あの二人組が帰ってくる。しばらく個人活動の多かったとんねるずが、来る11月、29年ぶりに都内の日本武道館でコンサートを開くのだ。

 彼らの人気を決定づけたのが、1988年に始まったフジテレビ『とんねるずのみなさんのおかげです』。特に『仮面ノリダー』のコーナーはちびっ子に好評だったが、大人にとっても楽しい時間だった。本家の『仮面ライダー』で「おやっさん」こと立花とう兵衛べえを演じた小林あきが、同じ役柄で毎回出演してくれたからである。

 氏は1930年生まれ。日本大学を卒業すると劇団俳優小劇場に参加し、演技の基本を身につける。主にバイプレーヤーとして活躍したが、忘れがたいのが『ウルトラマン』『仮面ライダー』という、今も新シリーズが放送されている「昭和の二大特撮ドラマ」に出演したこと。しかもどちらの作品でも、悪と戦う若きヒーローの良き理解者を好演したのだ。

 その小林さんに取材したのは、1990年4月。『ノリダー』のレギュラーシリーズ終了から、三週間後だった。

 氏がコントを演じるのは初めて。しかも相手役のとんねるずは、本番で台本にないこともしゃべるので、当初は神経を使ったという。

「ふつう僕たち役者の仕事は、台本に無い事が起きると、すぐにカットがかかります。ところがあの番組は(カメラを)回し続けて、見ている皆さんはそれが面白いんですよね。僕はいつも台本に忠実でしたけど、とんねるずの二人が何を言うのかは、分からなかったですね(笑)」(『実相寺昭雄研究読本』より。取材構成は筆者と柴崎俊一)

 とんねるずは小林さんの演技術を尊重し、その場の思いつきでムチャブリをすることは、決してなかったそうだ。

 とんねるずは、生まれたときから身近にテレビがあった最初の世代。いわゆるテレビっ子の元祖である。主演した『みなさんのおかげです』でも、『仮面ライダー』を筆頭に、自分たちが子供時代に好きだった番組の数々を、ギャグをまぶしつつ再現していた。

 リーダー格の石橋貴明は、幼いころから「テレビは完全に友だちだったから」と語り、番組に出るときも「テレビの枠の中で遊んでるって感じを、オレらは自分ですごく大切にしてるんだけど」とそのころ発言している(『広告批評』86年3月号)。石橋も相方の木梨憲武も、『みなさんのおかげです』では企画会議にいつも参加してアイデアを出し、自分たちが納得しないネタはやらなかった。『ノリダー』も木梨の発案で始めたもので、彼が主人公の仮面ノリダーに扮し、石橋が演じる怪人たちと毎回戦い、そして倒した。

 このコーナーを始めるにあたり、オリジナル版に出演した小林さんに白羽の矢を立てたのも、彼らである。当初は出演に難色を示したが、何度も熱心に説得して、ついに引き受けてもらったという。

『ノリダー』で小林さんが演じたおやっさんは、喫茶店アミーゴのマスター。悪の組織によって超人(仮面ノリダー)に変身する能力を与えられてしまった木梨猛を支え、悩みがあれば相談に乗った。ここまではオリジナル版と同じだが、新たなキャラクターも足された。猛にしばしば冗談を飛ばしてすべったり、芸能人のサインを集めるのが趣味だったり、リウマチの持病があったり、ちょっと女好きだったり。『仮面ライダー』のときより人間味があるおやっさんになっていた。

 さらに登場人物の性格だけでなく、映像の撮り方ほか細かな描写にも、オリジナル版への愛着が宿っていた。『仮面ライダー』の原作者である石ノ森章太郎も、『ノリダー』を「何度か見ましたが、よくできたパロディーですね。原点に戻って作っている印象を受けます」と評価。パロディー化されることは「ちょっとくすぐったかったけど、嫌な気はしなかったな」と語っていた(『週刊TVガイド』89年2月11日号)。


 当時の小林昭二さんは59歳。『ウルトラマン』や『仮面ライダー』に出演したときと同じく、共演者のなかで最年長だった。
 では、どんな人柄だったのか。東映テレビ部の平山亨プロデューサーは、放送局で小林さんのある姿を目にして、『仮面ライダー』ヘの出演を持ちかけたという。


「楽屋でウルトマンの科学特捜隊の若い人達の中にいる小林さんの姿に、ああ、この人は、ただ役の上での隊長だけではなく、皆をまとめて番組の成功に貢献している、名実ともに隊長のような人なんだなあと、その人柄に惚れ込んでしまった」(平山氏の著書『仮面ライダー名人列伝』より)

 ほかにも多くの共演俳優が似たような証言を残しているが、小林さんは『ノリダー』の収録現場でも、年若いとんねるずや制作スタッフから、信頼を得ていたにちがいない。

 その後、北野武監督の映画『みんな~やってるか!』に出演。演じたのは地球防衛軍の隊長で、ハエ男を撃退するために、アホらしいほど奇抜な方法を考え出して、これを見事に成功させた。映画自体はナンセンスな喜劇だったが、小林さんはここでも観客を笑わそうとはせず、気まじめな芝居を見せた。

 今も語り継がれるテレビ番組にいくつも出演できたのは、単なる偶然。そう小林さんは私に語ったが、「子供向けだから」という理由で番組出演を断ることはなかった、という。この懐の広さ、実にすばらしいではないか。テレビっ子にも共演者にも愛されたおやっさん。亡くなったのは66歳であった。