誰にでも人生の節目がある。去る10月に76歳で亡くなった西田敏行さんも、例外ではない。まだ名もなき役者だったころに出演し、一夜にして知名度を上げたテレビドラマがあるのだ。26歳でゲスト出演した、TBS制作の『私という他人』である。

 西田さんは、22歳で新劇の劇団青年座に所属。小柄で二枚目ではないが、声がよく通って眼光鋭く、何よりも芝居がうまかった。舞台に立ちながらドラマにも出演したが、もらう役柄は小さなものばかり。「でも、ほんのひとこと、一シーンで勝負してきたから、あの時代はおもしろかったですよ」(『映画情報』1977年4月号)とは本人の弁だが、もっと売れてみせる、と密かに誓っていた。

 今から30年前に、その西田さんとじっくり話したことがある。同席したのは、西田さんが特に信頼したドラマ演出家の高橋一郎さんと、某社の編集者。当日の目的は、書籍の企画を西田さんに提案することで、幸いこの名優は協力を約束して下さった(のちにその企画は、惜しくも出版社の事情で流れた)。その後、全員で都内赤坂の小さな居酒屋へ移動し、軽く飲みながら雑談に花を咲かせた。

 本の企画を煮詰めるなかで、高橋さんが貴重な映像を入手してくれた。そのビデオテープの中身は、西田さんが売れる前に出演したドラマの数々で、そこに収められていたのが『私という他人』だった。

 放送期間は1974年1月から4月まで。初回の脚本を書いた矢代静一は高名な劇作家で、西田さんの初主演舞台『写楽考』も手がけて、その演技力が初めて世間に認められた。その矢代の推薦により、『私という他人』へのゲスト出演が決まったという。

 当時の超売れっ子だった三田佳子が演じる主人公の純子は、控えめで貞淑な主婦である。しかし夫が家を留守にすると、彼女は色っぽい服に着替えて夜の街へくり出し、男を誘う淫らな女、ジュンに変身してしまう。実は純子は多重人格者だった。そのことに気付かぬまま、奔放なジュンに惚れたジョージ吉武を、西田さんが演じた。ジョージは場末のナイトクラブで演奏する、しがないサックス吹き。店に客として来たジュンと親しくなり、同棲生活を始めたが、わずか一週間で彼女は姿を消してしまう。

 西田さんの出演は第4回と10回。前者の放送当日の新聞には、出演者の欄に氏の名が9番目にある。たぶん自身の名前がテレビ欄に載った最初だろう。とはいえいずれの回も出番は少なく、セリフもわずか。だが、その場面をビデオで初めて見て、西田さんが全身から放つ「熱気」に圧倒された。そのことを本人に伝えると、当時の心境を明かしてくれた。

「あのドラマが放送されたのは、人気役者の登竜門だった、TBSの『金曜ドラマ』ですからね。そこから声がかかった喜びと気負いを感じつつ、何としても印象に残る芝居をしようと意気込んでいましたよ」

「金曜ドラマ」は大人に向けて作られた連続ドラマの枠。プロデューサーも演出家もTBSの社員で、視聴率を稼ぐこと以上に、作品の質の高さを追い求めていた。
 では、西田さんはどんな芝居をしたか。国会図書館所蔵の台本と映像を見比べてみた。

 まずセリフだが、意外にもほぼ変えておらす、「アドリブの名手」と呼ばれるのは、もう少し先の話である。またジョージ吉武はいつも「派手な身なり」と書かれており、西田さんは極彩色の服を身にまとい、かけているメガネのレンズが奇妙な形をしている。当時の言葉でいえば、見た目はヒッピー風である。

 演技で目立つのは、いつもへらへらと薄笑いを浮かべて「軽薄な遊び人」に見せていること。さらに、いきなりジュンの家へ押しかける場面では、復縁を迫ろうと彼女に襲いかかるところを鬼気迫る表情で演じており、彼の粗暴な一面が強烈に伝わってくる。

 最大の見せ場は、クラブのフロアーの中央で、ジュンと向き合って一心不乱に激しく踊る場面だ。西田さんは手足の動きがなめらかで、リズム感も抜群。のちの主演映画『ゲロッパ!』などを見ても感じたが、この名優は実に踊りがうまい。なお台本には「サックスを吹きながらステップを踏む」とある。しかし、これでは自由に動けないと考えたのだろう、本番ではサックスを持たずに踊っている。ちなみにジュン役の三田佳子は、西田さんの逝去を受けて自身のブログに追悼文を書き、そこに西田さんとのダンスの写真を添えた。彼女にとっても思い出深い場面なのだろう。

 ジョージ吉武は「横浜で暮らすバンドマン」という設定。それゆえに「久しぶりじゃんかよ」などと、語尾に地元の方言の「じゃん」を付けて話したり、タバコを一本ねだるときに「悪いけどタバコ関係、面倒見てくれる?」と、会話にバンドマン用語が交じる。西田さん自身は生まれも育ちも福島だが、ここでは「都会人」になりきっており、見事である。

『私という他人』での演技は放送業界で話題になり、西田さんいわく、直後から一気に仕事が増えたという。調べてみると、確かにその年だけで5本の連続ドラマにレギュラー出演。その内の『おんな家族』(TBS系)での役名は「熊谷ジョージ」で、明らかに『私という他人』を意識している。また、この作品で気弱な神父に扮した西田さんは、初めて本格的にコミカルな芝居を披露。その才能は、6年後に連続ドラマ初主演を果たした『池中玄太80キロ』(日本テレビ系)で大きく花開き、国民的スターの座を手に入れる。そのあたりの話は、またの機会に。