ユーミンこと松任谷由実が、デビュー50周年を迎えた。それに合わせて発売されたベストCDが、オリコンのヒットチャートの1位に輝くなど、その人気は衰えを知らない。

 順風満帆に見える彼女の歩みだが、旧姓の荒井由実で世に出てからの数年間は、苦戦がつづいた。レコードが売れないので、テレビの音楽番組にも呼ばれない。しかも、そのころは歌謡曲が圧倒的に強く、彼女のような自作自演のシンガーにテレビ出演の機会が与えられることは、無きに等しかったのだ。

 そんな時代にあって、ロック、フォークなど、歌謡曲以外のシンガーやバンドに積極的に声をかけた、珍しいテレビ番組があった。1972年から始まったTBSの『ぎんざNOW!』である。当時、中学生だった私はこの番組の大ファンで、好きが高じて『テレビ開放区 幻の「ぎんざNOW!」伝説』という本を書き、3年前に上梓した。

 多くの関係者を取材するなかで、無名時代のユーミンが、この番組に出演したことを知った。コーナー名は「あなたが選ぶ明日のスター」で、まず数名の新人歌手が持ち唄を披露し、著名な音楽業界人たちが審査する。そして最も評価の高い1人だけが次週も歌うことができ、さらに勝ちつづければ、レギュラー出演の機会が与えられるという企画だ。

 このときユーミンは20歳で、発売されたばかりの新曲「きっと言える」を、ほかの出場歌手と同じく、カラオケで歌ったという。初のレコードを出してから1年半が経っていたが、テレビ出演はまだ数回目。しかも生放送で、目の前には多くの観客がいる。そのときの映像も写真も残っていないが、緊張のせいで歌声が震えていたにちがいない。

 さて審査の結果だが、なんと1週目で落とされてしまった。担当プロデューサーの氏家好朗さんに、そのときの様子を尋ねた。

「審査員は有名作曲家、オリコンの小池聰行社長、それに各レコード会社のディレクターもいたかも知れません。ユーミンが落とされた理由は、ひと言でいえば、テレビ向きではなかったからです」

「のちにあんなに売れるとは……」と驚きを隠せない氏家さんだが、ほかの出演者はいわゆるアイドル歌手で、今から思えば、音楽性で勝負するユーミンには場違いな企画だったのだ。だが彼女は売れる前で、仕事を選べる立場になかった。また彼女は元々、作曲家を志したが、周りの勧めで歌うようになった。つまり、当時は歌うことに対して、まだ自信や興味が持てなかったのである。

 では、ユーミンはこの公開オーディションをどう感じたのか。演出の高木鉄平さんは、8年後の1981年に、彼女のコンサートを映像収録する仕事に携わった。当人は、すでに売れっ子のアーティストに成長していた。

「ユーミンに『あなたが選ぶ明日のスター』のことを尋ねました。ぼくにとっても、忘れられない出来事だったので。すると彼女の反応は、覚えているような、そうでないような感じでしたね。彼女は、コンテストで一所懸命歌うタイプではなかったから、記憶が薄いのかもしれません」

「あなたが選ぶ~」からしばらくして、ユーミンは再び『ぎんざNOW!』に呼ばれた。ところが、またもや事件が起きた。演出は酒井孝康さんである。

「『今週の唄』として毎日、番組の最後に新曲を歌ってもらいました。ところがぼくが担当した日に、前のコーナーが長引いてしまい、ユーミンが歌い出したとたん、時間切れで放送が終わってしまったんです」

『ぎんざNOW!』は生放送で、しかも新人歌手はいつも最後に歌う。果たして放送内に歌が入りきらないことも多く、その歌手は、さぞかし悔しい思いをしただろう。

 その後のユーミンは、明るいロックンロールの『ルージュの伝言』が少し売れ、次に発売した『あの日にかえりたい』が、初めてヒットチャートの首位を獲得した。

「ちょっと手をのばせば届くような優雅さを、歌いたい」(『話の特集』1975年1月号)

 そう語ったユーミンは、理想とする「中産階級サウンド」を作り上げ、快進撃をつづけた。

『ぎんざNOW!』総合プロデューサーの青柳脩さんは、ほとんどテレビに出なくなっていた彼女にまた出演してほしいと思い立ち、所属のレコード会社に頼みこんだ。

「ところが、やっと出演が実現したのに、本番でユーミンが歌い始めたら、運悪く臨時ニュースが入り、画面が切り替わってしまった。のちに彼女から、冗談っぽく言われましたよ。私がテレビ嫌いになったのは、青柳さんのせいだよって」

 その後のユーミンは、さらにテレビから距離を置き、レコード制作とコンサートに力を入れて、着実に人気を高めた。「あなたが選ぶ~」への出演から2年後に、記者からテレビに出ない理由を問われて、こう答えている。

「出たい(と、ごく素直に)。でもたった1曲しか歌わないのに、一日中しばられるのがイヤなの。一日あったら、たくさん曲が書けるもん(中略)。でも何曲も歌わせてくれるなら、テレビに出る」(『週刊プレイボーイ』1975年12月16日号)

 歌手がテレビ局で歌う場合、新人ほど長い時間、拘束される。それをよしとせず、あえてテレビへの出演を控える道を選んだ若き日のユーミン。当時の地上波テレビの影響力は絶大で、決断が裏目に出る危険もある。だが、彼女は賭けに勝った。自らの才能を信じ切れる強さが成功を呼びこみ、そして今日の地位を築いたのである。