今から半世紀前に、日本全国で「超能力」が大ブームになった。火付け役は、イスラエル出身の青年ユリ・ゲラー。彼が日本テレビの『木曜スペシャル』に出演し、カメラの前で不思議な現象を次々に引き起こしたのだ。では、この無名の若者を一夜にして時の人に変えた番組は、いかにして作られたのか。

 企画と演出は日本テレビの矢追純一。生まれは1935年で、ドラマ演出を経て、成人男性向けの深夜番組『11PM』を担当した。そこで出会ったのが、先の番組の台本を書いた、放送作家の羽柴秀彦である。

 羽柴さんは矢追の3歳上で、わが国でテレビ放送が始まった直後から、情報番組やドキュメンタリー番組などの制作に加わった。ご当人に都内の自宅で話を聞いた。

「ぼくを『11PM』に呼んでくれたのは、担当プロデューサーだった日本テレビの石川一彦さん。彼もぼくも慶應大学卒で、学生時代から親交がありました。矢追くんは『11PM』のころからUFOや超能力を好んで取り上げ、その台本をぼくが書きました」

 なぜ矢追は、当時はなじみの薄かったUFO(未確認飛行物体)に注目したのか。

 そのころの日本は高度成長期で、大人たちは、暮らしが楽になると信じて必死に働いたが、その代わりにゆとりを失っていた。矢追は思った。「このままいったら日本人はいずれ行き詰まっちゃって、精神がおかしくなったり、争いが激しくなるんじゃないかと思った時に、空を見せる番組を作りたくなった」
(『WIDE SHOW 11PM 深夜の浮世史』より)

 ユリとの出会いは偶然だった。仕事でニューヨークを訪れた際に、たまたま出会った彼の秘書を介してユリと対面。その場でパイプの7つ道具を曲げて見せたという。「これはスゴイ! ぜひ日本でも紹介したいと思った」(前述の本より)。矢追はすぐに上司から許可を取り、74年3月、『木曜スペシャル』にユリを出演させた。なお、このとき羽柴さんは、ユリが不正をしていないことを確かめる証人として、画面にも登場した。

 番組では、まずユリが9日前に日本テレビのスタジオで実演した、4つの「奇跡」を紹介。1つ目はある女性に絵を描いてもらい、その様子を見ていない別室のユリが、何の絵を描いたかを言い当てた。2つ目は、10個ある缶の1つに入れたカギを、透視して見つけた。3つ目は金属製のスプーンを指先で軽くなでただけで曲げ、さらに切断した。

 その直後に番組は生放送に切り替わり、司会者が視聴者に呼びかけた。

「壊れて動かない腕時計があったら、ご用意を。のちほど現在、旅先のカナダにいるユリが、電話を通して、みなさんに念を送ります。その時刻は、8時35分です」

 時刻を決めたのは、羽柴さんである。

「例えばもし『8時』と指定したら視聴者が忘れやすいので、より集中できるように工夫しました」

 時計の針が8時35分を指した。直後にスタジオに置かれた多くの電話が鳴り出し、視聴者から「私の時計が動き始めました!」という報告が、次々に舞いこんだ。ユリの超能力のなせる技か!?

「いえ、偶然ですよ。なにしろ当日は、数千万人があの番組を見ていたわけです。針が止まった腕時計を手に取れば、弾みで針が再び動くこともあるでしょう。だからといって、それがユリの超能力の全てを否定するものではないですが」

 番組ではユリを「世紀の念力男」と紹介。だが、彼が見せたいくつかの奇妙な現象が、超能力によるものか否かは断じていない。

「ぼくは元々ジャーナリスト志望で、ユリの存在もスプーン曲げも、世間に伝えるべき情報と考えました。だから彼が超能力者かどうかは、こちらで判断しなかったのです」

 番組は大きな反響を呼び、朝日新聞ほか多くのメディアが、ユリをペテン師扱いした。だが、私のように番組を見ていた当時の子どもにとって、大人たちの論争には関心がなかった。テレビでスプーン曲げを目撃して腰を抜かし、興奮した。そして、すぐに台所からスプーンを持ち出して、指でこすってみた。それだけで十分に楽しかったのである。

 その後も矢追は『木曜スペシャル』で、驚天動地の企画を次々に実現した。猿と人間の中間にある染色体を持つという謎の生物、オリバー君。ニューギニア沖で引き揚げられた、ネッシーを思わせる巨大な死骸。そして、世界各地で目撃されている空飛ぶ円盤……。いずれの番組も、矢追が現地取材で得た情報を羽柴さんが台本に仕立てたが、2人の共同作業は10年ほどで終わりを迎えた。

 羽柴さんいわく、矢追とは仕事での付き合いだけだったが、彼は一般常識を超えたものが性格的に好きだったとか。また彼のすぐれた点は「対象に同化することができるというんでしょうか。ユリ・ゲラーとつき合っていれば、いつの間にかユリ・ゲラーそこのけの超能力者となってしまう。宇宙人とつき合っていれば、自分も宇宙人になっちまう(これは、アダ名だけの話ですが)」ことだと書いている(「面白半分」79年5月号より)。

 矢追は51歳で日本テレビを退社し、のちにUFO研究の第一人者に。かたや羽柴さんは、『木曜スペシャル』の成功に感化された各局が新たに設けたスペシャル番組枠で、休みなく娯楽ドキュメンタリーを作りつづけた。たった1つのテレビ番組から始まった超能力ブーム。のちにオカルト文化が日本に根付くきっかけになった、という評価もある。