ドラマ『百年の物語』が三夜続けて放送されたのは、2000年の8月だった。これはある女性の3世代にわたる人生を描いた大作で、主演は27歳の松嶋菜々子である。
最終回は現代編で、雑誌編集者の千代(松嶋)のもとへ、幼いころに失踪したまま行方不明の母から、手紙が届く。初めは戸惑う千代だが、母が暮らすアメリカへ飛ぶ。同行したのは元ボクサーの進次(渡部篤郎)。彼には千代の知らない、つらい過去があった。
放送は2時間半だが、出演者はほぼ松嶋と渡部のみ。しかも、正味70分もあるアメリカでの場面には、彼ら2人しか出てこない。
松嶋も渡部も役者として上り坂にあり、2人の初共演に期待が高まった。ところが渡部は、異なる声を耳にしたという。出演者が自分と松嶋だけでは「もたないという話をよく聞いてたの、2時間半もたないって(略)。とにかく俺はチャレンジしようと思って」(『CUT』01年1月号より。以下、*印は同雑誌から引用)。
撮影が都内で始まった。独身の千代は、母に会ったら、自分は幸せな結婚生活を送っていると伝えたい。そこで進次にニセ夫になってもらい、写真館で結婚写真を撮る。だが、千代の気持ちに共感できない進次は、カメラを向けられると、わざと変な笑顔を見せる。
「書いてないよね、台本にはああいうことは(略)。みんな涙目ですよ(略)。かろうじて強がってたね、監督がね(笑)。もちろんその結末はあるんでしょうね、みたいな感じで(略)。言われたもんね、松嶋さんにね。最後に愛してるって言えるときがくるのかな? って、演出家に言ってたよ」(*)
10年にわたって、休みなく俳優業を続けてきた渡部。いつも役作りに集中したが、気が付くと、演じることの楽しさを忘れていたという。だから『百年の物語』では「もう楽しもうと思ったね。楽しめなくなってきたんだろうね、ずっと」(*)。
演出はTBSの土井裕泰。大学時代に役者として舞台に立ったことがあり、「ドラマ作りは、俳優と演出家のセッション」が信条だ。若いころから何よりも俳優の芝居を大切にして、演出に取り組んできた。当人に会って話を聞くと、松嶋とは『魔女の条件』、渡部とは『ビューティフルライフ』で組んだばかりで、互いの信頼関係ができていたという。
「撮影初日の2日前に渡部さんから電話があり、彼が演じる進次は、少しなまりがある青年にしたい、と。突然、役が彼の肉体に降りてきたようだったので、そのまま提案を受け入れました。それから進次がアメリカでいつも身に着けていた、麦わら帽子と白いTシャツ。あれも渡部さんの発案で、どちらも彼の私物でした」
千代と進次はロサンゼルスに着くと、千代の母が住む田舎町を目指して、車を走らせる。
「その3ヵ月前に脚本作りのために現地を訪ねましたが、まさか撮影の時に、気温が50度まで上がるとは……。あれだけ暑いと、いくら水分を摂っても汗が出ないんですよ。撮影機材が故障しないようケアが大変でした」
特に暑かったのが、砂漠の真ん中を千代の運転する車が疾走するシーン。その途中で車が何者かに盗まれ、途方に暮れる千代と進次は、道ばたに立ってヒッチハイクする。この場面の撮影で、予期せぬことが起きた。
「そのとき千代はハイヒールを履いてますが、引きのワンカットだけ、なぜかサンダルなんですね。それは松嶋さんが休憩中に履いていた物ですが、ぼくらスタッフも誰も気付かず、そのまま放送されてしまいました」
あまりの暑さで集中力が途切れたのだろうが、撮影の苦労が伝わる話である。
千代と進次はケンカしたり助け合いながら、いくつも危機を乗り越え、絆を深めていく。笑いありスリルありの珍道中で、役者2人の芝居も気負いがなく、楽しげですらある。
だが悲劇が千代を襲う。病身の母が、彼女と再会する直前に死んだのだ。ベンチに腰かけ、悲しみに沈む千代。すると進次が横に座り、彼女の手に自分の手をそっと重ねる。進次の肩に黙ってもたれかかる千代。2人の心が初めて通い合う、とても美しい瞬間である。
進次には口ぐせがあり、千代のひと言に対して、しばしば「はい?」と聞き返す。物語の最後で彼はある罪で捕まり、警官に連行される途中で、千代が励ましの言葉を投げかける。それを受けて進次がつぶやく。「はい……」。顔は微笑んでいるが、瞳は涙で濡れている。渡部の繊細な芝居が実にすばらしい。
「その場面はロスの空港で撮りましたが、現地に着いて最初の撮影だったと記憶しています。『はい』をくり返すところは脚本にあったはずですが、最後の『はい』にある思いを込めて表現したのは、渡部さんです」
渡部は、土井の演出に感謝しているという。
「あの人がやっぱり拾ってくれてるんだよね、ぼくの演技を。で、よく話した、2人で(略)。大体台本読むと何カ所かは変だなと思うんで、じゃあ明日言ってみるかって思うと、同じところを土井さんが直してきてるの、いっつも(略)。だから合うんだよね(略)。だから冒険も一緒にできる」(*)。さらに彼は言う。「『百年の物語』で自分が満足しなかったら、やめようと思ってた。それこそ、役者として資格がないと思ってた」(*)。
その後、渡部も松嶋菜々子も、役者としてさらに飛躍した。また演出の土井も、のちに『カルテット』ほかの名作を世に送ることになる。『百年の物語』。才気ある若き役者たちと演出家の理想的な関係から生まれた、何度観ても心を打たれる作品である。