフィクションの世界へ誘う重要な回だ。ところが演出の高橋いわく、脚本の市川はその前で筆が止まり、悩んでいたという。「沼田がみんなを無人島に連れていく案も出たが、発想が飛躍しすぎて乗れませんでした」。市川は、脚本を書く前に市販のノートにアイデアなどを書き留めており、運良く『淋しい~』のそれが残っていた。ノートを保管する美保子夫人が快く現物を見せてくださったが、残念ながら、第四話の脚本を書くにあたっての試行錯誤は記されていなかった。

 美保子夫人は、伊丹十三監督の映画『マルサの女2』『静かな生活』などで好演した俳優でもある。そこで尋ねてみた。私生活でつらいことがあったときに、仕事で演技をすると気持ちに変化はありますか、と。「やっぱり気分転換になりますよ。撮影が終わると不安や悲しみが和らいだり」。別の人物になりきることで自らを解放し、心が軽くなる。その感覚は芝居を演じるだけでなく、今でいえば、コスプレやオンライン・ゲームでも味わえるものだろう。そうして誰もが共感できるように作られた第四話は、お見事というしかない。

 先の創作ノートには、ほぼ一話ごとに場面、登場人物とその行動が簡潔に書かれていた。「ハコ書き」と呼ばれる脚本の作り方である。またいくつか記されたセリフは、映像化された際に、印象的な場面で使われたものばかりだった。実例を二つあげてみよう。

 人をだまして警察に追われる老婆マリアが、自分を生き別れた母と信じる沼田に、涙をこらえて今生の別れを告げる。「あの世では、しみじみなつかしいだろうねえ。この世であったいろんなことが……」(第十一話)。

 女座長と今や役者の債務者たちに、法外な高利で金を貸したのが、裏社会にも通じる、金融会社社長の国分(財津一郎)である。同情から連帯保証人になったはいいが、ついに万策尽きて金を返せなくなった沼田は、宿敵の国分を倒す奇策を思いつき、座員たちに決意を伝える。「国分に死んでもらう。ドスでも鉄砲でもない。芝居で殺す」(第十二話)。

 ノートによると当初、最終回では親子の情愛を描いた名作『瞼の母』を、劇中劇で取り上げる予定だった。沼田と母の再会と別れから、国分への逆襲へとなだれこもうとしたのか。実際の最終回では、痛快な逆転劇がくり広げられた。追い詰められた沼田と座員たちが休日の病院に忍びこみ、医者や技師に化けて国分の胃を検査したふりをして、末期ガンを宣告するのである。その背後に流れる軽やかな音楽は、大芝居を打って悪党をだます映画『スティング』の「ジ・エンターテイナー」。演出の高橋はこの作品が好きで、その前にも『高原へいらっしゃい』や、脚本の市川、主演の西田と初めて組んだ『港町純情シネマ』の「だまし」の場面で、この曲を使っていた。

 最終回の後半、ニセのガン宣告を信じて絶望した国分が、か細い声でひと言もらす。「淋しいッ!」。そして借金地獄から解放された沼田が、万感の思いをこめてつぶやく。「いい夢みたな……」。いずれのセリフも市川のノートに記されていた。その文字を見つけた瞬間、興奮のあまり声が出てしまった。俳優たちの演技も素晴らしかった、名ゼリフだからである。なお『淋しい~』は井上ひさし、丸谷才一ら識者が絶賛し、感動した多くの学生が、卒業後にテレビ業界へ飛びこんだ。その一人が、脚本家の三谷幸喜である。