劇団に所属する俳優の卵である紘子(常盤貴子)が、たまたま出会った新進画家の晃次(豊川悦司)と恋に落ちた。幼いころに聴力を失った晃次。紘子は手話を覚えて想いをぶつけるが、彼は心を開こうとしない……。

 1995年放送の『愛していると言ってくれ』(TBS)は恋愛ドラマの名作で、福山雅治も、自分が主人公を演じたかったと思うくらい感動した、と先日語っていた。だがその舞台裏では、出演者とスタッフが「もう一つの熱いドラマ」をくり広げていたのだ。

 TBSの貴島誠一郎プロデューサーが、新人脚本家の北川悦吏子に声をかけた。その3年後、北川から連続ドラマの企画が持ちこまれ、貴島がこれに乗った。のちに『愛している〜』へ発展する企画である。だが、主演候補の男優に出演を頼んでも次々に断られ、そのたびに内容の見直しを迫られた。放送開始まで半年。あとがない状況で出演を持ちかけたのが、当時32歳の豊川悦司だった。

 それまでの豊川は、小劇団の一員として10年ほど舞台に立ち、独立後は数本の映像作品に助演。ところが連続ドラマの場合、収録と脚本作りが同時進行のため思うように役作りができず、不満が募っていた。「だからホンがない以上、こっちも企画からかかわらなきゃっていうのがあって」(武藤起一編『シネマでヒーロー』掲載のインタビューより)。

「ホン」とは脚本のことだが、豊川は『愛している〜』が連続ドラマ初主演という意気込みもあって、当初から、作品の内容についてスタッフと激論を交わした。

 豊川は最初にある提案をした。ヒロインの紘子は耳が聞こえない。スタッフはそう描こうと考えたが、耳が不自由なのは自分が演じる晃次の方がいい、と言うのだ。「女の子を聾唖にするっていうのは、よけい女の子をかわいそうにして、泣かせるってことでしょう」(のちに発売された同ドラマの脚本集に載った、北川悦吏子がつづった制作日誌より。以下、*印はこの日誌から引用)。

 恋愛ドラマにありがちな人物の描き方を嫌った豊川。プロデューサーの貴島は頭を抱え、北川も困り果てた。「聾唖の常盤さんを守るカッコイイ豊川さん、と考えていたので」(*)。だが北川は、そこで闘争心に火がついて奮起し、提案を受け入れたのだった。

 かつて北川は、映画会社の社員として映画やドラマを立案していた。脚本家になってからも企画力には定評があったが、当時はストーリーを考えるのが得意ではなかった。果たして脚本作りも、北川を中心にして、貴島、豊川、演出担当を交えて行われた。「プロット(最終話までの流れ)を作る。OKが出ない。TBSの会議室で、朝方まで打合せをする。煮詰まる。豊川さんと、喧嘩みたいな感じになる。貴島さんびびる」(*)。現場の張り詰めた空気が伝わる描写である。

 ドラマの内容が決まり、収録が始まった。

 晃次は紘子の想いを受け止め、相思相愛の仲になる。だが、晃次の元恋人が現れて彼に近づいたことで、紘子の心は乱れ、幼なじみの健一と一夜を共にしてしまう。この展開に決まるまでにも、くり返し意見が交わされた。

「健ちゃんと紘子が寝るか寝ないかで、みんなが頭を抱える。貴島さんも、寝させたくないという思いが芽生えて来たよう。紘子(常盤さん)も悩んでいる。うわーっ、どうすべどうすべ。パニック状態になる私」(*)

 その日の撮影が終わったあとも連日、早朝まで打ち合わせを続けた。睡眠時間はどんどん削られたが、豊川も必ず参加した。「そこまでやらなくてもよかったんですけど、やらないと気が済まなかったので(笑)」(前述の『シネマでヒーロー』より)。この場面で晃次はこんな行動は取らない。晃次に感情移入していた豊川は、おそらくそういう言い方で、北川らの意見に異を唱えたのだろう。

 9年後に雑誌「ドラマジェニック」で豊川と北川が対談し、当時を振り返っている。

 連夜の議論について豊川は「けっこう激しかったですよね。まだメールのない時代だったから、本当に晃次と紘子みたいに、ファックスでやりとりして」と言うと、北川は「そうそう! 楽しかったなあ、あれは」と懐かしんだ。北川いわく、豊川がファックスに書いた印象的なひと言を、セリフとして取り入れることもあったとか。また貴島は、北川について「自分の考えをはっきりおっしゃるんです。それでいて険悪になることがない」と語り、自分の作品を客観的に見られる冷静さを讃えた(「ドラマ」1996年5月号より)。

 二番手の演出担当だったTBSの土井のぶひろは、『愛している〜』の撮影現場で心がけたことがある。「やっぱりシーンが、北川さんがイメージして書いてるものと、目の前で起きてることに、どれくらいの差があるのかっていうのは気になりましたね」(土井ほかの共著『ぼくらがドラマをつくる理由』より)。その「差」を埋めるべく、土井はいろんな場面で、北川の狙いを汲みとりつつ変更を試みた。

『愛していると言ってくれ』の関係者は30代前半と若く、作品をより良いものにするために、妥協することなく毎回、持てる力を出し切った。晃次による手話の内容をすべて字幕で見せるという、斬新な試みもあったが、終わってみれば、最高視聴率28.1パーセントの大成功。1990年代を代表する恋愛ドラマとして、今でも評価は高い。

 最終回のラストシーンで、晃次は数年ぶりに紘子と再会する。そこで晃次が見せる微笑みは、実に自然で、そして美しい。その瞬間、演じた豊川悦司の心は、最後まで全力で駆け抜けた充足感で満たされていたにちがいない。