なんだ、これは。若手の俳優がセリフを言い間違えて、照れ笑いを浮かべているではないか。生まれて初めてテレビでNG映像を目にしたときは、本当に驚いた。俳優の素顔を見たようで、とても新鮮に映ったのだ。

 その番組は、1980年放送の連続ドラマ『翔んだカップル』(フジテレビ)で、原作は、同名のコミック。ひょんなことから、一つ屋根の下で暮らし始めた高校生の男女が主人公で、ヒロインに扮したのは、美少女アイドルの桂木あやである。そして毎回の最後に放送されたのが「今週のNG集」だった。

 チーフ助監督として初回から参加した演出家の小野原和宏さんに、制作の裏側を尋ねた。

「第1話を撮り終えて映像を編集したら、時間が足りませんでした。通常の30分ドラマより映像の素材が多く、時間を管理するタイムキーパーさんが計算を間違えたんですね」

 足りない2分余りを何で埋めるか。だが放送は目前で、大きな手直しはできない。

「そこで、出演者のNG映像を交ぜつつ物語を振り返ったらどうかと。すぐに試作版を作り、ディレクターからOKが出ました」

 窮余の一策として生まれたNG集。だが本来、役者の失敗は公開すべきものではない。前例がないので編成部は放送に反対したが、1回限りを条件に許しを得た。ところが放送したら好評で、その後も番組の最後に流すようになった。さらに、途中からはスタッフのトチリも放送することが増えた。

 関東地区の視聴率を調べたら、初回が9.1パーセントで前の番組と大差はないが、4話で12.5に上昇。16話では、同じ時間帯の民放番組の中で初めて首位に。その後も数字は上がりつづけ、NGだけを放送した最終回は、番組最高の18.3を叩き出した。世間のNG映像への関心の高さがわかる数字だ。また新聞のテレビ欄には、第8話以降、見出しに「NG」の文字が入り、テレビ局もNG集を進んで宣伝していたことが窺える。

 そもそも俳優にしろスタッフにしろ、本番中にNGを出すことは好ましくない。

「だから、何か失敗すればその場で謝るし、時には怒られることも。いつも収録の現場には緊張感がありましたが、俳優さんたちのNG映像をまとめて見てみると、不思議なことに笑えるんですよ」(小野原さん)

 NGはNo Goodの略語で、本来は「失敗」「ダメ」を意味する放送業界の用語。今では日常的に使う言い方だが、これを世間に広めるきっかけが『翔んだ~』だったのだ。ではこの番組は、いかにして誕生したのか。

 当時のフジテレビはドラマが不振で、経営陣が替わったのを機に、意欲のある新しい人材にも番組を作る場を与えた。そんなある日、社外から『翔んだ~』をドラマ化する企画が持ちこまれた。だが、ドラマ班には「マンガ」を見下す空気があり、演出する人間がいない。そこでプロデューサーの塚田圭一が声をかけたのが、牛窪正弘だった。このとき氏は37歳で、早大を卒業してフジテレビに入社して以来、バラエティーや芸能ニュースの制作に参加。昔から演劇や映画は大好きだが、ドラマを演出するのは、これが初めてだった。

 牛窪は全27話にわたって、積極的に旬のニュースを取り上げた。歌手の山口百恵が結婚式を挙げると聞けば、その話題をストーリーや劇中の会話に盛りこみ、「今」の気分を視聴者に伝えようとしたのである。

 このとき26歳の小野原は、いずれは大人向けの社会派もの、文芸もののドラマを演出したいと願っていた。ところが『翔んだ~』は、10代向けのコメディー。だが演出の牛窪と出会って、その人間性や奇抜な発想に魅せられ、結局、最終回まで氏の補佐役を務めた。

「いつも完成形は牛窪さんの頭の中にだけあり、ぼくらスタッフは、牛窪さんが思い付くアイデアをどうすれば映像にできるかを考え、試行錯誤をくり返しました」

 その一例が、教師が生徒たちと校庭を走る場面に用意されたギャグだ。教師が、目の前に現れた小さな水たまりに足を踏み入れる。その瞬間、頭まで水没してしまうのである。

「教師が穴に落ちたらしゃがめばいいと考え、撮影前にその深さで地面に穴を掘りました。ところがその穴を見た牛窪さんが、もっと深く掘れと。穴に落ちたら本当に頭まで沈まないと、笑いが起きないと言うんです」

 いつも手を抜かないのが牛窪の流儀だった。

 この番組で特に多かったのが、登場人物が空想にふける場面だ。そこでは映画やCMなどの愉快なパロディーが展開されたが、牛窪は収録の寸前までアイデアを練った。また、開発されたばかりのCGを積極的に使うことで、頭を叩かれると衝撃で目玉が飛び出すなど、コミック風の映像表現を可能にした。

 物語の結末も型破りだった。大好きなヒロインが去り、悲しみに沈む男子高校生。背後に流れるバラード曲「SO LONG」を歌うのは、牛窪が敬愛するという矢沢永吉だ。そこへ現れるヒロインの幻。そして頭上から幕が下り、その前に出演者たちが登場して、一人ずつ別れのあいさつをした。この演出は演劇好きの牛窪が、舞台のカーテンコールを模したものである。20歳前後の出演者たちは別れがたく、この最後の場面でみんな泣き、現場にいた小野原も目頭を熱くしたという。

 その後、番組の好評を受けて、ほぼ同じ出演者、スタッフでさらに2シリーズを放送。そこで小野原は、演出家として独り立ちした。この『翔んだ~』シリーズ3作で特に笑いをふりまいた、生徒役の轟二郎と蔦木恵美子は、惜しくもすでに故人だが、柳沢慎吾は今も俳優、タレントとして活躍中である。