アニメ『ちびまる子ちゃん』の原作者で、数々のエッセイでも笑わせてくれた漫画家のさくらももこ。彼女が53歳で旅立って6年が過ぎた。回顧展が開かれるなど、その人気は今も衰えないが、最も多忙なころにドラマの脚本を初めて書き下ろしたことは、あまり知られていない。それが『さくらももこランド 谷口六三商店』(TBS系)である。
事の始まりを、このドラマの企画立案に関わった、TBSの元プロデューサーの田上節朗さんに尋ねた。
「当時さくらさん夫妻とは家族ぐるみの付き合いがあり、雑談の中で、ももこちゃんの書く家族の物語や会話をドラマにしたら面白いんじゃないか、それを久世光彦さんの演出で作れたら最高だね、という話になりました」
幼いころのさくらは、久世演出で大ヒットしたホームドラマ『時間ですよ』(TBS)が大好きで、のちにその世界観は『ちびまる子ちゃん』にも影響を及ぼした。
さっそく田上さんは社内の知人を通じて、さくらと久世を引き合わせた。その結果、二人は意気統合し、一緒にドラマを作ろうということになった。その話にTBSの編成部が乗り、放送に向けて動き始めた。田上さんが書いた最初の番組企画書を拝見したところ、番組名もストーリーの骨子も、放送されたものとほぼ変わりがなかった。
物語の舞台は、都内の下町に店を構える、三世代が暮らす老舗のせんべい屋。当主、谷口六三(泉谷しげる)の孫の真一(加勢大周)が、インド人の若い娘サビィ(鷲尾いさ子)と恋に落ちて結婚し、せんべい屋で暮らし始める。だが、カルチャーギャップなどからしばしば谷口一家とすれ違いが起こり、特に真一の妹・晴子(相楽晴子)は、大好きな兄を奪われてしまったようで機嫌が良くない。
「インド人一家が登場するのが斬新ですが、さくらさんのインド旅行が、発想の源になっていますね」(田上さん)
先の企画書には仮の出演者リストが載っているが、そこに名前がある俳優のうち出演が実現したのは相楽晴子、サビィの父サティーシュに扮した荒井注、そして語りの岸田今日子。いずれも久世が特に愛した役者である。
TBS側の事情で、当初の予定よりも放送開始が遅れたが、1993年4月13日の火曜よる九時から、初回が放送されることになった。編成部員として『谷口~』を担当したOさんに、当時の話を聞かせてもらった。
「最初に久世さんは、サビィ役に若手の売れっ子だった牧瀬里穂さんを希望したが、実現しませんでした。それから全ての出演者が参加した最初の脚本の読み合わせでは、インド人役の荒井注さんがインド語をしゃべるたびに、久世さんがすごくうれしそうでした」
では久世は、さくら脚本をどう演出したか。どの作品にも必ず「笑い」を盛り込んださくらだが、特に『谷口~』では、どうでもいい話を延々と続ける、ゆる~い会話がおかしかった。映像と台本を見比べると、久世は、セリフはほぼ直していないが、登場人物の動きなどをより大げさに見せた場面が目立つ。
「これからどうなる。もしこうしたら、こうなったら。出演者に少しの何かを背負わせる。そしてその数を増やす。これが陽の部分。陰の部分は、痛み、残酷性、悲劇性。この両面をくすぐる」(93年4月28日付の毎日新聞)
『谷口~』の宣伝を兼ねた取材で、久世はこう答えたが、人生は涙と笑いが背中合わせという感覚は、すべての久世ドラマに共通するもの。『谷口~』でいえば、「陽の部分」が、登場人物が滑ったり転んだりするドタバタギャグで、特にサビィの父が引き出物として谷口家に贈った、インド象が中庭で大暴れする場面はその白眉である。
一方「陰の部分」は、妊娠したサビィのおなかの子の父親が、実は元恋人だったこと。それを承知の上で真一はサビィと結婚したが、事実を知った妹の晴子が取り乱してしまい、不安に襲われた妊娠中のサビィが階段から落ちて、病院の手術室で死線をさまよった。
視聴率は、初回が14・6パーセントと上々の滑り出し。だがその後は伸び悩み、最終回は11・5パーセントだった。のちに久世はエッセイ「ン」に、このドラマを「誰も見てくれなかった」と書いたが、内容に自信があったぶんだけ落胆も大きかったのだろう。
作者のさくらは、番組が終わるころに『谷口~』の思い出を書いたが「あまりにもいろんな事がありすぎて書ききれず」原稿をボツにしたという(著書『たいのおかしら』)。漫画に比べて、テレビドラマはより多くの人が制作に関わるため、意見の違いも生じやすい。「物を創るということは、創り手が全てわかっていなければならないのだ。全てが作者の掌の上でなくてはならない」(著書『さるのこしかけ』)。そう考えるさくらにとって、『谷口~』への参加は気苦労もあったのか、その後ドラマ脚本を書くことはなかった。
だが、楽しいことも多かった。さくらも荒井注が大好きで、自著『ももこの70年代手帖』によると、『谷口~』では当人と感激の対面を果たし、いっしょに写真まで撮ったそうだ。また最終回の台本を読むと、人前で顔をさらすことを嫌ったはずのさくらが、特別出演することになっている。惜しくもこのアイデアは実現しなかったが、彼女の気持ちの高ぶりを感じさせる話ではないか。
今や見返すことが難しい『谷口六三商店』だが、さくらももこと久世光彦、この二つの才能が見事に溶け合った野心作である、と言い切りたい。