成功した芸人やコメディアンには、彼らが無名のころからネタや知恵を授けた「専属作家」が、必ずいる。その中には、とんねるずを支えた秋元康のように、のちに新たな才能が花開いた人も少なくない。一方で、陰の立役者のまま表舞台から去った人も多い。1970~80年代に「視聴率男」と呼ばれた、コメディアンの萩本欽一。その欽ちゃんにも、のちに姿を消した「専属作家」がいる。

 萩本は坂上二郎とコント55号を結成し、1960年代の後半に人気を得た。その彼らが演じたコントを、なんと2,000本あまりも書いたのが、岩城未知男という青年である。

 1941年5月11日、東京都の生まれで、本名は陸男みちお。元判事の父は東大へ進むことを望んだが、日大の芸術学部に入学し、映画学科でシナリオを学ぶ。20歳のときに『週刊サンケイ』の俳句コーナーに応募し、佳作に選ばれる。作品は「はなひりて むれば暗く 音もなく」。作者の孤独が伝わる句である。なお、このとき俳号として、すでに「岩城未知男」を名乗っている。

 1965年3月に大学を卒業。渡辺企画の文芸部を経て、売れっ子コント作家のはかま満緒の門下生となる。そこで売れる前の萩本欽一と出会い、55号にコントを書き始めた。

 それまでのコントはダジャレ、流行語、身体の動きで笑わせることが多かったが、55号のコントは全く異質だった。岩城いわく、最も大切にしたのは「笑劇と云えるような、きちんとした役柄設定と、ストーリー性のある寸劇を作ること」だった(『放送文化』1970年5月号より)。

 当時の岩城をよく知る、ベテラン放送作家の大岩賞介さんに話を聞いた。氏は萩本欽一の座付き作家を経て、明石家さんまの出演番組のほとんどに参加。現在は、日本テレビ系の『踊る! さんま御殿!!』『世界まる見え! テレビ特捜部』などの構成を手がけている。

「ぼくは大学を中退後、はかま満緒先生の運転手として雇われたが、なぜかコントを書くことになりまして、先輩の岩城さんから書き方を教わりました。岩城さんが特に得意だったコントは、善良で常識人の坂上二郎さんが、狂気を秘めた萩本さんと出会うことで、異常な状況に引きずりこまれるものでした」

 コントを書くにあたって、岩城が助言した。

「O・ヘンリーの短編小説と、アリストテレスの哲学書を読め、と。それから、喜劇と悲劇は表裏一体だよ、とも言われました」

 良いコントは、良いドラマである。岩城はそうも言ったそうだが、確かに55号のコントには、上質な「短編小説」のように、起承転結があるストーリーを圧縮した濃密さがあった。さらに「哲学書」のように、人間の本性を見つめるような深さもあった。

 では、岩城はどんな人物だったのか。

「とても照れ屋で、社交的ではなかったが、会えば冗談ばかり言って、周りを笑わせていた。芝居がかったいたずらも、しょっちゅうやったし。落語が好きで、噺家の物まねもよく演じてました。ところが、テレビ番組の作家会議でもその調子で、真剣に仕事をしてくれないことも多くて。人生はすべてシャレ。そんな風にも見えたが、本心はどうだったのかな」(大岩さん)

 無名時代に都内の浅草で芸を身につけた萩本欽一。その萩本について、のちに岩城は告白している。「軽演劇のメッカと言われた時代の、浅草の空気を知らないことに対する、私のコンプレックスが、彼との間に溝を作っていた」(岩城が取材構成した萩本の著書『「笑」ほど素敵な商売はない』より)。55号のために身を粉にしてコントを量産する一方で、岩城は迷いを心の奥に抱えていた。そうした真の姿を周りの親しい人たちに悟られまいとして、あえて道化を演じたのだろうか。

 その後の55号は個人での活動が増え、岩城はコントを書かなくなった。だが50代に入って、突如として活動が盛んになる。

 まずは、萩本が企画した映画『欽ちゃんのシネマジャック』シリーズのために、脚本を3本執筆。その内の「生きる」と「食べる」では、欲深い人々がくり広げる悲喜劇を描いた。

 さらに、文芸誌『海燕』の1993年5月号に、読み切り小説『ナイケンの妻』を発表。主人公の中年男は、妻と共にマンションから引っ越すことになり、空き物件を探す男が、部屋を見学に来る。同行した妻君の顔を見ると、元恋人にそっくり。だが女は平然としており、男は密かに不安を募らせる。この物語でも、笑いと哀しみが一体となっていた。

 放送作家になった直後、岩城はいずれ書きたい作品を問われて、こう記した。「本格的な大人の喜劇。ただし自分が本格的な大人になるまでは、バカスカと青臭い物を書きまくる」(1966年度『放送作家年鑑』より)。紹介した映画と小説は「大人の喜劇」を書くための第一歩だったはずだ。だが残念ながら、その後の足取りがつかめなくなってしまう。

 ちょうどそのころ、岩城と言葉を交したことがある。私は子供のころ55号が大好きで、入手困難だった岩城の著書『コント55号のコント』が欲しくて、手紙を書いて送った。すると、当人から電話がかかってきて、本を差し上げたいが、もう手元に1冊もないと、ていねいかつ誠実に詫びてくれたのだった。

 今回、手を尽くして調べたが、岩城の所在も、存命かどうかも判明しなかった。大岩賞介さんも、わからないという。「今ごろどこかの街角で、占い師なんかやっていそうですよ」。幻の名コント作家、岩城未知男。健在であれば、今年で82歳である。