あれは中学3年生のころだったか。興味をそそられたが、悩んだ末に観なかった映画があった。イタリア映画の『愛の嵐』である。演出家で作家の故・久世光彦ほか、多くの著名人に愛され、今も新たな信奉者を生み出している作品である。

 物語を貫くのが、ある男女のゆがんだ恋愛で、戦時下の欧州を舞台にして描かれた「背徳」は、少年の私には理解できるはずもなかった。だが、大学に入ってから映画館で初めてこの作品を観て、ナチス親衛隊員との禁断の愛欲に溺れるユダヤ人少女の、退廃的なたたずまいに魅せられてしまった。細くて折れそうな裸身。哀しみを秘めた薄笑い。時に冷酷な眼差し。演じたのは英国出身の女優、シャーロット・ランプリングである。

 映画の日本公開から10年後の1985年。『愛の嵐』のカップルが、ドキュメンタリー番組で再び共演した。題名は『ルーブル美術館』で、制作はNHKとフランスのテレビ局。パリのルーブル美術館が所有する名品の数々を、13回に分けて紹介する大型企画だ。

 スタッフとして参加したNHKの斎藤陽一さん(現在は美術ジャーナリスト)に、番組の成り立ちを尋ねた。氏いわく、企画はフランスのテレビ局がNHKに持ちこんだものとのこと。その時点で、毎回「案内役」として有名俳優が出演することとその顔ぶれを含め、内容の大枠は決まっていたという。

 出演俳優はフランスの名花ジャンヌ・モロー、アメリカのデボラ・カーらで、日本から島田陽子と中村敦夫が参加。彼ら男女が毎回2人ずつ登場し、美術品を鑑賞しながらしゃれた会話を交わした。その第3回と10回に出演したのが、ランプリングと、『愛の嵐』でナチス親衛隊員に扮したダーク・ボガードだ。

 第3回に、ルーブルの館内を歩くボガードを、カメラが後ろから追う場面がある。背後から静かに近づくランプリング。次の瞬間に彼女が、後ろで組んだボガードの両手に、そっと右手を添えたではないか。2人の親密さが伝わる仕草であり、さりげなく手に触れたところが、2人の関係をいろいろと想像させる。まるで恋愛映画の一場面のように美しく、2人が親しげに歩く姿は、『愛の嵐』の悲劇的なラストシーンに重なって見えた。ランプリングは、10代からファッションモデルとしても活躍。その経験が、おのれの肉体を使った表現に磨きをかけたにちがいない。

 ランプリングが25歳年上のボガードと共演するのは、これが3度目。2人は出会ってすぐに意気投合し、付き合いを深めた。『ルーブル美術館』を撮ったころのボガードは、作家業に専念していたが、相手役がランプリングだから出演を引き受けたのだろう。

 ランプリングは『愛の嵐』がそうだったように、映画では「悲運の人」を演じることが多く、決して明るいイメージはなかった。ところが、動画投稿サイトで近年のインタビュー映像を見ると、冗談を飛ばしたり、声を上げて笑ったり、質問者に逆に問いかけるなど、その素顔は気さくで、ユーモアもある。そんな彼女の愉快な一面を味わえるのが、『ルーブル美術館』の第10回である。

 とある絵画の前に置かれた長椅子。そこにランプリングが、細くてまっすぐで長い両足を投げ出して、座っている。行儀は悪いが、当人は気分が良さそうだ。すると次の場面では、その椅子の真横にある長椅子に、ボガードがランプリングと同じ姿勢で、しかも向かい合わせに座っているではないか。

 果してこの場面と、2人が手を重ねた第3回の場面は、どのように誕生したのか。

 ボガードはランプリングについて、彼女の写真集に寄せた長いエッセイでその外見の美しさを絶賛した上で、こう書いている。

「彼女は、セックスシンボルとしての自分の資質を知っているが、カメラの前では、自らの官能性を巧みに抑える。だが、くすぶっている燃えさしは、必ず目立ってしまう」

 かたやランプリングは、ボガードについて「彼は決して聖人君子ではなく、むしろ不道徳で、おちゃめだわ」と語っている。

 どうやら手を重ねた場面の「官能性」も、長椅子の場面における「おちゃめ」さも、2人の内面から自然に出たものらしい。つまり、それらは台本に書かれたものではなく、撮影現場でのひらめきを形にしたものなのだ。そのことを本人に確かめたい。だがボガードはすでに故人で、ランプリングには所属事務所にメールで質問したものの返信がなく、演出したフランス人男性は消息がつかめなかった。

『ルーブル美術館』第10回のおしまいで、画家レンブラントの、老いてくたびれた素顔をさらけだした自画像が登場する。それを目にしたランプリングは感動し、その理由を、作者は「自分の顔や肉体が衰えていくのを、ごまかすことなく見つめている」と述べた。

 その後、60代になった彼女は映画『まぼろし』などに主演し、俳優として再び評価された。それらの作品では、晩年のレンブラントと同じく、自らの「老い」を隠さず見せた。しかも裸身をさらすことも多く、63歳の時には、プロ写真家の求めに応じて、ルーブル美術館の収蔵品で最も有名な「モナ・リザ」の真横に全裸で立って写真を撮り、良識派を怒らせた。その写真を見て、フランス映画の『はなればなれに』を思い出した。若者3人がルーブル美術館の中を全力で駆け抜ける場面があり、「若さ」が歴史や伝統を蹴散らすように見えて、痛快だったのだ。

 ランプリングは、若者文化が花開いた1960年代に青春を送った。世間に迎合せず、自由を愛しつづける彼女の魂は、今も若い。