平成の初めに大ブームを起こしたのが「トレンディードラマ」だ。いずれの作品も都心に住む若い男女の恋愛模様を描いたが、のちにその元祖と呼ばれたのが、1988年放送のフジテレビ『抱きしめたい!』。特に女性に人気があり、主演した浅野温子と浅野ゆう子の髪形や身にまとった服が注目された。

 さらに劇中の音楽も新鮮に響いたが、それらを作ったのが、ピチカート・ファイヴという日本の若きバンド。彼らに音楽制作を頼んだ演出の河毛俊作に、勤務先のフジテレビで舞台裏を語ってもらった。

「ピチカートの面々はぼくより10歳近く若いのに、話をしたら、好きな音楽が似ていたんですね。それは60~70年代に欧米で作られたポップスや映画音楽であり、作曲家ならバート・バカラック、プロデューサーならトミー・リピューマといった人たちです」

 河毛やピチカートが愛した、ハードロックなどとは別ジャンルの洋楽に共通するもの。それは「洗練」であり、平たくいえば「都会的」「おしゃれ」ということである。

 両者が出会ったのは、都内南青山の輸入レコード店パイドパイパーハウス、通称パイド。二代目店長の長門芳郎が、若き日の山下達郎が率いたシュガー・ベイブや細野晴臣のマネージャーだったこともあり、プロの音楽家も通う店として有名に。流行に左右されず、独自の感性で選んだ品ぞろえが評判を呼んだ。また作家の村上春樹もよく足を運び、氏の短編小説『雨やどり』にもパイドが登場する。

 河毛は75年の開店当初から足しげく通い、気が付けば、買い集めたレコードは1,000枚を超えた。そんなある日、たまたま店内で耳にしたのが、ピチカートの音源だった。彼らも大学生時代からパイドの常連客で、プロになる前から、店長の長門が支援していたのだ。

 ピチカートと知り合った河毛は、次に撮るドラマの音楽作りを依頼。彼らが映像に関わるのは初めてだったが、快く引き受けてくれた。果たして誕生したドラマが『キスより簡単』(87年)で、ピチカートが作った、男女のスキャットなどを劇中に流した。

「スキャットはフランス映画『男と女』のイメージを狙いましたが、映画の題名を伝えただけで、ピチカートはぼくが望む曲を作ってくれました。そういうあうんの呼吸が、当時のぼくらにはあったんですね」

 河毛は、その後もピチカートに音楽制作を委ねた。2作目『おヒマなら来てよネ!』は秋から冬にかけての放送だったので、温かみのあるソウル風。3作目『抱きしめたい!』は放送が真夏なので、涼しげなボサ・ノヴァなどを作ってもらった。さらにピチカートや元メンバーとの共同作業はつづき、その数は9年間で計7作に上る。それらの作品には湿っぽさがなく、悲しい場面でも陰気にならない。劇中の音楽がもたらした効果である。

 河毛は幼いころから大の洋楽好きで、ドラマを撮るようになってからも、要所となる場面でしばしばその種の曲を流して、視聴者に強い印象を残した。挿入歌が映像作品に与える影響の強さ。それを痛感したのが、学生時代に観た米国の青春映画『アメリカン・グラフィティ』だった。だが音楽の使い方を誤れば、作品を台なしにする。だからその扱いについては慎重であるべき、と河毛は言う。

『抱きしめたい!』では、最終話のひとつ前の回のおしまいで、ある曲を流した。大げんかした主人公の麻子と夏子が仲直りして抱き合うという、とても感動的な場面である。

「学生時代から大好きなブライアン・フェリーが歌う『わすれたいのに』を、そこで使いました。これに限らず、その場面に似合う曲を選ぶのは難しいが、そのぶん楽しくもある。映像を編集する際は、いつも自宅からたくさんのレコードをスタジオへ持ち込み、それらを聴きながら最適な曲を選びました」

 ブライアン・フェリーはイギリス出身の歌手。美術やファッションに造詣が深く、ロック界きっての伊達男と呼ばれてきた。河毛も特に洋服に関して独自の美学があり、それについて記した著書もある。

 河毛がのちに手がけた木村拓哉主演の『ギフト』では、全編にお気に入りの洋楽を流し、敬愛するブライアン・フェリーがクラブの客として出演。またハース・マルティネスの『オールトゥゲザー・アローン』やJ・J・ケイルの『ケイジャン・ムーン』という、世間ではほぼ知られていない曲も選んだが、実は二人とも、パイドが特に推していたシンガーソングライターだ。河毛と同じころにパイドに通った私も、店頭で彼らのレコードを聴いて気に入り、すぐに購入した経験がある。

 河毛は生まれも育ちも東京で、ふるさとへの思い入れは今も強い。

「ぼくが演出家になったのはバブル直前で、都心では地上げと再開発が進み、愛着のある東京の風景が失われつつあった。そこで『抱きしめたい!』では、新しい部分も古い部分も、自分の好きな『東京』を映像として切り取り、それらを放送で使いました」

『抱きしめたい!』は大ヒットし、その後も河毛は話題のドラマを次々に演出。71歳の今も現役である。ピチカートはのちに解散したが、初代メンバーの小西康陽、鴨宮諒、高浪慶太郎は作編曲家として活動中。また、彼らの縁を結んだパイドも姿を消したが、元店長の長門が別の場所で再び営業している。

 河毛とピチカートが残した作品は、『抱きしめたい!』『学校へ行こう!』の各サントラCDと前者のDVDで体験できる。それらの作品は、いわば映像と音楽の幸せな結婚であり、両者が美しく溶け合っている。